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「アシャ?」
テッツェはあからさまに不審を響かせてことばを重ねる。
「そうだ、あのアシャだ! あいつがこんなことをするとは思わなかったぞ!」
ジーフォ公は苛々と部屋中を歩き回りながら詰る。
「一度振った女を、人のものになってから手を出すとは!」
「アシャ様の仕業と、どうして思われます?」
「アリオの部屋にも書き置きがあったではないか!」
今更何を言う、とジーフォ公は声を荒げた。
「俺にそれを繰り返させる気か!」
「『アシャ様にお会いしてきます、お許し下さい』と?」
「くそっ」
テッツェの声に高く舌打ちし、ジーフォ公はテッツェの寝そべっていた長椅子に腰を落とした。常に着込んでいる深緑の鱗を連ねたような鎖帷子ががしゃりと耳障りな音を立てる。すぐに飛び出すつもりだったのだろう、薄茶色のマントの下で鈍く光るのが猛々しい。その気配を映したような険しい顔で眉間に皺を寄せ、ジーフォ公は低く唸った。
「ジュナも言っていたぞ、アシャがアリオのことを惜しがっていた、気をつけるに越したことはない、自分のためには何でもやるところがある御方だから、と」
「ジュナ・グラティアス……視察官ですね」
テッツェは冷ややかな目で手紙を再度見直した。
「公は本当にアシャ様がそんなことをなさると思われているのですか?」
「……ああ…いや」
一旦頷いたジーフォ公は唇を噛んだ。
やがて、不承不承、
「…正直なところ、俺にもわからん」
寄せた眉を緩める。殺気立っていた瞳を和らげる。力を解いて、背もたれに身を預けた。
「が、アリオが未だにアシャを好いているのは知っている。俺の所へ来たのも、ひょっとしたらアシャが自分を連れ戻しに来てくれるのではないか、と考えていることも」
微かに煙る瞳でちら、とテッツェを見やる。
叶わない、とテッツェは思う。この激情と弱気の配分がジーフォ公から離れられなくなる点だ。
「…いくら短気で阿呆な俺でも、惚れた女の狙いぐらいわかる」
顔立ちはいかつい。美形にはほど遠い。戦士としてしか生きられないだろうし、本人もそれを望んでいる。その顔に不似合いな寂しい笑みが広がる。が、一瞬のことだ、すぐに他の誰をも許さぬようなきつい視線になって、テッツェをねめつけた。
「だが、俺はあいつに惚れている。そしてあいつがここを出て行くとすれば、アシャのこと以外にはないともわかっている。だからこそ、弱みに付け込んだ遣り口に腹が立つ」
ぎらりと光を帯びた目は、テッツェを通り越して憎むべき恋敵の背中を探している。恋人の裏切りを責めるわけにもいかないためらいが、怒りに火を注いでいる。
「馬を出せ、テッツェ。いくらとぼけようとも『お前』が一頭の馬も屋敷に残さぬはずがない。止めても無駄だ、今回ばかりは斬り捨てても行く」
「…」
色欲に惑う将は困りものだ。女の媚一つで戦局を見誤り、貴重な兵と時間を浪費する。時に打つべき手を打たず、打たなくてよい手を打って自軍を死地に陥れる。
だが、ジーフォ公はそう、ではない。
もしこれが戦乱のただ中であったら、ジーフォ公は容赦なく恋心を捨てるだろう。アリオが敵陣に縛り付けられていても、火をかけろと言うだろう。アリオの憎しみが自分に向くのなら、それもまた本望と高笑いするはずだ、妄執に狂った男を演じて。そして、全て焼け落ちた城の中でアリオの遺骸を探し求めて彷徨うだろう、己の愚かさを噛み締めながら。
今は『まだ』戦争は始まっていない。
だからこそ、ジーフォ公は持て余している、武人としての自分の才を。
(さて、困ったことになった)
テッツェは今にも鯉口を切りそうなジーフォ公を身動ぎもせず見つめる。
本気だ。紛れもなくジーフォ公は本気で自分とやり合う気なのだ。アリオのことは意識はしていないだろうが『理由』に過ぎない。
(アシャ様の指示通りに引き止めるには……一戦交えるしかないか)
無論、テッツェがジーフォ公のことをよく知っているほどには、相手もテッツェを熟知している。ならばこそ、すぐ間近に場所を確保したのだ、抜き打ちならばジーフォ公の方に分がある。
(相討ちか)
しかし、そこまでする必要があるのか。
『戦争』はまだ始まっていない。だが、早晩動きは出てくるだろう。
揺らぐラズーン、『運命』との決戦が近づく中、同士討ちで人材を消費するなど馬鹿馬鹿しさの極みだ。かと言って、ここで素直にジーフォ公を通してしまえば、あのアシャと一悶着を覚悟しなくてはならない。
残念ながら、アシャとジーフォ公では格が違う。ジーフォ公は情に甘い男だが、アシャは情を利用することしか考えていない。
(添えばアシャに屠られる、か)
知らず知らずのうちに微笑んだ。
希代の軍師とやり合うのは楽しみな話だ、己の技量を生死を賭けて量ることは愉楽だ。だが、今度のそれはジーフォ公を失うことになるだろう。
(それは困る)
自分の命に価値など認めない。だが、ジーフォ公を消してしまう気も毛頭ない。悪たれて打算も勝算も考えずに突っ込むこの男の後始末に手を焼きながら、今までの人生で何よりそれを楽しんでいるのだから。
(この人を失ってしまえば、私には何も残らぬ)
ならば、結論は見えている。
「何がおかしい!」
「いえ」
笑みを見咎めたジーフォ公が噛みついてくるのにくすりと笑った。
「わかりました。もうお止めしません。その代わり、私もお連れ下さい」
「…領はどうする」
「私とあなたが抜けたところで、何が起こるわけもありますまい」
それほど配下の教育にご不満が?
穏やかに続けるとジーフォ公はぐ、と首を反らせた。
「よし、来い!」
「はっ」
部屋を出て行くジーフォ公に急ぎ身支度を済ませて従いながら、テッツェは慌ただしく考える。『泥土』で起こっている出来事のどこまで介入し、どこで撤退するか。アシャとどこまでやり合い、どこからジーフォ公を引き下げるか。気性も能力も性格も全て把握しているジーフォ公はいいが、アシャが読めない。
(仕方がない)
いざとなったら『泥土』の泥獣に塗れても、アシャの隙を突き、ジーフォ公を逃がすしかない。
「む! 何者っ?!」
「ジーフォ公 ?!」
突然、厩舎のあたりで叫び声があがり、テッツェははっとした。
(まさか、アシャがここにまで手を?)
あり得ないと言えないあたりが、アシャの怖いところだ。剣を抜き放ち、全速力で先行したジーフォ公の元へ向かう。




