19 休めと言われた
「入るぜ」
重苦しい沈黙が支配しかけていた病室の扉を、言うや否や遠慮なく乱暴に開けたのはゲルハルトだった。
「ノックをしなさいと何度言えばわかるのですか、あなたは」
すぐさま苦々しそうに小言を吐き出すイーサンの肩を、「まあ堅いこと言うな」とばかりにバン、とひとつ叩いて笑いながらリリアの側まで歩み寄ってきた。
ゲルハルトは、ベッドで上体を起こして訝しそうに、値踏みするように見上げるリリアをじっと見つめ、それから彼女の目線に合わせるようにその場に片膝を折った。
「よお。起きたか、大食い聖女サマ」
ぶっきらぼうな言葉に滲む優しい声色。その視線も、どこか身内を案じるような、そんな雰囲気があった。
リリアはゲルハルトから視線を外さず、口元だけに薄い弧を描いてそれに答えた。言葉には出さないが、その瞳の奥にはまだ警戒心の壁が居座っているのがわかる。
「飯は食ったか?何食った?」
リリアの警戒心には気が付かないふりをして、ゲルハルトは続ける。
「…パン粥だよ。ミルクで煮た、甘いやつ」
どこか相手の腹の内を探るような、抑揚のない口調。その視線は依然としてゲルハルトをまっすぐに射抜いている。その視線が意味する「あんたたち高貴な身分には、この美味しさはわからないでしょ」というスラム特有の諦念に気が付いて、ゲルハルトはわざとらしく笑って答えた。
「分かる。ただのパンがあんなに甘くなるなんて知らなかったよな。俺も初めて食った時はそうだった」
その返答を聞いた瞬間、リリアの瞳がわずかに、けれども決定的に輝いた。
「ゲルハルト、さんも……もしかして……スラム出身、とか?」
「ああ、そうだぜ」
リリアの表情がとたんに明るくなった。そして、興奮した子どものような調子で一気に話し始めた。
「やっぱり!そうだと思ったんだ!皇帝達とは雰囲気が違うっていうか…。あのね、昔、私を守ってくれた年上の男の子がいてね。ゲルハルトさんはその人と似たような感じがしてて…」
そこまで一気に言って、リリアは少しだけ目を伏せた。
その「少年」がどうなったのかはリリアの反応を見るに、もう生きてはいないのだろう。
「そうか。じゃあ、俺がお前の新しい兄ちゃんだな」
ゲルハルトは何でもないことのように言って、リリアの頭をぐしゃぐしゃと力任せに撫で回した。
あまりに無遠慮な振る舞いに、横にいたカイルが思わず手を伸ばしかけたが、当のリリアが本当に嬉しそうにその行為を受け入れているのを見て、その手を静かに下した。
「さてと」
リリアの頭を思う存分に撫でたゲルハルトは、満足したようにすっと立ち上がり、腰に両手を当ててリリアに向き直った。
「さっきまでの話は聞いてたぜ。浄化回数を減らすんだってな」
「困る。絶対に嫌」
リリアは即答した。
「だろうな」
呆れたような笑みを浮かべて、ゲルハルトはジークヴァルドを見た。
「浄化しない日でも飯は出るんだよな?それもご馳走がよ」
「……あ」と、ジークヴァルドが微かに目を見開く。
当然のことだ。聖女は国賓であり、浄化の有無に関わらず最高級の待遇が約束されている。ジークヴァルドはゲルハルトの言葉の意味を察して微笑んだ。
「もちろん。君に出される食事は浄化の成功報酬ではない。英気を養ってもらうためにも毎日食べたいだけ食べるといい」
何かを成し遂げなければ、今日生きるための食事を摂ることすら許されない、そんな等価交換の生活を送ってきていたリリアは、浄化という仕事をしないと食事を摂れない、報酬がもらえないと思い込んでいたのだ。
そうではないとわかって、リリアの顔に安堵の笑みが浮かんだ。
「よかったぁ…」
ふわりと和らいだその表情は、かつてのリリアを彷彿とさせた。浄化に成功し、人々を助けられたと安堵したあの優しい微笑みを。
「でもさ、休んでる間何すればいいの?」
リリアが尋ねた。待ってましたと言わんばかりにイーサンが口を開きかけた時。
「俺が遊んでやるよ」
「え?」
「は?」
嬉しそうに見上げたリリアの声と、何を言い出したのだと怒りを滲ませたイーサンの声とが重なった。
「ゲルハルト、リリアにはこれから学んでもらわなければいけないことが--」
「王都案内でもしてやる」
イーサンの言葉を遮ってゲルハルトは再びリリアの頭をなでた。
「王都!?やった!」
リリアはまるで子どものように嬉しそうに声をあげた。
背後でぶつぶつと文句を言い続けるイーサンを完全に無視し、ゲルハルトは、これまた隣でこれ以上ないほど不機嫌極まりない表情をしている同僚へと向き直った。そしてカイルの背中をバンバンと叩いて笑った。
「悪ぃな。先に誘っちまったわ」
「……」
何も言わないカイルの、殺気のようなものがこもった鋭い視線を浴びながら、ゲルハルトただ愉快そうに笑った。
今度はちゃんと教えてやろう。
この世界では飯は逃げないし、リリアに優しい。
怯えることも、誰かを疑うことも、何一つ心配することなんてないんだと。




