第54話 水棲魔獣のストライキ
ステュクス大河の架橋工事は、グンツが考案したテトラポッドの投入により、最大の難関であった橋脚の基礎固めを突破した。シールドマシンは再び轟音を上げ、魔導コンクリートを満載したミキサー車が仮設の鉄橋をひっきりなしに行き交う。
分厚い泥と水しぶきを跳ね上げながら、オークの作業員たちが鉄骨を組み上げていく。その順調な進捗は、予期せぬ形で急停止を余儀なくされた。
「……監督。これ、どうすりゃいいんだ?」
インカムから聞こえるオークの現場主任の声には、明らかな困惑が混じっていた。
グンツが仮設足場の先端へと向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
濁流渦巻く大河の水面。シールドマシンのアームが下ろされるはずのポイントを囲むように、数百頭を超える巨大な水棲魔獣たちが、びっしりと陣取っていたのだ。
鰐のように硬い黒鱗を持つ『リヴァイアサン』、鋭い牙を剥き出しにした『ウォーター・ハウンド』、そして巨大な鋏を振り上げる『シザー・クラブ』。普段は縄張り争いをして殺し合うはずの凶暴な魔獣たちが、今は一切の敵対行動をとらず、ただ一列に並んで工事現場を睨みつけている。
「……座り込みか」
グンツはヘルメットの鍔を押し上げ、眉間を揉んだ。
背後から足音が近づいてくる。人事部のゼノビアだった。
「生態調査部の報告によると、連日の重機の騒音と振動、それにテトラポッドの投入で水流が変化したことで、彼らの産卵床が荒らされてしまったようです。……あの数を力ずくで排除した場合の人的被害は、最低でも作業員の三割に上ると推測されます」
ゼノビアの冷静な報告に、グンツは舌打ちをした。
武器を取って戦う勇者なら罠で処理できるが、彼らはただ自分たちの住処を守るために抗議しているだけの、言わば『地元の住民』だ。
「排除はしない。だが、このままじゃ工事が進まん」
グンツがそうこぼした時、ふわりと甘い香りが現場の重油の匂いを上書きした。
「だったら、交渉とPRの出番ね」
真紅のタイトスカートを翻し、営業推進部のヴィオラが現れた。彼女は手にした魔導メガホンを軽く叩く。
「彼らだって、ただ怒っているわけじゃないわ。生きる場所を守りたいだけ。だったら、私たちが『もっといい場所』を提供してあげればいいのよ」
ヴィオラは足場の先端に立ち、魔導メガホンのスイッチを入れた。彼女の《魅了》のスキルが乗った声が、大河の轟音を打ち消して水面に響き渡る。
『ステュクス大河の愛すべき隣人たち! 急な工事で驚かせてしまってごめんなさい!』
水面の魔獣たちが、一斉にヴィオラを見上げる。彼女のスキルは、種族の壁を越えて感情を揺さぶる。
『私たちは今、この大河に巨大な橋を架けています。でも、ただ川を塞ぐつもりはないわ。現場監督のグンツが沈めたあの奇妙なブロック……テトラポッドの群れを見てちょうだい!』
ヴィオラが、橋脚の基礎を囲むように沈められたテトラポッドの群れを指差す。そこだけは激流が殺され、不気味なほど穏やかな淀みが形成されていた。
『あのブロックの複雑な隙間は、激流を和らげるだけじゃない。外敵から身を隠し、卵を産み付けるには最高の『安全なシェルター』になるの! 工事が終われば、あの防波堤は丸ごとあなたたちの新しい産卵床としてプレゼントするわ。だから、少しだけ……私たちの工事を見守ってくれないかしら?』
言葉の通じない魔獣であっても、視覚情報とヴィオラの魔力に乗った意図は伝わる。
魔獣たちは低く唸り声を交わし合い、やがて、群れのリーダー格と思われる巨大なリヴァイアサンが、ゆっくりとテトラポッドの隙間へと潜り込んでいった。
コンクリートの四本足が作る複雑な迷路は、彼らの巨体を隠すのに十分な広さがあり、かつ水流が穏やかだ。リヴァイアサンが満足げな鳴き声を上げると、それに続くように、他の魔獣たちも次々とブロックの淀みへと移動し、シールドマシンの稼働エリアから完全に退避した。
「……見事な交渉術だな」
グンツが息を吐く。
「営業の基本よ。さぁ、場所は空けたわよ。あとはきっちり工期通りに仕上げてちょうだい、監督さん」
ヴィオラがウインクを残し、足場を去っていく。
「作業再開だ。遅れを取り戻すぞ」
グンツの号令と共に、再び重機が重々しい唸りを上げ始めた。
★★★★★★★★★★★
その日の夜。
ベースキャンプのテント内は、強烈な食欲をそそる香りに満ちていた。
グンツは厨房スペースの魔力コンロの前に立ち、分厚い鉄のフライパンを熱していた。
今日のメインは『豚ロースの生姜焼き』だ。
すりおろした大量の黄金生姜、醤油、酒、みりん、そして隠し味に少量のハチミツを合わせた特製のタレ。そこに、筋切りをした分厚い豚ロース肉をさっとくぐらせる。漬け込みすぎると肉が固くなるため、タレは焼く直前に絡めるのがグンツの流儀だ。
煙が上がるほど熱したフライパンに油を引き、肉を投入する。
ジュワァァァァッ!!
爆ぜるような音と共に、醤油と生姜が焦げる香ばしい匂いが暴力的なまでに立ち上った。肉の縁がチリチリと色づき始めた完璧なタイミングで裏返し、残ったタレを一気に回しかける。フライパンを細かく煽り、タレを煮詰めながら肉の表面に照り輝くコーティングを施していく。
付け合わせは、氷水でシャキッと締めたキャベツの千切りだ。生姜焼きの濃厚なタレを吸わせるため、あえてドレッシングはかけない。
小鉢には、昨日の残りの鶏肉団子を崩して甘辛く煮絡めたものと、ごま油と鷹の爪でピリッと仕上げたきんぴらごぼう。さらに、生姜焼きの脂を中和させるための、針生姜を乗せた冷たいもずくの酢の物。
そして、ステラが港町で仕入れてきた大粒のアサリの味噌汁だ。砂抜きを完璧に済ませたアサリを水からじっくりと煮出し、貝の旨味を極限まで引き出したところに、風味豊かな白味噌を溶き入れている。沸騰する直前で火を止めることで、味噌の香りが飛ばずに器の中で花開く。
グンツはそれらを大きな盆に乗せ、無言でテーブルの中央に置いた。
泥だらけの作業着姿のレイラが、待ちかねたように身を乗り出す。彼女は厚切りの肉でキャベツを巻き込むようにして掴み、豪快に口に放り込んだ。肉の脂の甘みと生姜の鋭い辛味を堪能するように大きく咀嚼し、すぐさま山盛りの白飯を掻き込む。
リーゼロッテは自分の分のバインダーを脇の椅子に置き、両手を合わせてから箸を取った。彼女はまずアサリの味噌汁に口をつけ、コハク酸の濃厚な旨味に小さく息をつく。それから、きんぴらごぼうを一口囓り、生姜焼きへと箸を伸ばした。肉の脂とタレの味を確認すると、彼女もまた迷うことなく白飯を口へ運んだ。
ゼノビアは、もずくの酢の物で口の中をさっぱりさせてから、鶏肉団子と生姜焼きを交互に味わっている。彼女の背筋は伸びたままだが、箸の動きは普段の執務室で見せるそれよりも遥かに素早かった。
食後。
グンツはコンロの火を止め、沸かしておいた湯を急須に注いだ。中に入っているのは、魔界の南端で採れる乾燥ゴーヤーの茶葉だ。
熱い『ゴーヤー茶』が、それぞれの湯呑みに注がれる。
濃い緑色をしたその茶は、一口含めば舌が痺れるほどの鋭い苦味を持っている。レイラは顔をしかめながらも一気に飲み干し、リーゼロッテは湯呑みを両手で包み込むようにして少しずつ味わっていた。生姜焼きの豚の脂を洗い流し、重労働で火照った頭を冷やすための、刺激的な一杯だった。
リーゼロッテが湯呑みを置き、口元をナプキンで拭ってから口を開いた。
「……午後からのヴィオラさんの交渉により、あのテトラポッドの群れは魔獣たちの産卵床として正式に登録されました。書類の手続きはすでに終えています」
「ああ」
グンツは自身のマグカップに注いだ茶を飲みながら、短く応じた。
「これで、あのブロック群は法的に撤去や移動が不可能になりました。たとえ魔王軍の上層部からの命令であっても、生態系保護の観点から拒否できます」
「問題ない。あいつらが基礎の周りに住み着いてくれれば、水流の変化による洗掘を防げるだけじゃない。水中からの物理的な破壊工作を企てる輩が来ても、凶暴な魔獣たちが勝手に排除してくれる」
グンツはマグカップを置き、静かにテントの入り口へ目を向けた。
「俺たちにとっては、最高の番犬代わりだ」
外からは、大河の激しい水流の音と、産卵床を手に入れた魔獣たちの低い唸り声が、夜の闇に混じって響き続けていた。




