第三話 八咫烏神社 神主: 藤原 静(ふじわら せい)
奥の院の最奥「幽玄の間」。
深夜を過ぎた八咫烏神社は、表の灯りをすべて落としていた。境内を包む結界が淡く紫に輝き、帝都の喧騒を遠く遮断する。煤竹の行灯がぼうっと橙色の光を投げかけ、畳の香りと線香の煙が静かに立ち込めていた。
藤原 静は上座に正座し、純白の千早をまとい、長い黒髪を高く結い上げていた。銀の簪が灯りにきらめく。彼女の細く切れ長の瞳は、いつもの穏やかな微笑みを湛えながらも、今夜は底知れぬ重みを宿していた。
その前に跪く六人の巫女たち。
お蓮は黒の袴姿のまま、背筋を伸ばして座っていた。戦いの余韻でまだ瞳の端が薄く緋く染まっている。
千代はそのすぐ隣に寄り添い、お蓮の袖をそっと指で掴んでいた。
千鶴はモガ風の着流しを乱れさせ、煙草を指に挟んだまま片膝を立てる。
詩織は大太刀を横に置き、豪快に腕を組んでいた。
弥生は小さく縮こまりながらも、真剣な眼差しを神主に向けている。
小夜は盲目の目を静かに閉じ、穏やかな微笑みを浮かべていた。
静はゆっくりと息を吐き、一同を見渡した。
「今宵、皆を集めたのは他でもない……我ら『八咫烏』の、根源を再確認するためだ。」
声は低く、しかし奥の院の空気を震わせる響きを持っていた。
「明治維新より半世紀。帝都は表向き、近代の華やかさに沸いている。だがその裏で、男たちの利権と欲望が無辜の女たちを喰い散らかし続けている。戦乱で、工場で、家制度で、吉原で……無念の死を遂げた女たちの怨念は、いつしか『陰魔女』と化し、帝都を蝕み始めた。
我々は政府最高幹部と『血の密約』を交わし、国家が表立って手を出せぬこの闇を、影から狩る者だ。
表では穏やかな巫女として参拝客を迎え、
夜は裏巫女として、怨念の化身を斬り、浄化し、封じる。
これが我らの使命——『陰界の均衡を守護せよ』。」
静の瞳が、わずかに銀色に輝いた。
「詩織、お蓮。お前らは我が最強の斬滅の刃。
だがその刃は、常に自らを削る。
千代、お前は蓮の救いであり、浄化の聖水だ。二人の絆が、組織の要となることを忘れるな。」
お蓮は無言で頷き、千代は頰をわずかに染めながらも、しっかりと神主の言葉を受け止めた。
「千鶴。諜報の目は怠るな。軍部タカ派の動きが、ますます怪しい。
弥生。呪具の精度をさらに上げよ。次に蓮が持ち帰る陰呪は、ますます強大になる。
詩織。お前は戦場で蓮の背中を守れ。姉御肌の豪快さが、皆の心の支えだ。
小夜……先代の受けとして、千代を導き続けよ。」
静はゆっくりと立ち上がり、純白の袖を翻した。
「我らは決して英雄ではない。歴史に名を残すこともない。
だが、帝都の夜を守る影である限り、
一人の女の無念も、決して見捨てはせぬ。
……これが、八咫烏の意志。
これが、我ら裏巫女の、生きる理由だ。」
一瞬の沈黙の後、詩織が「へっ、相変わらず気取った言い回しだな」と笑い、千鶴が「了解、親分」と軽く手を挙げた。
弥生は小さく「は、はい……!」と声を震わせ、小夜は静かに頷いた。
お蓮は静かに目を伏せ、千代の手をそっと握り返した。
静は再び上座に戻り、柔らかな微笑みを浮かべた。
「今夜はここまで。皆、明日の表の務めもある。……だが、もし陰魔女の気配を感じたなら、即座に集結せよ。
特に、鶴の影が、近づいている。」
行灯の炎が、ゆらりと揺れた。
夜の八咫烏は、再び静寂の中に溶け込んでいった。




