第十四話「呉の使者」
「ふざけるなぁああああああ!!!」
ドカン!!
バリィイイイイイン!!
関羽の咆哮が大広間にこだまする。
こだまする。
こだまする〜。
する〜。
「あんな犬コロに、虎の娘をやれるかっ!!!」
――もうデジャヴである。
昨日の黄忠とまったく同じやんけ、
髭長おじさん。
こりゃ後ろから裏切られますわ。
……いや、ちょっと怒りすぎじゃない?
たぶん二日酔いだろう。
二人部屋を出たあとも、
簡雍と関羽は飲み直していたらしい。
どんだけ飲むねん。
それだけ髭おじさんにとって、
楽しい夜だったのだろう。
しかしまぁ、顔が真っ赤だ。
完全に酒が残っている。
言い過ぎだってばよ。
このままでは、まずいルートに入る。
なんとかせねば!
――コウメイモーン!
俺は孔明から託された二つ目の袋を開けた。
(義侠と外交は相性凶)
(使者・諸葛瑾に相談吉)
おおっ!
なるほど、
言われてみれば使者は孔明に少し似ている。
この人が諸葛瑾か。
なら、話は通じそうだ。
会談はあっという間に終わった。
関羽は婚姻を断固拒否。
そのまま武官たちを集め、
「軍議だ」と言って使者を追い出してしまった。
ちなみに簡雍のおっちゃんはいない。
たぶん、まだ寝てる。
会見後、馬良が三人だけの別室を用意してくれた。
そして俺の素性を、使者へ明かす。
「劉太子殿、お会いできて光栄です。
諸葛瑾、字を子瑜と申します。
弟がいつもお世話になっております」
「はじめまして。
先ほどは関羽が失礼しました」
「残念です。
漢中王様と、より深く同盟を強化したかったのですが……。
関将軍は望んでおられないご様子」
「それは誤解です。
関羽は義侠の武人。
盟約は君主同士で結ぶもの。
長兄を差し置いて婚姻を決めるなど、
不義理と考えたのでしょう」
「なるほど。
漢中王と関将軍は一心同体。
稀代の英雄ならば、我が君の子息に相応しいかと思いましたが……」
「主君を通さぬ話は、筋が通らないと考えたのかもしれません。
人一倍、義理人情に厚い人ですから」
「そうでしたか。
それほどまでに義兄弟の絆は深いもの。
羨ましい限りです」
「しかし諸葛瑾殿。
孫権殿は以前、妹君
――つまり私の義母を呉へ帰してしまった。
関羽が大事な娘をやれぬと激怒したのは、前例があるからではないでしょうか?」
「たしかに。
変動する国家情勢の中で、
難しい時期もございました」
……ちょっと攻めすぎたかな。
少し場を和ませよう。
「あと、酒の二日酔いもあったのかもしれません。
昨夜はこれでもかというくらい飲んでいましたから。
本来なら丁重にお断りするところ、
つい熱が入りすぎたのでしょう。
申し訳ございませんでした」
俺はぺこりと頭を下げた。
「いえいえ。
それは我が君――孫権にも、
よくあることです。
酒が入ると、
張昭殿と大喧嘩したりしておりますので」
孫権の酒癖の悪さは有名だ。
諸葛瑾も、何度か面倒な絡まれ方をしたことがあるはず。
俺たちは互いに笑い合い、
お茶を口にした。
「色々とございましたが、
孫劉は赤壁の頃からの同志。
共に魏を討たんとする仲間でございます」
「その通りです。
父・玄徳も、私も、
同盟の強化を強く望んでおります。
そこで、一つ提案がございます」
「なんでしょう?」
「私を、直接孫権殿に会わせてはくれないでしょうか?」
「王太子が自ら呉へ?
それは大歓迎でございます」
「ありがとうございます。
以前からぜひ孫権殿に
お会いしたいと思っておりました」
「わが君もお喜びになります。
国を挙げて歓迎いたしましょう」
「そこなのですが、諸葛瑾殿。
なるべく内密に、
孫権殿と会えませんか?」
「……国賓としてではなく?」
「できれば、国賓扱いは避けたいのです。
まだ太子になったばかりの若輩者。
経験不足ゆえ、
父にも『色々と道草してこい』
と言われておりますので」
「なるほど。
それなら問題ありません。
私の同伴者として屋敷へ来ていただければ、
わが君とも三人だけでお会いできるでしょう」
「それは助かります」
良かったぁ。
なんとなく呉って、
気難しいじいさん達が舌戦を仕掛けてくるイメージが強いんだよな。
張昭とか虞翻とか。
孔明とバチバチやってた前例があるし。
「孫権殿への土産も用意したいので、
少し時間をいただけませんか?」
「そこまでお気遣いは無用ですよ」
「孫劉の絆は大切にしたいのです。
だから、孫権殿には少しでも良く思われたい」
「かしこまりました。
では私は先に呉へ戻っております。
準備が整いましたら、ご連絡ください」
こうして諸葛瑾と別れた。
関羽救出作戦において――
呉への対策こそ、最大の肝だ。
万全を期して、会いに行かねば。
第十四話「商人」つづく
三国志人物紹介
諸葛瑾ショカツキン 字は子瑜シユ
46歳 徐州琅邪郡陽都県 出身 174-241
呉の官僚。諸葛恪、喬の父。諸葛亮、均の兄。
三国志演義では魯粛の推薦で孫権に仕える。赤壁の戦いの前、諸葛亮が劉備と孫権の同盟を結ぶため来訪した時、諸葛亮と再会し、孫権に仕えるよう勧めた。以後、荊州の領有などを巡って、孫権の使者として劉備や関羽との交渉に当たる。夷陵の戦いの直後、曹丕が呉を攻めた際、曹真と夏侯尚の軍勢を陸遜と共に撃退。後に諸葛亮が五丈原に出陣したのに呼応して襄陽を攻めるが、曹叡に敗れた。
正史では諸葛亮とは公の場では会っても、個人的に会うことは避けた。孫権とは生死を越えた信頼関係で結ばれた。
統率75.武力34.知力81.政治89.魅力90
一人称は私
孫権を「わが君」と呼ぶのは
孔明が劉備を呼ぶ時と同じ。
孔明とは文通関係
顔が面長でロバに似てると孫権に馬鹿にされた事がある。




