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ザ……ウンッ…。
唐突に響いた音に、ユーノははっとして辺りを見回した。
途轍もなく巨大なものが海へと身を投げたような音。しかもそれは、かなりの重みを伴っていて、浮かび上がる音さえなく沈み込んでいく気配だ。
とっさに身構えたのは、脳裏を掠めた数々の太古生物の存在だ。気づかぬうちに、その中の何ものかが忍び寄っていて、今再び深みから泳ぎ上がってきて襲いかかろうとしているのではないか。
『あそこを』
だが、ラフィンニは物憂げに一言呟いて、薄暮の世界に白い指を伸ばした。
「?」
振り返って指差す彼方を見上げたユーノの目に、遥かな高みへと伸び上がる絶壁の上、白く浮かぶ帯状の部分が映った。
『あれは雪……氷河、と呼ぶ方がわかりやすいか』
「氷河…?」
『「狩人の山」(オムニド)は二つのものを紡ぐ山……生と死……命と滅亡…白と黒とを。「狩人の山」(オムニド)に積った雪は、神殿のあるあたりを境にして、重みであちら側とこちら側に分かれて滑り落ちてゆく。あちら側では、氷河は滑り落ちながら陽射しに溶けて幾多の流れとなり、あるものは「黒の流れ」(デーヤ)に混じり、あるものは他の支流となって国々を潤し、生命を育む。…が、こちら側には、そのような生は与えられぬ。その先には、ただ、この暗い海あるのみ…』
「……」
ラフィンニの説明を聞きながら、白く浮かび上がる雪の塊を見つめていたユーノは、その断崖絶壁上の氷河の層に、きしむような鋭い音とともに亀裂が走ったような気がして、目を凝らした。
だが、辺りは依然として静まり返り、ますます濃く重くなる夕闇に、氷河はいよいよ白く冷たく幻影じみた色に染まっていくだけだ。
(でも、何か聞こえた、ような)
諦め切れずに氷河を凝視していたユーノは、ふいにどきりとして目を見開いた。
「っ」
最初は小さな一揺れだった。目の錯覚か、気の迷いかと思われるほどの微かな揺らぎ。氷河の突端、削られたような一画のやや左、どこか不自然な形で絶壁の上から突き出ていた部分が、動いたように見えた。
「…?」
『いや、錯覚などではない』
ユーノの心を読んだようにラフィンニが応じた。
『あれを』
「!」
それは今や、ユーノの目にもはっきりそれとわかるほど揺らいでいた。
耳に届くほどの音はたてない。だが、間違いなくその一画が、じわじわと本体を離れて虚空へ倒れかかりつつある。恐ろしいほどの緩慢さで、けれど一瞬たりとも止まることなく、亀裂が下へ下へと這い下りていく。人の顔も定かではない、暮れ切った夕闇の浜辺に、揺らぐ塊のごく僅かな端切れにしか過ぎない、それでも人を叩き潰せるほどの大きさは優にあろう雪の塊が、一つ二つと零れ落ちてきて砕け、少しずつ数を増していく。
やがてその本体は、ぐらりと最後の一揺れを見せて、ゆっくりと、なおゆっくりと氷河の端から身を放ち、既に暗き澱みと化した海面へと落下していった。耳の痛くなるような、空気を締め上げるような、沈黙の時の流れの中、さきほどユーノの鼓膜を震わせた音が夜闇を深く響かせる。
ザ……ウ…ンッ……。
『始めは誰も気づかぬ一揺れのこと……それが崩落の始まりじゃ』
ラフィンニは心ここにあらずといった様子で続けた。
『そなたは運が良い……この光景を見た者は、そう多くはおらぬ』
そのことばが、自分達の運命や、ラズーンの未来をも語っているように思えて、ユーノは思わずラフィンニを見上げた。
白骨のごつごつした硬い線で作られた横顔に、一瞬、世にも艶やかな憂い顔の美姫が重なる。
『我らは……滅ぶ』
淡々と事実だけを口にしたと言いたげなことばに、静謐を秘めた虚ろさと不可思議な安堵感が漂っているような気がして、ユーノはいつまでもラフィンニの顔を見つめていた………。




