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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第7話 マッドサイエンティストの憂鬱

 魔王軍の本部直轄地に位置する特級迷宮『絶望の箱庭』。

 次々と押し寄せる勇者や冒険者たちを幾度も撃退し、防衛ラインを死守し続けている特級迷宮建築士のグンツにも、魔界労働基準法に則った「休日」というものは一応存在した。


 しかし、その貴重な休日の朝、彼のプレハブ小屋の扉を叩く者がいた。


「おはようございます、グンツさん。本日は私たち二人の非番でしたね。さぁ、出かけますよ」


 扉を開けると、そこには経理担当の資材管理官、リーゼロッテが立っていた。

 しかし、今日の彼女はいつもの堅苦しい事務官用スーツ姿ではなかった。ダークエルフの美しい褐色の肌に映える、シックなモノトーンの私服だ。鍛え抜かれた彫刻のような筋肉を絶妙に隠しつつ、女性らしいしなやかなラインを強調するタイトなニットとロングスカート。長い銀髪も、いつものシニヨンではなく、緩く編み込んで肩に流している。


「リーゼロッテ……お前、今日は仕事の用事はないはずだぞ。俺は泥のように眠るつもりだったんだが」


「ええ、仕事の用事はありません。今日は完全なプライベートです。たまには迷宮の予算や防衛のことは忘れて、人間界と魔界の境界にある街へ出かけましょう。……私個人の、純粋な買い物の付き添いとして、ですが」


 リーゼロッテは鼻眼鏡を押し上げながら、少しだけ口角を上げた。その表情は、普段の冷徹な経理担当のものではなく、どこか楽しげで、女性的な柔らかさを帯びていた。


「それに、約束していたはずですよ。私の休日に付き合えば、極上の『特製ローストビーフ』を振る舞ってくれると」

「……はぁ、わかったよ。お前の私物の買い出しなら、付き合ってやる」


 グンツは渋々ながらも作業用ベストを羽織り、彼女の後を追った。

 二人は魔導列車に乗り込み、境界の街の市場へと向かう。市場は多種多様な魔族や、怪しげな人間の商人でごった返していた。

 グンツとリーゼロッテは並んで歩きながら、次々と露店を見て回る。グンツは趣味の料理に使う希少な香辛料や使い込まれた上質な鉄鍋を探し、リーゼロッテは休日に着る新しい私服やアンティークの装飾品を眺めていた。

 仕事の資材調達ではないものの、二人の職業病は健在だった。グンツの持つ《構造解析》のスキルで鍋の目に見えないヒビや骨董品の修復痕を見抜き、リーゼロッテの《絶対計算》によって適正価格を瞬時に弾き出し、ふっかけようとする悪徳商人を徹底的に買い叩いていく。二人の息の合った連携は、もはや職人芸の域に達していた。


「このアンティークの髪飾り、相場の3分の1で手に入れられましたね。素晴らしい成果です」


 両手いっぱいに紙袋を抱えたグンツの隣で、リーゼロッテが満足げに頷く。


「お前、買い物の時だけは本当にいい笑顔をするな。……少し休むか。腹も減っただろう」


 グンツは路地裏の屋台で、スパイシーな香りを漂わせる魔獣の串焼きを2本買い、1本を彼女に手渡した。


「ありがとうございます。……ふふっ、こうして歩いていると、まるで恋人同士の休日のようですね」

「冗談言うな。色気より食い気と金勘定の女が」


 グンツが鼻で笑うと、リーゼロッテは串焼きを上品に齧りながら、じっと彼の顔を見つめた。


「冗談ではありませんよ。……私は、あなたのスタンスを高く評価しています。どんな状況でも、決して部下を危険に晒さず、己の知恵と技術だけで理不尽な勇者たちに立ち向かう。……少し不器用ですが、魔王軍で最も信頼に足る男性だと思っています」


 彼女のまっすぐな言葉に、グンツは少しだけ気まずそうに視線を逸らした。

 普段は経費のことで怒鳴り合っている二人だが、根底にあるプロフェッショナルとしての信頼関係は、確実に深まっていた。


「……帰ったら、最高のローストビーフを焼いてやる。赤身の肉を低温でじっくり火を通した、お前好みの高タンパクな奴をな」

「ええ、期待していますよ。グンツさん」


 買い出しという名のささやかな休日のデートは、グンツの疲労を少しだけ癒やしてくれた。


★★★★★★★★★★★


 そして翌日。休日明けの特級迷宮。

 グンツは魔王軍の研究開発部のラボへと足を運んでいた。

 薄暗く、薬品の匂いが充満する実験室の奥で、クラシカルな黒のドレスの上に白衣を羽織った女性が、フラスコを片手に歓喜の声を上げていた。


「できましたわ……! ついに完成しました、グンツ様!」


 彼女の名前はセリア・ウォルポール。

 没落貴族の令嬢であり、研究開発部の主任研究員を務める純血の魔女だ。透き通るような白い肌と、ミステリアスでアンティーク人形のような美貌を持つ彼女だが、ひとたび研究の話になると目の色が変わる、生粋のマッドサイエンティストである。


「セリア、今月の新作ができたと聞いたが。いったい何を作ったんだ」


「ふふふっ、これをご覧ください。私の《魔導錬成》のスキルが生み出した最高傑作、『絶対零度のゼリー』です!」


 セリアがピンセットで慎重につまみ上げたのは、ソフトボール大の、透明な淡いブルーに輝くゼリー状の物質だった。


「このゼリーは、触れた物質から瞬時に熱振動を完全に停止させ、対象を物理的限界点であるマイナス273.15度……すなわち『絶対零度』へと強制的に引き下げる特性を持っていますわ! これさえあれば、どんなに分厚い装甲に身を包んだ勇者様でも、直接ぶつけるだけで一瞬にしてカチンコチンに凍らせて、金槌で叩き割ることができますのよ!」


 セリアはうっとりとした表情で、物騒極まりない使用用途を語る。

 確かに、理論上は恐るべき兵器だ。しかし、グンツの《構造解析》の眼は、冷静にその物質の欠陥を見抜いていた。


「……なるほど、威力は申し分ない。だがセリア、問題が3つある」


 グンツは指を3本立てた。


「1つ、これの質量が少なすぎることだ。勇者一人を完全に凍らせるには最低でもドラム缶一杯分のゼリーが必要だろうが、今の当迷宮の予算は実質ゼロだ。これを大量生産するための高価な魔法薬草を買う金はどこにもない」


「うっ……それは、そうですが……」


「2つ、命中率だ。素早い勇者に対して、こんなゼリーの塊をどうやって正確にぶつけるつもりだ? 外れればそれまでだぞ。そして3つ目、俺たちは部下を危険な直接戦闘に晒さない。ゼリーを投げるために誰かを前線に立たせることは却下だ」


 グンツの容赦ない現実的な指摘に、セリアはしゅんと肩を落とし、大きな瞳に涙を浮かべた。


「そ、そんな……。せっかくグンツ様のお役に立てると思って、3徹して開発したのに……。やっぱり私みたいな実用性のない研究者の発明品は、ただのゴミですわね……」


 ポロポロと涙をこぼす彼女を見て、グンツは頭を掻いた。


「泣くな、セリア。お前の作ったものは決してゴミなんかじゃない。最高に狂っていて、美しい素材だ。……ただ、少し『使い方』を変えればいいだけだ」


「使い方、ですか……?」


「ああ。直接ぶつけるのがダメなら、相手から触れに来るように仕向ければいい。このゼリーの特性……『触れた物質から熱を奪い、絶対零度に凍らせる』。これを利用させてもらう」


 グンツの顔に、凶悪で職人的な笑みが浮かんだ。

 彼はセリアの発明品を慎重に受け取り、ただちに第3層の未開拓ルートへと向かった。


★★★★★★★★★★★


 数時間後。

 ヴィオラの流した噂に釣られて、新たな勇者パーティが迷宮に侵入してきた。

 今回のお客様は、敏捷性と機動力に特化した、軽装の剣士と盗賊を中心としたスピード重視のパーティだ。彼らは身軽な動きで物理的な落とし穴を跳び越え、素早く第3層の奥深くへと到達していた。


「ハッ、特級迷宮と聞いて警戒していたが、大したことはないな! 俺たちの機動力なら、どんな罠が作動するよりも早く走り抜けられるぜ!」


 リーダーの剣士が余裕の笑みを浮かべる。

 彼らの目の前に現れたのは、第4層へと続く、長さ100メートル、傾斜角約30度の、長く緩やかな下り坂の通路だった。

 床はなめらかな岩盤でできているように見えるが、薄暗くてよく見えない。


「ただの下り坂か。一気に駆け下りてやる!」


 剣士が勢いよく坂道に足を踏み入れた、その瞬間だった。


「なっ……!?」


 彼の足がツルリと滑り、そのまま背中から床に激しく叩きつけられた。


「痛ぇっ!? な、なんだこの床は! 氷か!?」


 監視室の水晶でその様子を眺めながら、グンツは腕を組んで冷酷に呟いた。


「ただの氷じゃない。セリアの発明した『絶対零度のゼリー』を、俺の《即時建築》の魔法を使って、100メートルの岩盤の表面にミクロン単位の薄さで極薄コーティングしたものだ」


 ゼリーの量はソフトボール大しかなかったが、魔法で限界まで引き伸ばし、コーティング材として使用することで、広大な面積をカバーすることに成功したのだ。


「ゼリーは空気に触れると、大気中の水分から急激に熱を奪い、床表面に極薄の氷の層を作り出す。そして、勇者が床を踏みしめようとした時、その『摩擦熱』すらも瞬時に奪い去り、氷が溶けては瞬時にマイナス273.15度で凍る現象を繰り返す。結果として、この斜面は『摩擦係数完全ゼロの永久凍土』と化す」


 それは、以前グンツが辺境のダンジョンで作った『油とスライム粘液の滑り台』を、化学と魔導の力で凶悪に進化させた完全上位互換の罠であった。通路の空気中の水分すらも凍り付き、彼らの周囲にはダイヤモンドダストのような冷気の結晶が舞い散っている。


「くそっ、滑るっ! 立てないぞ!」

「ロープを使え! 壁の窪みにアンカーを引っ掛けるんだ!」


 盗賊が慌てて腰から鋼鉄製のスパイクアンカーを取り出し、壁に勢いよく突き立てた。

 しかし、アンカーが壁に触れた瞬間、恐るべき現象が起きた。


 パァンッ!!


 乾いた破裂音と共に、頑丈なはずの鋼鉄製アンカーが、まるで薄いガラスのように粉々に砕け散ったのだ。


「な、なんだとォッ!?」

「鋼鉄が、一瞬で砕けた!?」


「物理法則だ」


 グンツが水晶越しに解説する。


「金属は、絶対零度という超低温状態に急激に冷やされると、その分子構造が極端に硬化し、わずかな衝撃で砕け散る『低温脆性』を引き起こす。お前らがどんなに頑丈なスパイク付きの靴を履こうが、鉄のピッケルを使おうが、その壁に突き立てた瞬間にすべて粉々に砕け散るんだよ」


 摩擦ゼロの斜面。そして、物理的な楔となる金属製の道具はすべて凍結し粉砕される。

 彼らに残されたのは、ただ重力に従って斜面を滑り落ちていくという、残酷な事実だけであった。


「うわああああああっ!!」


 勇者たちは全く手足を踏ん張ることができず、悲鳴を上げながら、延々と滑り台を落ちていく。

 斜面の一番下には、グンツが事前に用意していた、決して這い上がることのできない粘着性の泥沼が口を開けて待っていた。


★★★★★★★★★★★


「……対象の完全離脱を確認。これで防衛完了だ」


 勇者たちが泥沼の中で完全に体力を削られ、泣きながら帰還の転移石を叩き割ったのを確認し、グンツは監視室のパイプ椅子に深く腰掛けた。


「やりましたわ、グンツ様! 私のゼリーが、あんなに見事に勇者様を無力化するなんて……! 凍りついて砕け散る鋼鉄の破片、とっても芸術的でしたわ!」


 セリアが白衣の裾を翻して大喜びしている。


「素晴らしいコストパフォーマンスです、グンツさん。ソフトボール大の試作品一つで、高位の冒険者パーティを完全に無力化するとは。追加の防衛予算は全くかかりませんでしたね」


 リーゼロッテもバインダーを叩きながら、心底満足そうに頷いた。


「お前らの資材と知恵のおかげだよ。……さて、仕事も終わったことだし、リーゼロッテ、昨日の約束を果たすとするか」


 グンツが厨房スペースへ向かい、冷蔵用の魔導具から見事な大猪の赤身肉を取り出す。それを見たリーゼロッテの目が、微かに、しかし確かに期待に輝いた。


「ふふっ、約束通り、最高の火加減でお願いしますね」


 リーゼロッテが微笑んだ、その直後だった。


「えっ……グンツ様の手料理ですか!? 私も、私もぜひご相伴にあずかりたいですわ!」


 いつの間にかラボから這い出してきたセリアが、目を輝かせて二人の間に割り込んでくる。

 美味い飯の気配を察知して、奥の部屋からヴィオラやレイラまで顔を出し始め、監視室はあっという間に騒がしい宴会場へと変わってしまった。


「おい、お前ら! 厨房で暴れるな、火加減が狂うだろうが!」


 グンツの怒鳴り声が空しく響く。

 理不尽な勇者の侵攻は防げても、個性豊かすぎる部下たちの暴走を防ぐ罠は、特級迷宮建築士の彼にもまだ作れそうになかった。

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