第五話「乗馬と手紙」
第五話「乗馬と手紙」
漢中を出ると山だらけだった。
荊州の関羽将軍へ命令書を届ける使者の旅。
前半の成都までは山道。
そこから船に乗って川を下る。
江陵のそばで船降りて最後に陸路。
文官の費詩が旅のリーダー。
簡雍のおっちゃんと俺と世話役1人
護衛の兵士6人の合計10名である。
費詩は学校の先生みたいな真面目な文官だ。
この時代の事がよくわかってないので道中で色々と質問した。
「謙信君は非常に熱心なので、
とても教え甲斐がありますね。」
となんでも褒めながら答えてくれた。
歴史学が専門で、褒めて教えるタイプの教師だ。
こんな人が社会の先生だったら、もっと点数良かっただろうなと思う。
身分を隠すためにも謙信君と呼んで貰っている。
費詩先生の生徒として従者のカタチにした。
孔明は俺に年齢が一つ下の世話役を1人付けてくれた。
「名は霍弋、字は紹先と言います。
命に変えてもお守りいたします。」
「カクヨク君??」
「言いずらいなぁ。硬いよ硬いよ。」
カクちゃん?ヨクさん。ショウセン?
お!貂蝉みたいでいいな。
ショウセンと呼ぼう!
絶世の美女では無く、童顔な少年だけど。
「同年代なんだしさ、
紹先と呼んで良いかい?
俺のことは謙信と呼んでくれ。
タメ口で構わない。
俺の友になってくれないか?」
「と、友だなんて、勿体なきお言葉!
身に余る光栄にございます。」
「まだ硬い硬いヨォ。」
ヤバいよヤバいよ。
真面目かよ。
てまぁ、しょうがないか。
「かしこまりました。謙信・・・様」
「うむうむ。良いね良いね。
早速だがショウセン!
うん、良い響きだ。
紹先。
俺に馬の乗り方を教えてくれないか?」
「はい!」
俺の一個下だから小学6年生くらいか。
タメ口はまだ抵抗があるみたい。
返事がとても素直で気持ちが良い。
それに比べて俺は背も低く小太りだ。
この旅団では紹先が最年少の12歳、
ついで俺の13歳。
あとは成人した兵士や雑用係だ。
紹先の父 霍峻はとても優秀な将軍だったらしい。
尊敬していた父の事を話す紹先の目がもう真っ直ぐで気持ちが良い。
最近亡くなったばかりだと聞いた。
悲しみも深かったであろう。
そんな仕草は微塵も見せず俺の世話役もしっかりとこなしてくれている。
乗馬の教え方も実にうまい。ウマだけに。
最初は馬に乗るだけで精いっぱいだった。
この体はかなり運動不足だったようで体力がない。
馬に乗るだけで筋肉痛だ。
特に内太ももが。
それでも馬に乗って
5日目になると徐々に余裕が出てきた。
「紹先。文字は書けるか?」
「はい!
父が書の先生をつけてくださいました。」
俺はこの時代の字がわからない。
一部見た事ある漢字もあるのだが、漢文は全くわからない。
「父と孔明宛てに手紙を書きたい。
代筆を頼む。」
「はい!」
本当に素直で気持ちの良い返事だ。
孔明と俺は一晩しか話をしてない。
荊州に行くと言って出てきたが
俺の能力値なんて最弱のガキだ。
俺の強みは歴史を知っている事だ。
樊城の戦いの流れはおおよそ分かる。
大雨を利用し水攻めで于禁降伏、
龐徳も破って落城寸前まで追い詰めた。
呉に裏切られて挟み撃ち。
上庸に援軍を頼むも
孟達劉封に断られて関羽軍全滅。
これらの内容を手紙に書いて
天才軍師の孔明に知らせれば
きっと援軍を出してくれるはずだ。
善は急げだ。
おっちゃんと護衛兵士に相談して
手紙を届けてくれることとなった。
第六話 山中 つづく
三国志人物紹介⑤
霍弋カクヨク 字は紹先ショウセン
12歳 荊州南郡夷陵出身
生年不詳〜271年頃没
霍峻の子。蜀の建寧太守。
三国志演義では
鄧艾によって成都が陥落すると、喪服を着用し成都に向かって3日間泣き続けた。劉禅の安全が確認されるまで降伏を拒み、劉禅が安楽公に封ぜられたことを知ると、部下を率いて投降した。
正史では劉禅の太子舎人(世話係)。諸葛亮の北伐時、諸葛喬と各地を巡察した。その後、黄門侍郎、安南将軍を歴任。蜀が降伏した時、羅憲と共に一地方を保ち、軍を挙げて降ったため、司馬昭から称賛された。晋の南中都督となり、交趾、日南、九真の3郡を平定した。
統率72.武力69.知力69.政治72.魅力74
一人称は私。
返事は「はい!」と素直で元気が良い。
思春期前の素直な子供。
背はこれから伸びるところ。




