11
『死が人の運命なら
生も又人の運命
ラズーンは滅び
失われた都となる
「運命」は跳梁し
闇は人々の心に巣食い
動乱は世を暗くする
滅びは定め
世の始め
星の降り立ちし夜より
ラズーンの祭は
その身に課せられてあり……』
滅ぶのだ、滅ぶのだ、滅ぶのだ。
そう思い定めた時、脳裏を過ったのは何だっただろう。
(私には、わかる気がする)
人の運命とか命の制御とかではない。
死線に立つ者の心に過るのは、たった1人の、たった一瞬の、たった1度の、かけがえのない、二度と手に入らない、愛おしい、大事な存在だ。
だからこそ、創世の詩は願うのだ。
『しかし
再び創世の時は来たり
その時
世は人の命を紡ぎ
人は命の綾を織りなし
手をつなぎ
心を結び
慈しみあい
愛しあい
命の綾は世を生まれ続けさせるのだ……』
どれほど叶わぬ願いかは、十二分に知っていただろう。
(けれど)
ユーノは目を閉じ、一瞬流れ落ちた涙を払い、すぐに目を開いた。
(もう一度だけ、と)
その傷みは自分のことのように、よくわかる。
「……あれは、何?」
しばらくの間、魅入られたようにその波の光景を眺めていたユーノは、薄青く小暗い風景の中、ほぼ真正面の岩に何かが突き立っているのを見つけた。
それは一振りの剣だった。
抜き身の刃が、岩の一つに深々と突き刺さって立っている。蒼く透き通ったように見える姿、細身で繊細な造形が、薄闇の中で儚く脆く光っている。
まるでそれは、願い、のようだ。
「水晶の剣…?」
何かの飾りか、儀式に使われるものだろうかとの問いを込めて、ラフィンニを振り仰げば、相手は静かに首を振った。
『いや、れっきとした実用の剣……あれこそ、我らが聖女王の証の剣じゃ』
ラフィンニの闇の視線に促されるように、再び剣を凝視する。
ど、どう、と重い振動音とともに、巨大な波の一塊が打ち寄せてきた。周囲の岩に牙をたて、石ころを叩きつけて砕き、隙間を喰い広げる獰猛な波、隘路を通ってきたのか見る見る高さを増して近づき、岩に突き立つ剣の上、まるで折り砕こうとでもするように容赦なく落ちかかる、が。
「あ!」
思わずユーノは声を上げた。
剣に襲いかかった波が、その刃に触れたか触れないかでつうっと2つの曲面に分たれた、まるで波が水ではなくて固く滑らかな何かの塊であったかのように。
「波が……切れた…」
我は願う。
今度は背後からではなく、身の裡から、体の奥底から湧き出てくるような声が響き渡った。
抗うことのできない巨大な波の中にあっても、我が祈りを届けんことを。
呑み込まれるしかない世界の渦にあっても、我が依って立つ場所を失わぬことを。
『太皇』の声ではなかった。もっと弱々しく微かで頼りなく、けれど消えることなく紛れることなく、聞こえ続けるその声に、ユーノは聞き覚えがあった。
それは、セレド皇宮の夜闇で煌煌と照る月を見上げた時に響いていた。
それは、旅の荒野を剣を掲げて走る砂塵の中で響いていた。
それは、仲間と火をおこしながら笑い合った草原で響いていた。
(我は願う)
そうだ、ずっと聞こえていた。
たった1人であっても、疲れ切っていても、命の瀬戸際にあってもなお。
(我は願う)
命よ、失われるな。
魂よ、砕かれるな。
(我は願い続ける)
怯むな、逃げるな、たじろぐな。
この想いを支えるために。
『願いよ、届け』
まるで耳元で叫ぶように響き渡る声は紛れもなく自分のもの、だが同時にそれは、見たこともない、ついに戻らなかった聖女王の声のようでもある。配下の失策の負い目を全て背負って宿敵の元に臨む時、彼女の胸を鳴らせ心に響き渡っていたのは、まさにその声に違いない。
幻が見える、昂然と顔を上げ、1人歩き続ける聖女王。
ラフィンニが岩場を踏み越え、剣に近づいていく。足を滑らせれば、すぐさま波に攫われ遥か彼方に連れ去られようという濡れた岩場を軽々と、薄青の裳裾を翻らせ、長い髪を風に舞わせて、幾度も通った道のように。
やがて、その剣の柄にしなやかに指を添えたラフィンニは、軽く握りしめてゆっくりと岩から剣を引き抜いていった。ほっそりとした刀身が抜き出されるに従って、軽く揺れるその度ごとに、触れた岩が音もなく削られる。
(何て切れ味…)
『ユーノ』
ラフィンニが抜き放った剣を差し上げ、こちらへ呼びかけてくる。白骨の顔を、蒼々と澄んだ刀身が鏡のように映している。岩場に立つ異形の剣士、周囲を叩きつける波と乱れ飛ぶ白銀の飛沫が、暗い空を背景に輝いて見える。
息を詰めたまま凝視し続けるユーノの元へ、するすると戻ってきたラフィンニは、波に濡れた気配一つなく、剣を両手に載せて掲げた。
『どうぞ、これを』
深々と頭を項垂れながら、ユーノの前で静かに膝を突く。
およそ、あり得ない光景だろう。ラズーンさえ蹂躙する魔性の存在が、辺境の小国の皇女の前に跪くなど。
だが、ラフィンニは剣を掲げたまま、なお頭を垂れた。
『我らが聖女王』
「……」
ユーノが手を伸ばしたのは、覚悟を決めたせいではない。乳白色の地に薄青い筋が螺旋を描くように入り込んでいる意匠の柄を握った時も、そのまま信じられないほど掌に馴染むそれを軽く振ってみた時も、それを受け取る意味を本当のところはわかっていなかったのだろう。
剣は軽かった。
握ってみても、さきほどの印象を裏切る華奢さ、まるで模造品を扱うような頼りなさ、だが、掌に吸い付いたように離れない。空気を切っても気配さえ残さない。
ラフィンニが満足げに、銀の装飾を施した革細工の鞘を差し上げる。
(知っている)
この軽さは力の前の命の重量だ。
(わかっている)
自分の小さな掌が包めるものなど知れている。
(それでも、この剣は、私の剣だ)
いつ消えるかも知れない命を必死に握り続けようとする願いを満たす剣。
アシャでは駄目だ。軽過ぎて無尽に揮ってしまう。イルファでは駄目だ。強く掴み過ぎて自分を傷つける。レスファートでは駄目だ。儚さに意識が集まり過ぎてしまう。シートスでは駄目だ。携える間に砕いてしまう。ユカルでは駄目だ。使う時に考え込んでしまう。
差し上げられた鞘に水晶の剣を納める。吸い込まれるように輝きを納めた剣は、波を切り岩を削っても刃こぼれ一つしない正体を、露ほども漏らさない。
(この剣は)
抜いてはならない。
抜くなら倒さなくてはならない、如何なる状況にあろうとも。
それは命を引き換える、という意味なのだから。
(私の命だけじゃない、背後に護る全ての命を引き換える)
ぶるっ、とユーノは体を震わせた。
『これで、そなたは名実ともに、我らが聖女王じゃ』
ラフィンニは改めて深く頭を下げた。
『我らが「泉の狩人」(オーミノ)、望むままに使われるがよい』
そなたの示す方向を平らげることこそ、我らが望み。
ラフィンニはゆっくりと白骨の顔を上げて、ユーノを振り仰いだ。
虚ろな髑髏に華やかな微笑を浮かべる美女が重なる。嫣然と綻ぶ唇が楽しげに告げた。
『戦場を、示されよ』




