第3話:路地裏に揺れる赤提灯。異世界の常識を焦がす、最初の一串(ねぎま)
「おい、店主。お前、そこで何を焼いてやがる……?」
すり鉢状の狭い路地裏に、低くドスの利いた声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは、いかにも「荒くれ者」を絵に描いたような風貌の大男だ。
背中には身の丈ほどもある無骨な鉄の大剣。獣の返り血を浴びて薄汚れた革鎧は傷だらけで、鋭い眼光が俺の顔をまっすぐに射抜いている。歴戦の冒険者であることは、素人の俺が見ても一目瞭然だった。
日本の会社でクレーマーの対応をしてきた俺だが、さすがに物理的な生命の危機を感じるほどの威圧感には一瞬、背筋が凍る。
しかし、ここで怯えていては商売は始まらない。俺はサラリーマン時代のガチガチの敬語を捨て、屋台の親父としての顔を作った。
「らっしゃい! これは『焼き鳥』っていう、俺の故郷の料理だ。ホーンチキンの肉を、特製のタレで香ばしく焼き上げてるんだよ」
「ヤキトリ……? ぜんぜん聞いたこともねえ料理だな。だが……クソッ、なんて匂いさせやがる」
男は鼻を不器用にピクピクと動かし、ゴクリと喉を鳴らした。
その目はすでに、俺の顔ではなく、焼き台の上でじゅうじゅうと音を立てる肉に完全に釘付けだ。どうやら、ダンジョン帰りで限界まで腹が減っているらしい。どれほど屈強な戦士だろうと、空腹の限界でこの醤油とみりんが焦げる破壊的な匂いには抗えなかったようだ。
「おい、それを一本くれ」
「まいど! 焼き立てだから、熱いから気をつけてな」
俺は焼き台から、ちょうど完璧な焼き加減に仕上がった『ねぎま』を一本、平皿に乗せて差し出した。
たっぷりと特製の甘辛タレをくぐらせ、炭火でさらに炙られた肉は、ツヤツヤと黒光りして、まるで宝石のように輝いている。
男は無骨な手で串をひったくるように掴むと、ふーふーと冷ますことすらもどかしい様子で、豪快に肉に噛みついた。
ジュワッ、と肉汁が弾ける音が路地裏に静かに響き渡る。
「ッ……!?」
次の瞬間、男の動きが、彫刻のようにピタリと止まった。
大きく見開かれた眼球が、手元の串と俺の顔を、信じられないものを見るかのように何度も往復する。
「どうだ? 口に合わなかったか?」
「な、なんだこれは……っ! 肉が、信じられないほど柔らかい……! それに、このかかっている黒い液体はなんだ!? 甘くて、しょっぱくて、信じられないほどのコクが口いっぱいに広がりやがる!」
男は衝撃に震える声で叫んだ。
「それは『タレ』って言うんだ。醤油やみりん、砂糖といった俺の故郷の調味料をブレンドして、じっくり煮詰めたんだよ」
「ショウユ……ミリン……どれも聞いたこともねえ。この街の飯屋なんて、ホーンチキンの肉をパサパサになるまで塩焼きにするか、硬いスープの具にするくらいだぞ! なんでこんなにジューシーなんだ!? それに、この肉の合間に挟んである緑の野菜も、肉の旨味をしっかり吸って、シャキシャキ甘くて美味すぎる!」
大男は、もう言葉を返す間も惜しいとばかりに、貪るように串から肉とネギを引きちぎり、ハフハフと熱い息を吐きながら一瞬で一本を平らげてしまった。
そして、木製の竹串の先を名残惜しそうに綺麗に舐めとる。
「おい、店主! おかわりだ! あるだけ持ってこい!」
「あいよ! ちょうど今、追加で焼き上がるところだ」
じゅうじゅうと良い音を立ててタレを滴らせる焼き鳥を、俺は次から次へと皿に盛っていく。
男はそれを、まるで吸い込むかのように口へ放り込んでいった。
完全に「焼き鳥×タレ」の魔力に囚われた男の様子に、俺は胸の内で小さく、しかし確信に満ちたガッツポーズを決めた。
これはいける。
魔法も剣の腕もない俺だけど、日本で培った「味覚」と、授かった「調味料チート」があれば、この厳しい異世界でも確実に、自分の力だけで生きていける!
「ふぅ……食った食った。こんな美味い肉、王都の高級ギルドや宮廷料理でも食えねえぞ。心が震えたぜ」
合計八本の串を平らげ、大男はふいーっと深く、これ以上ないほど満足げなため息をついた。
そして、懐からチャリンと小気味いい金属音を立てて、一際大きくて鈍い輝きを放つ『大銅貨』を一枚、カウンターに置いた。
本来、1串あたり鉄貨3枚だから、8本で鉄貨24枚。日本円にして240円そこそこの会計だ。だが、この大銅貨1枚は鉄貨100枚分(約1,000円相当)の価値がある。
「これで足りるか?」
「ああ、お釣りが出るよ」
「いらねえ、取っときな。こんな美味いもん食わせてもらえたんだ、上等なチップだ。俺は冒険者のガルツだ。おい店主、明日もここでこの『ヤキトリ』ってやつを焼くんだな?」
「もちろん。食材が手に入る限り、毎日ここで店を開くよ」
「よし、絶対だぞ! 明日も仲間を連れて来てやるからな!」
ガルツはそう豪快に笑うと、満足そうにパンパンの腹をさすりながら、すっかり足取りも軽く路地裏を去っていった。
手元に残ったのは、ずっしりとした数枚の銅貨。
俺がこの世界に転移して、初めて自分の力と腕だけで稼ぎ出した、大切な対価だった。
「よし……! 明日からは本格的に量産体制に入るぞ!」
夕暮れに染まる石畳の上で、俺は小さく拳を握りしめ、明日の仕込みへと頭を切り替えるのだった。




