16 【愛される聖女 前編】
小さな町だった。
石畳の道の脇には色とりどりの瑞々しい花が咲き、朝になればパンを焼く香ばしく甘い匂いがそこかしこに漂う。町の人々は皆が顔見知りで、誰かが困っていれば自然と手を差し伸べ、助け合うような、そんな穏やかで温かい場所だった。
その町で、セラフィーナは生まれた。
「まぁ、なんて可愛い子でしょう……!」
白金の髪を持って生まれた赤子の姿を見て、取り上げた助産婦は驚きのあまり目を丸くしたという。
陽の光を浴びるたびにきらきらと眩しく輝く、美しい髪。薄紫の瞳はまるで一級品の硝子玉のように透き通り、その子がひとたび泣き声を上げれば、周囲の大人たちが誰も彼も慌てて抱き上げた。
セラフィーナは、ただひたすらに愛されて育った。
「セラちゃんは本当に可愛いねえ」
「こんな可愛い子、きっと将来はお姫様だ」
「いやいや、王子様が迎えに来るに決まってる!」
町の大人たちは、彼女とすれ違うたびに、目尻を下げてそんな言葉をかけて笑った。
幼いセラフィーナも、「えへへ」と恥ずかしそうに、けれど満面の笑みを返して照れた。可愛いと褒められるのは純粋に嬉しかったし、世界の誰もが自分に優しくしてくれるのは、彼女にとって息をするのと同じくらい「当たり前」のことだった。
だから彼女もまた、皆に優しくした。
転んだ子供がいれば駆け寄って手を差し伸べ、泣いている子がいれば一緒にしゃがみ込む。 「大丈夫?」と首を傾げれば、大抵の人は安心したように笑ってくれた。
そんな風に、自分の存在が誰かを笑顔にする反応を見るのが、セラフィーナは大好きだった。
十四になった頃には、彼女は近隣の町まで評判が届くほどの美少女へと成長していた。
白金の長い髪は毎朝丁寧に梳かれ、薄紫の瞳は、ほんの少し憂いを帯びさせるだけで、周囲の若い男たちをたちまち狼狽えさせ、頬を染めさせた。花屋の青年は彼女が通るたびに毎日のように美しい花をおまけしてくれたし、パン屋のおじさんはお腹が空いていないかと言って、いつも一番の焼きたてを持たせてくれる。
「セラちゃんは、本当にみんなに愛されてるねえ」
嬉しそうに母が笑えば、セラフィーナは少し得意げに、誇らしげに小さな胸を張った。
「だって、みんな優しいもの!」
彼女は一ミリだって疑っていなかった。
世界とはどこまでも優しく、暖かく、そして自分はそこに存在するだけで無条件に愛される存在なのだと。
だから、あの日も。
突然足元に魔法陣が浮かび上がり、眩い光に包まれて、見たこともない見知らぬ神殿へ召喚された時でさえ、セラフィーナはそこまで恐ろしいとは思わなかった。
「聖女様……!」
「成功したぞ!」
「なんと美しい……!」
歓喜に満ちた地を揺るがすような声が、四方八方から響き渡る。
豪奢な絹の衣装を纏った偉い人たちが、涙を流しながら床に跪き、彼女を見つめていた。その熱を帯びた視線は、まるで天から降り立った本物の奇跡を拝むかのようだった。
セラフィーナはきょとんと大きな目を瞬かせ、それから、いつものように少し困ったような可憐な微笑みを浮かべた。
「ここ、は……?」
ただそれだけの、幼い仕草。それだけで、周囲の大人たちから波が引くような感嘆の吐息が漏れた。
後に分かったことだが、この世界は瘴気という災厄に蝕まれていた。 そして、それを浄化できるのが“聖女”なのだという。
そして、初めて迎えた浄化の日。
セラフィーナは、昔お伽噺で読んだ聖女物語を真似て胸の前でそっと手を組み、目を閉じて、神様へ祈りを捧げただけだった。
すると、どうだろう。
視界を覆い、黒く禍々しく渦巻いていたはずの瘴気が、春の陽光に溶ける雪のように、一瞬にして、跡形もなく消え失せたのだ。
「おお……!」
「奇跡だ……!」
「稀代の聖女様だ!」
人々が歓喜し、跪く。
その熱狂の中心で、セラフィーナはぽかんとしたまま、己の両手を見つめていた。
苦しくもなかった。 痛くもなかった。 ただ祈っただけで、全部終わったのだ。
「セラフィーナ様、ありがとうございます!」
「聖女様のおかげで救われました!」
次々に向けられる、際限のない感謝と熱狂的な称賛。抱えきれないほどの美しい花束。高価な贈り物。そして、人々の輝くような笑顔。
――ああ、まるで絵本に出てくる、おとぎ話のお姫様みたい。
セラフィーナは思った。
王子様はいなかったけれど。 代わりに、世界中の人たちが、自分を愛してくれている。
それはきっと、とても幸せなことなのだろう。




