第二十六話「十代」
「お前が玄徳のクソガキかぁ?」
俺は孫権と2人で会い
一言目に言われた。
…
……
………
建業に着いた俺達は
まず諸葛瑾へ会いに行った。
半月ほど前、
荊州の江陵城で会って以来だ。
俺から孫権に直接会いたいと希望した。
諸葛瑾は快くOKしてくれた。
呉の口喧嘩大好きな
文官達にはなるべく会いたくない。
特に張昭とか虞翻とかは真っ平御免だ。
赤壁の孔明みたいな
舌戦とか挑まれたくない。
諸葛瑾ならば孫権と仲良しだから
3人で会えるだろうと話してた。
しかし、
建業についてみると話は違ってた。
諸葛瑾はニコニコ顔で説明した。
「わが君も漢中王太子殿に
会う事を楽しみにしてました。」
「おおお!ありがとうございます」
「謙信殿。
わが君はまず
2人でならば
会うとおっしゃっております」
「おぉぅう…2人きりで?」
「ご安心してください。
部屋の前までは私も同行します。
護衛の方も同行で構いませんよ」
ひゃあ〜。
軍師の信玄(徐庶)もいるし、
孔明のアニキ諸葛瑾も一緒かと
完全に油断してた。
特に信玄の"合肥攻略策"を
土産に持ってけば
有利に交渉できると思っていたのに。
いきなり本丸とご対面かぁ。
正直怖い。
たしか孫権は19歳で後を継いだのが
200年の孫策暗殺の直後だ。
今は37歳くらいだろう。
親子ほどに歳が離れてる。
俺は13歳だから
エヴァの碇ゲンドウに
会いに行くシンジ君の
心境に近いのかな。
うぅ…。
逃げちゃダメだ。
しかし、
これはチャンスだ。
ピンチはチャンス!
異世界おじさんも言ってた。
出たとこ勝負
ハク〜ナ・マタタ!
ライオンキングよ我に力を。
「お前が玄徳のクソガキかぁ?」
孫権の第一声は喧嘩腰だった。
ヤヴァ〜イ。
はい。
無能の代名詞 阿斗 でございます。
「は、初めまして。こ、この度は……」
やばい、どもってしまう。
「今いくつやねん?ワレ」
関西のヤンキーみたいに聞かれた。
「13歳です」
「13かぁ。
兄貴の後ろにくっついてた頃じゃ」
「お父様…は…もう?」
「親父は10の時に死んだ。
兄貴は19や」
「早すぎますね…」
孫権は青い目でギロっと睨んできた。
「……人は突然死ぬぞ」
この言葉は重い…。
特にこの人にとって
早過ぎる別れが多い。
孫権にとっては父も兄も突然死。
しかも若いガラスの十代の時に。
思春期に2人も死ぬって……。
孫権の境遇を想像すると、
可哀想すぎて
少し落ち着いてきた。
「孫堅殿は何歳だったのですか?」
「親父か…。たしか36や…。
親父の歳を越えるっちゅーのも
なんや、変な気分や」
たしか孫権は37歳くらい。
昨年に親父の歳を越えたばかりか。
「惜しい英雄を亡くしました」
「ホンマや。
ロクに覚えてないねん。
玄徳はどーなん。
あとナンボ生きんねん?」
あとなんぼって…。
少し失礼な質問ではあるが
的を得た問いでもある。
そして俺にはわかる。
夷陵で大敗して白帝城で亡くなる。
223年だったからあと4年かぁ。
大敗のストレスが無ければ
もう少し長生きするのかな?
「長生きして欲しいけど、
父ももうすぐ60ですからねぇ。
あと4.5年…
は居て欲しいです」
「なら自分も十代で国を継ぐんやろな」
その通りです。
阿斗は17歳で継ぎました。
何もできずに。
…。
そう思うと
孫権と劉禅は共通点が近いのかな。
先代の地盤を引き継ぐ。
お互いに寿命まで長生きする。
劉禅は40年間、
孫権は50年以上も
君主として君臨するはずだ。
この関西弁ヤンキーさんとは
長い付き合いになるんだ。
40年以上になるな、きっと。
ならば色々聞いておきたい。
もしかしたら
孫権は、
俺と長い付き合いになると
解かっていて
2人きりであってくれたのかな。
「継いだ時って実際どうでしたか?」
「大変やったでそりゃ
誰も言う事聞いてくれへん。
兄貴みたいに腕っぷしがある訳でもないから、
当然やけどな。
舐められてたんやろな。
反乱だらけやったん」
「うわぁ、いきなり継いで
そんなんだったんですか。
よく乗り切りましたね。
コツとかあったら教えて欲しいです」
19歳で突然引き継いでから
19年間経ってる。
人生の半分を君主として生きてる。
この人の経験値は凄いな。
尊敬する。
クセスゴ!な家臣が多い中
よくまとめ上げてると思う。
特に小覇王の後なら
尚更大変だったと想像する。
この人、実は凄い。
曹操、劉備がクセスゴすぎて
良くイメージできなかった。
「そやなぁ。
自分は恵まれてたからな。
親父や兄貴が残してくれた
優秀な家臣がおったからやねん。
周瑜がおらんかったら無理やったで」
孫策も26歳くらいで早死にして
義兄弟の周瑜が支えてた。
赤壁の戦いで大勝ちしたのも
周瑜の存在が大きい。
「周瑜もあっちゅー間やった
親父も周瑜も36歳やった」
また死別してる。
呉は亡くなりすぎるやろ
優秀な人材は早死にする
呪いでもかけられてるのか?
孫堅、孫策、太史慈、周瑜、魯粛…
挙げたらキリがない。
「自分やって諸葛亮がおるんやろ?
全部任したらええねん。
最初は。
しかし、最初だけにしとき。
結局決めんのは自分やで」
「そうします」
素直に頷いた。
経験則なのか、
励ましなのか、
熱い心を感じる。
俺も素直に応えたい。
って、外交に義理人情の義侠心は
相性が悪いと孔明が言ってた。
でも孫権は良い人そうで
本当に良かったぁ。
孫権は機嫌良さそうに
茶を飲んでる。
「自分、今回も
諸葛亮に言われてきたんやろ?」
…
……
ん??
「えっ!!?
違います。
俺が、
いや
私が来たいっ言い出したんです」
「『俺』でええねん。
本音で話そうや」
青い目がジッと見つめてくる。
この人は君主として
俺の事を
未来の君主同士として
対等に話そうとしてくれてる。
そしてやっぱり
孫権は油断ならない交渉相手だった。
そして『良い人』でもない。
「俺が父と孔明を説得して来たんだ」
俺もハッキリと
孫権の目を見て断言した。
「関羽を守りたいからここに来た」
第二十七 「何もしてない」 つづく
三国志人物紹介
孫権ソンケン 字は仲謀チュウボウ
呉郡富春県出身 生182-252年没
孫堅の次男。母は正妻の呉氏。孫策の弟。呉の大皇帝。
三国志演義では19歳で孫策の後を継ぎ、江東を支配。208年、父の仇だった黄祖を討ち、劉備と結んで赤壁の戦いで曹操を撃退。以後、合肥で曹操軍と戦うが、荊州を巡り劉備との対立が表面化。今度は曹操と結んで劉備の義弟・関羽を討ち、関羽の復讐戦を挑んできた劉備も夷陵の戦いで大破して荊州を支配した。劉備の死後は蜀と同盟し、再び魏と断交。229年、呉を建国した。
正史では若い頃、人材掌握では孫策以上と評されたが、晩年は後継者問題を起こし、陸遜ら多くの能臣を死なせた。
統率76.武力67.知力80.政治89.魅力95




