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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第53話 流体力学と橋脚の基礎

 魔界全土の物流を繋ぐ大動脈、『ステュクス大河』への架橋工事現場。

 川幅が数キロメートルにも及ぶこの巨大な河川は、雨季を控えて水量を増し、轟々と低い咆哮を上げながら濁流となって海へ向かっていた。


 現場監督のグンツは、川岸に組まれた強固な仮設足場の上に立ち、水面を睨みつけていた。

 彼らが現在行っているのは、橋の重量を支えるための『橋脚』の基礎を、川底の岩盤に固定する作業だ。最新鋭のシールドマシンで川底を掘り下げ、そこへ魔導コンクリートを流し込んでいる。

 だが、問題が発生していた。


「おい、グンツ! クレーンのワイヤーの張力が安定しねぇぞ! 基礎の足元の泥が、どんどん削り取られてやがる!」


 巨大な魔導クレーンの操縦席から、レイラがインカム越しに鋭い声を飛ばした。


「重機を止めろ! 基礎からアームを離せ!」


 グンツの怒声と共に、レイラが瞬時にレバーを引いてクレーンのアームを後退させた。

 グンツの右目が青白く光る。視界に展開された川底の《構造解析》データは、極めて危険な状態を示していた。

 大河の容赦ない激流が、打ち込んだばかりの橋脚の基礎に真っ向からぶつかり、その水流が下方向へと潜り込んで、基礎を支える周囲の岩盤と土砂をスプーンでえぐるようにゴリゴリと削り取っていたのだ。


「……洗掘か。水の力で足元を削られれば、どんなに頑丈な柱を立ててもいずれ傾いて倒壊する」


 グンツは舌打ちをし、足場の端から退いた。

 これ以上の作業は危険だ。自然のエネルギーは、勇者の魔法よりも遥かに執拗で、容赦がない。彼は一旦作業を中断させ、解決策を練るために現場の後方に設営されたベースキャンプのテントへと戻った。


★★★★★★★★★★★


 テントの中には、すでに経理担当のリーゼロッテと、人事監査官のゼノビアが待機していた。

 リーゼロッテのバインダーには、シールドマシンの稼働時間とコンクリートの消費量がぎっしりと書き込まれている。


「現場が止まりましたね。状況は」


 リーゼロッテが問う。


「洗掘だ。激流が橋脚の足元の土砂をえぐっている。無理にコンクリートを流し込んでも、固まる前に土台ごと流されるぞ」


 グンツがヘルメットを脱ぎながら答えると、ゼノビアが腕を組んで厳しい顔つきになった。


「足場が崩れれば、作業中のオークたちが濁流に飲み込まれる危険があります。安全が確保されない限り、水中での基礎工事の再開は許可できませんよ」

「あぁ、わかっている。……だが、その前に飯にするぞ。頭と体を冷やさないと、まともな計算もできない」


 グンツはテントの奥の厨房スペースに向かい、届いたばかりの木箱を開けた。

 中には、魔界の寒冷地にある馴染みの製麺所から氷温保存で取り寄せた、打ち立ての『生蕎麦』が綺麗に並べられていた。乾麺とは違う、蕎麦粉の青々とした香りが鼻をくすぐる。


 彼は巨大な寸胴鍋でたっぷりの湯を激しく沸騰させた。

 生蕎麦をほぐしながらパラリと湯に落とす。麺が鍋の中で大きく対流するように菜箸で優しくかき混ぜる。茹で時間はわずか数十秒。グンツは巨大な平ザルで一気に麺をすくい上げると、あらかじめ用意しておいた大量の氷水の中へ間髪入れずに投入した。

 両手で揉むようにして表面のぬめりを素早く洗い落とし、急激な温度変化で麺をキュッと締める。この工程が、蕎麦に強烈なコシと滑らかな喉越しを生むのだ。


 水気を切った蕎麦を、竹で編まれた大きなザルに盛り付ける。

 つゆは、真昆布と本枯節から引いた極上の出汁に、醤油とみりんを合わせて数日間寝かせた『かえし』を合わせたものだ。小皿には、おろしたての辛味大根、みじん切りにした白ネギ、そして鼻に抜ける香りが鋭い本わさびを添える。

 さらに隣のコンロで、大河で今朝網にかかったばかりの巨大な川エビと、厚く輪切りにしたレンコンを、氷水で溶いた薄い衣にくぐらせて高温の油で揚げた。パチパチという軽快な油の音がテントに響き、ごま油の香ばしい匂いが充満する。


「食え。蕎麦は時間が命だ」


 グンツがテーブルにザルと天ぷらを並べると、クレーンを降りてきたレイラが一番に席についた。


 リーゼロッテは無言で箸を取り、蕎麦の端をつゆに少しだけ浸して口へ運んだ。

 冷たく締められた麺が、喉の奥を滑らかに通り抜けていく。彼女は小さく息を吐き出し、ただ静かに、そして淀みないペースで次の麺を啜り上げた。

 レイラは巨大なエビの天ぷらにかぶりつき、サクッという衣の音と共に、プリプリとした身を力強く咀嚼する。脂の乗ったエビを飲み込んだ後、すかさず辛味大根をたっぷりと入れたつゆで蕎麦をすする。大根の辛味に目を細めながら、彼女は黙々とザルを空にしていった。


 ゼノビアもまた、蕎麦を手繰り、レンコンの天ぷらに軽く塩を振ってかじりながら、一切の無駄口を叩かずに食事を進めた。極限の疲労と緊張の中にある現場において、美味い飯を無心で胃に収めることこそが、唯一の急速充電の手段だった。


「……で、基礎の洗掘対策はどうするつもりですか」


 ザルの蕎麦が完全になくなったところで、リーゼロッテが箸を置き、静かに口を開いた。

 彼女は手元のバインダーの数値を指差す。


「激流に耐えるためには、現在の予定の3倍の量の魔導コンクリートを流し込み、質量で川底を押し固めるか。あるいは、シールドマシンを限界まで稼働させ、さらに岩盤の奥深くまで数十メートル掘り下げるか。どちらにせよ、莫大な追加コストと工期の遅れが発生します」


「いや、どちらも却下だ」


 グンツは蕎麦湯を注いだつゆを飲み干し、ドンと湯呑みを置いた。


「水ってのは、真っ向から力で押さえ込もうとすればするほど、僅かな隙間を見つけて牙を剥く。3倍のコンクリートを流し込もうが、一つの巨大な『面』として激流を受け止めれば、いずれ必ず周りの土砂からえぐられる」


 グンツは立ち上がり、テントの隅に積まれていた廃材の山から、数本の短い鉄パイプを拾い上げた。

 彼は無言のまま、それらのパイプをボルトで強引に組み合わせ、中心から四方向へ等間隔に筒が突き出した、無骨でいびつな立体物をその場で造り上げた。


「水と力比べをする必要はない。力を逃がし、殺してやればいいんだ」


 グンツはその鉄パイプの塊を、テーブルの中央にドンと置いた。


「これは『消波ブロック』、テトラポッドと呼ばれる特殊な構造体だ。流体力学の基礎さ。この四本足のブロックを、橋脚の基礎の周囲に無数に沈めて噛み合わせる」


「なんだその変な形は。ただの四角いコンクリートの塊を沈めるのと、何が違うのさ?」


 レイラがエビの尻尾を皿に置きながら小首を傾げる。


「形が重要なんだ。激流がこの複雑なブロックの隙間に流れ込むと、水はブロックにぶつかって無数の乱水流を生み出す。水流同士が互いにぶつかり合って渦を巻き、運動エネルギーが細かく分散されて熱エネルギーへと変換される。結果として、ブロックの群れを通り抜けた後の水流は、橋脚をえぐる威力を完全に殺される」


 グンツの説明を聞き、ゼノビアが険しい顔で腕を組んだ。


「……理屈はわかりますが、そんな隙間だらけの構造物で、本当にこの大河の濁流のエネルギーを抑え込めるのですか? 万が一流されれば、下流の機材がすべて破壊されますよ」


「ええ。計算上は、巨大な壁を造るよりもはるかにコンクリートの消費量を抑えられます。ですが……魔界の河川でその形状のブロックを運用した実証データが存在しない以上、現段階では机上の空論です」


 リーゼロッテもまた、バインダーの盤面を厳しい目で睨みつける。


「だから、今から現場で実証するんだ」


 グンツは腰の工具ベルトを締め直した。


「理屈をこね回すより、実際に沈めて水流の数値を見れば一発でわかる。レイラ、クレーンをミリ単位で動かせるか。水底でのブロックの噛み合わせが命だぞ」


「面白ぇ。アタシの腕を信じな!」


 レイラがニヤリと笑い、パイプ椅子から勢いよく立ち上がった。


★★★★★★★★★★★


 ステュクス大河の岸辺。

 轟音を立てる激流を前に、グンツは仮設の足場の上に立ち、両手を突き出して《即時建築》の魔法を連続で起動した。

 ズゴゴゴッ、という音と共に、彼の魔力とガルシア商会から仕入れたコンクリートが反応し、重さ数十トンの四本足の巨大なテトラポッドが、岸辺の空き地に次々と生み出されていく。


「運ぶぞ、レイラ! 橋脚の足元の座標だ!」

「任せな!」


 レイラが操る魔導クレーンの巨大なアームが旋回し、太いワイヤーがテトラポッドを正確に吊り上げる。彼女のレバー操作には一切の無駄がなく、数十トンのコンクリートの塊が、まるで空を飛ぶ鳥のように滑らかに大河の真上へと運ばれていった。


「投下!」


 バシャァァァンッ!!


 巨大な水柱が上がり、テトラポッドが激流の川底へと沈んでいく。

 グンツの《構造解析》が、川底でのブロックの着地姿勢と、水流の変化を完璧に捉えていた。


「次! 右へ2メートルずらせ!」

「あいよ!」


 レイラによる神業のようなクレーン操作で、第二、第三のテトラポッドが次々と投下されていく。

 川底で、四本足のブロック同士がパズルのようにガッチリと噛み合い、強固な防波堤を形成し始めた。

 それまで橋脚の基礎をゴリゴリとえぐっていた白く泡立つ激流が、テトラポッドの群れにぶつかった瞬間、ブロックの隙間を通る過程で無数の小さな渦となって複雑に絡み合い、その勢いを急激に失っていく。

 ブロックを抜けた水流はもはや基礎をえぐる力を持たず、橋脚の周囲には不気味なほど穏やかな淀みが生まれていた。


「……水流のエネルギー減衰率、80パーセントを突破。洗掘の進行は完全に停止しました。基礎の岩盤への定着も、安定しています」


 足場で魔導具のメーターを確認していたリーゼロッテが、データから目を離さずに報告した。


「よし。これで足場は完璧に固まった」


 グンツはヘルメットの鍔をぐっと下げ、安全靴で鉄の足場を力強く踏み鳴らした。


「シールドマシンの作業を再開させろ。今日中にこのセクターの橋脚をすべて打ち込むぞ」


「人使いが荒いねぇ! ほら野郎ども、休憩は終わりだ!」


 レイラの快活な怒号が響き、止まっていた重機が再び重々しい唸りを上げ始めた。

 グンツは泥にまみれた安全靴で足場を蹴り、無言で現場のさらに奥へと向かって歩き出した。

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