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10 【黄金の冠 前編】

リンドブルム侯爵家は、世襲制でゼラザード帝国の宰相を務めてきた。

世襲といえども、この家系が無能を輩出したことは一度としてない。一族の誰もが、帝国の屋台骨を支えるに足る優秀さを備えていた。


そして、イーサン・リンドブルムもまた、周囲からその将来を嘱望される神童であった。


「お前は今日から、皇子の学び仲間であり、侍従として仕えるのだよ」

父からそう告げられた時、九歳のイーサンは静かに頭を下げた。深いダークブラウンの髪がさらりと落ちる。

「はい、父上」

その返答は、子供らしい無邪気さとは無縁の、達観した大人のそれだった。



イーサンは、あまりに賢すぎた。

この帝国が救いようもなく腐敗していることも、それに真っ向から異を唱える父がいずれ処刑されるであろうことも。そして父自身が、死を予感しながらなお、国を想う足を止めないことも。


幼い彼は、すべてを冷徹なまでに予測できていた。

皇子の部屋に通されたイーサンを待っていたのは、獣のような眼差しをした、同年代の少年だった。

ゾクリと背筋に寒気が走る。

「君がイーサンだね。よろしく」

にこりと微笑んで手を差し伸べてくる皇子に、イーサンは本能的な恐怖に近い何かを感じて、僅かにたじろいだ。

それを見たジークヴァルドは、琥珀色の瞳を怪しげに光らせ、不敵に笑った。


「――イーサンは、賢いね」



学び相手とは名ばかりで、その部屋に教師が来ることはなかった。

イーサンの仕事は、書庫からありとあらゆる本を運ぶこと。ジークヴァルドは、運ばれてきた本をただひたすらに読み耽っていた。


絵本から経済学、他国の言語の専門書まで。文字を追うその姿には、何かを切望するような、鬼気迫るものがあった。


(この方は……本物だ)

イーサンは確信した。殿下のために、自分ももっと学ばねばならない。

その夜、父に相談すると、父は誇らしげに息子の頭を撫でた。

「私には、あの皇子の頭上に黄金の冠が見える。お前が支えるのだ」


――その翌日。

リンドブルム侯爵家当主の、斬首の報告が届いた。

早すぎる「予測」の的中。侯爵家の誰もが「やはり」と唇を噛んだ。

もはや、あの皇帝は救えない。


暗い影を落として部屋に入ったイーサンに、ジークヴァルドは手招きをした。

ソファの隣に座らせると、震えるイーサンの手を、温かな手が包み込む。


「……リンドブルム侯爵を、救えなかった」

ハッとして主の顔を見れば、そこには悲痛な、そして激しい憤怒を孕んだ眼差しがあった。

イーサンの瞳から、堪えていた涙が溢れ出した。


「私にはまだ、力が足りない。味方もだ」

握りしめられる手に力がこもる。ジークヴァルドの奥歯が鳴る音が、静かな部屋に響いた。


「イーサン。私は……あの愚帝を、必ず討つよ」


(ああ、父上……)

イーサンにも見えた。

ジークヴァルドの頭上に、眩い皇冠が。


不敬を承知で、イーサンは皇子に抱きついて泣いた。ジークヴァルドはその背を静かに撫で、強く抱きしめ返してくれた。

「私に、力を貸してくれ」



数カ月後。

いつものように部屋を訪れたイーサンは、凍てつくような殺気を纏ったジークヴァルドに息を呑んだ。


床に座り込んだ彼の傍らには、一抱えの箱。染み出しているのは、赤黒い血だ。


「母上の……首だよ」


ジークヴァルドは箱を撫でながら、口の端を引きつらせて笑った。

「早く……討たないと、ね……」


この方は、泣くことすら許されないのか。

まだ十歳の子供に、世界のすべての苦しみを背負わせるのは、あまりに酷過ぎる。


イーサンは、迷わずその場に膝をついた。幼馴染としてではなく、一人の臣下として。


「殿下、私めに何なりとお申し付けください。私が、お役に立つ人間であることを証明してみせます」

目を丸くしたジークヴァルドは、今にも泣き出しそうな顔で微笑んだ。

「……頼りにしているよ」


この方の重圧を、少しでも分けてもらおう。

悲しみも、苦しみも、これから犯すであろう罪も。

そのためなら、自分は何も惜しまない。


いつの日か、紅茶を飲みながら「美味いな」と、それだけのことで笑い合える日が来ることを願って。

イーサンは、その身を地獄の業火へと捧げた。

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