第41話:弟子の眼差しと、料理の極意
朝、まだ港町バザルタが静けさに包まれている時間。
僕は仕込み場の冷たい空気の中で、ひとり深く息を吐き出した。
トントン、トントン……。
木製のまな板に、一定の心地よいリズムが響く。僕が握っているのは、師匠であるシュウヤさんから譲り受けた一丁の包丁だ。目の前には、今朝届いたばかりの大ぶりなタマネギや生姜、そしてギルバート農園から仕入れた鮮度の高い肉が並んでいる。
「焦るな、カイ。刃先で切るんじゃない。包丁の重みを利用して、滑らせるように引き切りだ」
背後から静かな声が聞こえ、思わず背すじが伸びた。振り返ると、師匠が優しく微笑みながら僕の手元を見つめている。
「し、師匠! おはようございます! すみません、起こしちゃいましたか……?」
「いや、いい目覚ましだよ。朝の自主練か、感心だな」
師匠は僕の隣に立つと、僕が切り終えたタマネギの断面をそっと指で撫でた。
「うん、前よりずっと繊維が潰れてない。厚みも揃ってきたな」
「ほんとですか……!? 嬉しいです!」
僕がこの屋台で師匠に弟子入りしてから、どれくらいの時間が経ただろう。
最初はただ「美味い料理を作る凄い人」だと思っていた師匠。でも、毎日隣で仕込みを手伝い、料理へのこだわりを目の当たりにするにつれ、僕の中で師匠に対する尊敬は留まることを知らなくなっていた。
師匠の料理が美味いのは、師匠の作るあの魔法みたいな凄い調味料(【調味料自動生成】)があるからだけじゃない。
食材一つひとつへの深い理解、火加減や包丁を入れる角度、そして何より「食べる人を笑顔にしたい」という圧倒的な情熱があるからだ。
「カイ、今日からお前にひとつ『新しい修行』を課す」
師匠が真剣な眼差しで僕を見つめた。
「修行……ですか!?」
「ああ。これまでは俺の指示通りに食材を切ったり、下味を揉み込んだりしてもらった。だが、今日からは……『仕込みの段階で、完成した料理の味を想像する』訓練だ」
「完成した味を……想像する……?」
首をかしげる僕に、師匠はボウルに入ったボア肉を指し示した。
「例えばこの肉。部位によって脂の乗りも肉質も違う。同じタレを揉み込むにしても、今日の肉は少し脂身が多いから、生姜をほんの少し多めにしてさっぱりさせるべきか? それとも、肉質が柔らかいから揉み込む時間を短くして肉の食感を残すべきか?……包丁を入れ、触った瞬間にそれを判断するんだ」
言葉の意味を噛み締めながら、僕はボア肉に触れた。
ズッシリとした重み、しっとりとした手触り、脂のノリ。
(今日の肉は……すごく弾力がある。脂もしっかり乗ってるから、生姜の香りをいつもより少し効かせた方が、食べたときにガツンと来つつも後味がくどくならないかも……!)
「師匠……! 今日の肉、生姜をほんのすこし強めに効かせて、タレの揉み込みを深めにしてみてもいいですか!?」
僕が恐る恐る尋ねると、師匠は目を見開き、そして嬉しそうに満足気な笑みを浮かべた。
「大正解だ、カイ。お前、ちゃんと肉と会話できてるよ」
「っ……!! はいっ!!」
胸の奥が熱くなるのを感じた。師匠に認められることが、今の僕にとって何よりの喜びだった。
昼の営業が始まると、屋台はあっという間に超満員になった。
「シュウヤの兄ちゃん! 生姜焼き丼大盛り!」
「こっちは唐揚げと冷やしうどんのセットだ!」
「はいっ! ただいま伺います!」
僕は汗を拭いながら、注文を捌いていく。
僕が朝に提案した「生姜少し強め」の生姜焼きを食べた常連の船乗りが、一口食べた瞬間に目を見開いた。
「うおっ……!? 今日の生姜焼き、いつもより生姜のパンチが効いてて、脂の甘みと混ざってめちゃくちゃ美味ぇぞ!!」
「だろ? 今日の仕込みはカイがやってくれたんだ」
厨房の奥から師匠がそう言うと、常連客たちが一斉に僕を見た。
「マジかよ! カイの坊主、腕上げたなぁ!」
「将来は凄ぇ料理人になるぞ、こりゃ!」
「えへへ……ありがとうございます!」
褒められて照れくさいけれど、自分が工夫した料理で目の前の客が弾けるような笑顔になってくれる。この快感と達成感は、何物にも代えがたいものだった。
夜の営業も終わり、片付けを済ませた仕込み場。
静まり返った店内で、僕と師匠は出来立ての試作品(今日の残り肉で作った特製まかないの生姜焼き)を二人で突っついた。
「ふぅ……今日もお疲れ様、カイ。完璧な動きだったぞ」
冷えたお茶を飲みながら師匠が言ってくれる。
「師匠……僕、絶対に師匠みたいな料理人になります。バザルタを『食の聖地』にする夢、僕も全力で手伝いますから!」
「頼りにしてるよ、一番弟子」
月明かりが照らす屋台で、僕は包丁を愛おしく拭いながら、心の中で固く誓った。
いつか師匠の隣に並び立ち、胸を張って自分の料理を出せるその日まで――僕の修行は、明日も続いていく。




