第四十三話「天幕」
新野の戦いは激闘の末、
初日は両軍痛み分けに終わった。
俺たちの天幕は、重苦しい悲しみに包まれている。
張遼の片目を射抜くことには成功した。――だが、その代償は大きかった。
孫尚香の侍女であり護衛でもあった林。そして、関羽の長男・関平。
二人を失ったのだ。
香さんと銀ネェの落ち込みは酷く、室内には俺と信玄、紹先だけが残っていた。
――その時だ。
沈みきった空気を、一瞬で吹き飛ばす男が現れた。
「よっ! 香ちゃん!」
「玄ちゃん!!」
香さんは勢いよく駆け出し、
劉備玄徳へ飛びついた。
「おおおっ!?
相変わらず激しいなぁ、香ちゃん。
会いたかったぜ」
「玄ちゃん玄ちゃん玄ちゃん!」
「張遼の片目、射抜いたんだって?
全部聞いたぜ。すげぇじゃねぇか!」
「でも……」
「うんにゃ。
香ちゃんは、やっぱりすげぇよ」
玄徳は優しく香さんの頭を撫でた。
「あとでゆっくり話聞くから、
先に身体流しておいで」
「うん!今日は寝かさないからね!」
「うぉっほっ! そりゃ怖ぇ!」
豪快に笑ったあと、
玄徳は銀ネェへ顔を向ける。
「銀ちゃんも行っといで。
謙信と孫作ってくれるんだろ?」
「こ、婚儀を挙げてからです!
もう、玄徳様ったら!!」
頬を真っ赤にしながらも、
香さんと銀ネェは軽くなった足取りで
天幕を出ていった。
二人を見送った玄徳は、
今度は信玄へ向き直る。
「徐庶。よく戻ってきてくれた!」
次の瞬間。
玄徳は、いきなり信玄へ抱きついた。
「玄徳様、お久しぶりでございます。
このたびは――」
「いいんだよ、細けぇことは!」
バンバン、と豪快に背中を叩く。
「よぉぉく帰ってきてくれた!!」
「今は“玄徳様を信じる”と書いて、
信玄と名乗っております」
「ああ! 憲和(簡雍)から聞いたぜ。
それも策のうちなんだろ?」
「ええ。他にも色々と用意して参りました」
「よし!じゃあ、
ちょっと待っててくれっか?」
「はい。ごゆるりと」
そして玄徳は、こちらへ振り向いた。
「謙信」
「父上!」
次の瞬間、長い両腕でガッチリ抱き締められる。
……ちょっと待って。
く、苦しいッ!!
「道草はどうだった?」
「父上のお許しを頂けたので、
好きな人たちに、
好きなだけ会ってきました」
「うんうん」
「義弟もできました。
俺の関羽になってもらいます!」
「そいつぁ良い!」
玄徳は本当に嬉しそうに笑った。
「大切にしなさい」
「はい!」
「この野戦が終わったら、
ゆっくり聞かせてくれ。
今は、信玄と打ち合わせさせてくれっか?」
漢中王・玄徳は忙しい中、
香さんと俺に会いに来てくれた。
――それが、たまらなく嬉しかった。
その後玄徳は、
しばらく信玄と打ち合わせを行った。
やがて大きく頷き、
「よし!
雲長に会いに行くか!」
そう言って、信玄、俺、紹先を連れて本陣へ向かった。
「雲長!」
「兄者! お待ちしておりました」
関羽は張飛と話していたが
こちらを振り向いた。
玄徳は長い腕を関羽の背へ回す。
「雲長! 会いたかったぜぇ。
この感触も久しぶりだなぁ」
「兄者!8年ぶりです……」
「そんなに経つんか!
よう一人で踏ん張ってくれた」
「兄者こそ
漢中王即位
おめでとうございます」
「益徳と黄忠の二人がよ、
早く戦場に行きたいって騒ぐから、
先に行かせたんだ」
「頼もしき援軍でした」
「ずげぇジィさんだろう?」
「ハッハッハッハッ!」
「よし!さっそく軍議をやっか!
将軍たちを集めてくれ!」
玄徳は関羽、張飛と共に久々の酒を酌み交わしながら、諸将の到着を待った。
しばらくして、将軍たちが勢揃いする。
玄徳は満足そうに頷いた。
「まずは、オイラから紹介したい仲間がいる」
隣に立つ信玄の肩を叩く。
「こいつは十年以上前からの仲間だ。
軍師・信玄。
孔明にもタメ張れる策略家だぜ!」
「「おおおおっ!!」」
諸将たちがどよめく。
「魏に長年潜り込み、
曹操を倒す策を作ってきた。
これからは、
みんな信玄の策に従ってくれ」
「「「ハハッ!!」」」
「頼もしい軍師が帰ってきやがったな、兄者!」
張飛が豪快に笑い、関羽を見た。
「嗚呼。
この新野の地形も、
曹魏の諸将も知り尽くしておる。
頼もしき俠者だ」
玄徳が孔明に並ぶ者として称え、
さらに関羽と張飛まで認める。
これなら諸将たちも、
新参の信玄に従うだろう。
――完璧な紹介だった。
信玄は静かに前へ進み出ると、
台の上へ地図を広げた。
「では――明日の配置から説明いたします」
劉備の副官に信玄、趙香、王平
関羽に廖化、趙累
張飛に張苞、張翼
黄忠に劉封、向寵
趙雲に陳到、馬謖
……
…………
……………………
翌朝。
蒼天を覆うように、
無数の軍旗がはためいていた。
新野と許昌の境界。
天下を決する“新野の戦い”
――二日目が、
今まさに始まろうとしていた。
魏の蒼旗。
蜀の翠旗。
大地を埋め尽くす、
八万対八万の大軍勢。
両軍が睨み合う荒野には、
すでに血の匂いが漂っている。
魏軍本陣。
漆黒の甲冑をまとった隻眼の将が、
静かに前を見据えていた。
曹操旗揚げ時から付き添いし気炎万丈
――夏侯惇。
合肥で孫権を震え上がらせた隻眼の遼来
――張遼
曹操の代わりを務め前線を防衛してきた猛将
――曹仁
漢中に荊州、長躯も厭わない不敗将軍
――徐晃。
袁紹時代から武功を積み上げる歴戦の名将
――張郃。
誰もが一騎当千
張郃も増援で新たに加わっている。
まさに、魏の最強布陣である。
「蜀の連中を叩き潰せ」
夏侯惇が低く呟いた。
その瞬間――
ドォォォォォン!!
戦鼓が鳴り響く。
対する蜀軍。
白馬に跨った男が、
ゆっくりと剣を抜いた。
漢中王・劉備。
その左右には、蜀が誇る英雄たちが並ぶ。
長髯を揺らし、青龍偃月刀を構える武神――関羽。
蛇矛を肩に担ぎ、獣のように笑う豪将――張飛。
老いてなお剛弓無双の名将
――黄忠。
そして白銀の鎧を纏う常勝将軍
――趙雲。
劉備が剣を高々と掲げた。
「進めぇぇぇぇぇッ!!」
八万の蜀軍が、一斉に大地を揺らす。
対する魏軍も咆哮した。
「突撃ィィィイイイッ!!」
轟音。
激突。
無数の槍がぶつかり、
剣が火花を散らす。
戦場は一瞬で修羅場へと変わった。
「ぬおおおおおおおッ!!」
真っ先に敵陣へ突っ込んだのは張飛だった。
蛇矛が唸る。
ドガァァァァン!!
魏兵たちがまとめて吹き飛んだ。
「邪魔だァ!!」
暴風。
いや――人型の災害。
兵士たちは悲鳴を上げながら宙を舞う。
だが。
「張飛、ここは通さん」
鋭い声が響いた。
馬を駆って現れたのは張郃。
美しく鋭い槍筋が、
稲妻のように張飛へ襲いかかる。
ガギィン!!
火花が散る。
「またテメェか! 面白ぇ!!」
張飛が獰猛に笑った。
怪物と名将。
この二人は定軍山の前哨戦でも
ぶつかっていた。
張飛の奇策で張郃を敗走させ、
夏侯淵撃破に繋がった因縁がある。
両者の激突に、
周囲の兵士たちは思わず距離を取る。
一方――中央戦線。
関羽の青龍偃月刀が、
鮮血を撒き散らしていた。
「再び我が前に立つか」
その一振りごとに、魏兵が数人まとめて斬り飛ばされる。
まるで赤い嵐。
その前へ、隻眼の将が進み出た。
張遼。
合肥を震わせた魏の鬼神である。
「雲長……今日こそ決着をつける」
「もう片方の目も潰してくれるわ!!」
二人の視線がぶつかる。
空気が凍りついた。
次の瞬間――
ドォン!!
二本の青龍偃月刀が激突した。
凄まじい衝撃波。
周囲の兵士たちが吹き飛ばされる。
ガガガガガガガッ!!
斬撃の嵐。
火花が荒野を照らした。
その頃、
右翼戦線では趙雲が白馬を疾走させていた。
「道を開けよ!!」
銀槍一閃。
魏兵たちが次々と宙を舞う。
だが、その前へ巨大な斧が叩き込まれた。
ギィィィン!!
「ほう……見事」
現れたのは徐晃。
怪力無双の猛将である。
「常山の趙子龍、今日は逃さんぞ!」
「最後まで立ってた方が勝ちじゃ!」
白銀の槍と巨斧が激突する。
衝撃で地面が割れた。
さらに後方では、黄忠が弓を引き絞っていた。
「まだまだ若い者には負けんぞ!」
ヒュン!!
矢が飛ぶ。
次の瞬間、魏軍の旗持ちが撃ち抜かれた。
「なっ……!?」
さらに二射、三射。
まさに神業。
だが、その黄忠へ向けて曹仁が軍を進める。
「淵兄の仇! ここで討つ!!」
重装兵たちが雪崩れ込む。
しかし黄忠は笑った。
「老いた獅子ほど恐ろしいものよ!」
剛弓が唸り、魏兵たちが次々に倒れていく。
戦場全域で猛将たちが激突し――
大地は、さらに深く血に染まっていった。
その時ついに!
乱世の奸雄
戦術の天才
曹操孟徳が戦場に現れたのだった。
第四十四話「死地」 つづく
三国人物紹介
張郃チョウコウ、字は儁乂シュンガイ
53歳
冀州河間郡出身 生年不詳-231年没
魏の武将。もと袁紹の配下。
三国志演義では
官渡の戦いで袁紹に従軍。烏巣が曹操に急襲されると、郭図の策に従い高覧と共に曹操の本営を攻めるが敗退。郭図に責任をかぶされ、やむなく曹操に降った。その後、魏将として各地を転戦。漢中の張魯を攻めた際は夏侯淵と共に先鋒となる。劉備との漢中攻防戦では張飛に大敗し、曹洪に斬られそうになった。諸葛亮が北伐を起こすと、街亭で馬謖を破るなど蜀軍を苦しめるが、第4次北伐の際、木門道[ボクモンドウ]で戦死した。
正史では
黄巾の乱では、韓馥の指揮下で鎮圧に当たった。
統率89.武力89.知力69.政治57.魅力72.
息の長い歴戦の名将
曹魏五大将軍
張遼(遼来、隻眼に)
楽進(前年218年死去)
于禁(樊城にて投降)
張郃(張飛と因縁の対決)
徐晃(長駆直入、大斧)




