第二十四話「三の策」
「謙信殿、三の策が最も重要です」
信玄――徐庶の真剣な声に、
俺は思わず姿勢を正した。
二人きりで話すため、
俺たちは別室へ移る。
「三の策は、孫呉との外交です」
関羽救出作戦の要。
それは、
孫権の裏切りを阻止することだった。
孫権が最後まで味方でいてくれれば、関羽救出の可能性も勝利の可能性も大きく高まる。
「関将軍と孫呉とのやりとりは、
関小娘――
関銀屏殿の縁談話だったのですね?」
「そうなんだよ。関羽のおっさんが、
『あんな犬コロに虎の娘をやれるかっ!』
って大激怒してさ。
断固拒否だった」
「なるほど……」
信玄は苦笑した。
「息子との縁談どころか、
そこまで侮辱されたとなれば、
孫権も怒るでしょうね」
「しかも縁談話を持ってきたのが、
孔明のお兄さんだったんだ」
「孫呉の軍師、諸葛瑾殿ですな」
「ああ。
交渉が決裂した後、
俺は諸葛瑾さんに会いに行ったんだ。同盟を維持したかったからさ。
孫権に会わせてほしいって頼んだ」
もともとは関銀屏と孫権の息子の縁談話だった。
……銀ネェを連れていったら、話がもっとややこしくなりそうだな。
「関羽からは、
『娘をやるから一門衆を増やせ』
なんて言われたよ」
「それで関銀屏殿が謙信殿の護衛役だったのですね。
随分と気に入られておりますな」
「銀ネェとは昔から仲良しだったみたいだ。
俺自身は、
この一か月くらいしか記憶がないんだけどさ……」
すると信玄は腕を組み、
少し考え込む。
「あれほど美しい女性を見せれば、
孫権も興味を持つでしょう。
息子どころか、
自分の妻にしたいと言い出すかもしれません」
「それは嫌だなぁ……」
「だからこそ確認したかったのです。
関小娘に聞かれると面倒でしょうから」
だから二人で別室だったんだ。
「ああ、そういうことか。
気を遣ってくれてありがとう、信玄」
信玄は策士らしからぬ優しさを持っている。
簡雍のおっちゃんは
『とんでもない策を考える軍師だ』
と言っていたが、
案外気配り上手なのかもしれない。
仲間になってくれて、
本当に良かった。
「ところで孔明は何か言っていましたか?」
「荊州に着いたら義弟の馬良に相談しろって。
それでも困ったら三つの袋を開けろって渡されたんだ」
「三つの袋?」
俺は一と二の袋の内容を説明した。
一の袋
(関羽将軍既最強也)(古今東西兵站が要)
二の袋
(義侠と外交は相性凶)(使者諸葛瑾に相談吉)
「なるほど」
信玄は深くうなずく。
「では三つ目も開けてみましょう」
「いいのか?」
「孔明の意図に沿う方が、
我々も動きやすいでしょう」
「わかった」
俺は袋の紐をほどいた。
そこに書かれていた文字は――
(張遼関羽戦)
(合肥絶好機)
「やっぱりか!」
思わず声が出た。
俺も同じ考えだった。
孫権の目を荊州ではなく、
合肥へ向けさせる。
それが鍵になる。
「孔明殿には樊城の流れを詳しく話していたのですか?」
「いや。孫呉が裏切って関羽の背後を突く夢を見た、って話しただけだ」
「それだけでここまで読むとは……さすが孔明ですな」
信玄の目が鋭くなる。
「張遼が戦局の鍵を握ると見抜いている」
「俺の知る歴史でも張遼は
援軍として向かってた。
でも到着前に関羽が敗走したんだ」
「曹魏と孫呉が手を組めば、
合肥の守備兵も引き抜かれます」
「関羽って本当に凄かったんだな。
徐晃や張遼まで動かすなんて」
「夏侯惇も来るでしょう。
あるいは曹操自ら出陣する可能性もあります」
「前線大好きだもんな、あのおっさん」
「だからこそです」
信玄は地図の合肥を指差した。
「張遼が関将軍と戦っている今こそ、
最大にして最後の好機です」
「最後……か」
確かにそうかもしれない。
俺の記憶では、呉は何度も合肥を攻めた。
だが突破できなかった。
魏もまた濡須口を抜けなかった。
結局、両国は長年にわたり国境線で消耗戦を続けていたのだ。
「たしか、
今から10年か15年後くらいには
合肥新城も完成するんだ。
川からも遠くなって
孫権軍はずっと攻略できなかったはずだ…」
「なるほど……」
信玄は静かに笑う。
「使えますね」
「え?」
「孫権殿を動かす策です」
その目が軍師の目になる。
「合肥攻略を餌にすれば、
孫権殿はこちらに乗ってくるでしょう」
「おおっ!」
思わず身を乗り出した。
「それは頼もしいな!」
「ですので、
孫権殿との会談には
ぜひ私も同席させてください」
「もちろんだ!」
これなら孫権も喜ぶ。
俺はすぐに諸葛瑾へ手紙を書く。
七日後には建業へ到着する予定だ。
孫権との面会を取り計らってほしい
さらに関羽と孔明にも、
徐庶加入の報告を送る。
信玄自身も二人への手紙を書いていた。
あとは紹先に頼み、早馬で届けてもらうだけだ。
明日から八月。
いよいよ樊城の戦いが始まる。
一の策――樊城攻略作戦。
二の策――魏の内乱誘発作戦。
三の策――孫呉との外交作戦。
関羽救出のためなら、何だってやる。
たった一人を救うために。
三国全土を巻き込みながら、無数の思惑と謀略が動き始めている。
だが、それほどの価値が関羽にはあった。
代わりのいない唯一無二の存在。
稀代の英雄。
その名の重さに、俺は改めて身震いした。
第二十五話「護衛」 つづく




