第二十三話「二の策」
「そして次の策は――
魏の内側から攻めます」
関羽救出作戦のため、
信玄(徐庶)は地図の上部、
魏の領土を指差した。
「袁紹は官渡で敗れ、
失意のうちに二年後に亡くなりました。
そして後継者争いの隙を突かれ、
曹操によって一気に滅ぼされたのです。
――これを再現すればよいのです」
「ヒャッヒャッヒャッ!
劉表の時もそうだったなぁ。
後継者争いで国は滅びる。
こぇえこぇえ」
簡雍のおっちゃんが肩を震わせながら笑う。
「謙信殿、
曹操はあとどのくらいと見ていますか?」
「確か正月過ぎだったと思う。
半年以内だな」
「曹操の死――。
曹魏がこれほど弱まる機会は、
そう訪れるものではありません」
「今が好機ってことね!」
銀ネェの声が弾む。
「天機を知る。
これも天下人の資質です。
謙信殿は天に愛されておりますな」
「いや、信玄がいなけりゃ、
そんなことにも気付かなかったよ」
「謙信殿の知る未来では、
後継者候補の曹彰と曹植はどうなりましたか?」
「曹彰はすごく強かったのに、
三年くらいでなぜか急にいなくなったなぁ。
曹植も詩の才能は凄かったけど、
曹丕と仲が悪くなって各地を転々としていた気がする。
曹操の子供はたくさんいたのに、
結局あまり目立ってなかったな」
「やはりそうですか」
「兄弟仲が悪いの?」
銀ネェが首を傾げた。
「曹丕は二年前まで曹植と後継者争いをしていました。
正式に太子へ選ばれましたが、
禍根は残っています。
もし樊城が落ちれば、
魏国内は大きく動揺し、
各地で反乱も起こるでしょう」
そうか。
俺が知る三国志は、
樊城が落ちる寸前までの話だ。
もし本当に陥落したなら、
歴史はさらに大きく動くのかもしれない。
「そのために今のうちから、
あえて予言めいた文を書きます」
「予言? なんか怪しくないか?」
俺には少々マユツバに思えた。
「怪しいくらいでちょうど良いのです。
特に『来月の長雨』を知っていることが大きな影響力を持ちます。
天が味方していると、
人々に思い込ませるのです。
例えば――」
信玄は静かに語る。
『来月の樊城戦では、
龍の怒りが漢水に降り注ぐ。
天機を得た関羽軍は樊城を得る。
天に見放された曹操、曹丕では
国が乱れ、将は寝返るだろう。
新たな指導者が必要となる』
「――このような内容を、
魏の臣下たちへ広く送りつけます」
「片っ端から送るの?」
銀ネェも驚いた。
「そうです。質より量です。
最初は誰も信じません。
しかし実際に雨が降り、
樊城が落ちた時、
この文は徐々に効いてきます」
「ヒャッヒャッヒャッ!
楽しそうだな信玄!」
「軍師とはそういうものです。
人の心の隙を突くものなのですよ」
信玄は不敵に笑った。
「やがて戦に強い曹彰へ期待が集まるでしょう。
曹彰が活躍すれば、
曹丕は次第に面白くなくなる。
そこで曹彰を支持する臣下たちを
さらに焚き付けるのです」
信玄の指が盤上を滑る。
「曹丕も激しい気性の持ち主。
曹丕と曹彰の対立が深まれば、
今度は穏健派の曹植を推す声も上がるでしょう。
その時、蜀漢と孫呉からも曹植支持を働きかけるのです」
曹丕と曹彰が潰し合ってくれれば御の字だ。
三つ巴になれば、袁紹の死後に起きた袁譚・袁熙・袁尚の争いと同じになる。
魏の戦力が三分の一になる――いや、少しでも削れれば十分ありがたい。
そこで紹先が手を挙げた。
「しかし信玄先生。
今の段階で長雨の予言を手紙で送れば、
敵軍が対策してしまうのではありませんか?」
「良い質問です、紹先。
于禁将軍と龐徳将軍の援軍は、
ちょうど今ごろ樊城へ到着した頃でしょう」
「父上が戦っているのね!」
銀ネェの顔がぱっと紅潮した。
「今から手紙をばら撒き、
魏臣の元へ届けたとしても、
そこから急使を飛ばして
樊城へ知らせる頃には手遅れです。
于禁将軍の降伏には間に合いません。
それに、
こんな怪しい手紙を最初から信じる者などいませんからね」
「なるほど……」
紹先が感心したように頷く。
「そして樊城が実際に落ちた時――
この手紙の真価が発揮されるのです」
「マユツバだった手紙が、
一気に本物っぽく見えてくるってわけかぁ!
ヒャッヒャッヒャッ!」
簡雍のおっちゃんが大笑いする。
「『曹操、曹丕では国が乱れる』
『新しい指導者が必要だ』
この二つの文言こそが肝要です。
分かりますか、紹先?」
先生のように信玄が問いかける。
紹先は嬉しそうに答えた。
「読む人によって、
その『新しい指導者』が違って見えるのですね!」
「正解です。
曹彰を思い浮かべる者もいれば、
曹植を思い浮かべる者もいる。
あるいは蜀漢、孫呉――
はたまた全く別の誰かかもしれません」
ん?
そういえば三国志では、
鄴で魏諷がクーデターを起こしていたな。
確かに効果がありそうだ。
「信玄。その策を使おう。
みんなも手紙を書くのを手伝ってくれるかい?」
手紙で疑心暗鬼を生み出す。
それはまるで、
賈詡が潼関の戦いで用いた
『離間の計』『偽書の計』そのものだった。
馬超と韓遂を仲違いさせた、
あの策だ。
――やはり軍師とは恐ろしい。
その後、船の中では皆で手分けして
手紙を書くことになった。
信玄が手本を書き、
簡雍、紹先、関銀屏、
そして護衛の熟練兵たちも筆を取る。
だが俺だけは、
手紙を書かずに手を止めていた。
そんな俺を見て、
信玄が静かに声を掛ける。
「謙信殿。こちらへ」
誘われるまま別室へ入る。
すると信玄は真剣な表情で口を開いた。
「――謙信殿。三つ目の策こそが、
最も重要です」
第二十四話 「三の策」 つづく




