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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第55話 悪徳コンサルの甘い罠

 特級迷宮『絶望の箱庭』の第10層、統括管理室。

 重機と岩盤の砕ける音が遠く響く中、グンツはソファに深く沈み込み、短い仮眠を取っていた。

 右足の爪先に冷たい空気が触れ、彼は薄く目を開けた。

 視線の先、数メートル離れたデスクの陰から、黒と白の顔がこちらを窺っている。

 ブランが、グンツの右足から奪い取った分厚いルームシューズを口にくわえ、嬉しそうにフサフサの尻尾を揺らしていた。その後ろでは、ノワールが前足を低く沈め、床を蹴るタイミングを計っている。


「お前ら……返せ。床が冷たい」


 グンツがため息をつき、のっそりと体を起こして右手を伸ばす。

 その瞬間、二匹の野生のスイッチが入った。


「ワゥッ!」


 ノワールが短く吠え、グンツの左側へと鋭く飛び出す。グンツの視線が一瞬そちらに釣られた隙を突き、ブランはルームシューズをくわえたまま、猛然と右側へと駆け出した。フローリングの上で短い四肢を滑らせながらも華麗にターンを決め、ソファの裏側へと逃げ込んでいく。

 グンツは頭を掻き、裸足のまま立ち上がった。


 そこに、作業用ベストのポケットに入れた通信用の魔導具が振動した。


『グンツ、起きているかしら。大河の架橋現場に、新しい資材業者が到着したわ。立ち会ってもらえる?』


 ステラの声だった。


「ああ、すぐ行く」


★★★★★★★★★★★


 ステュクス大河の岸辺は、轟音と水しぶきに支配されていた。

 川幅数キロに及ぶ濁流が、容赦なく岩肌を打ち据えている。岸辺には巨大なクレーン車が立ち並び、オークの作業員たちが鉄骨を組み上げる金属音が絶え間なく響いていた。

 仮設テントの横で、ステラが書類に目を通している。その対面に立っているのは、泥まみれの現場にはおよそ似つかわしくない、仕立ての良いストライプのスーツを着た小太りの男だった。


「総監督、お待ちしておりました。インペリアル・コンサルティングの代表を務めております」


 男は愛想の良い笑みを浮かべ、香水の匂いを漂わせながらグンツに名刺を差し出した。

 グンツは名刺を受け取らず、男の足元に置かれた巨大なボビンに巻かれた鋼鉄のワイヤーに視線を落とした。


「これが、吊り橋の主索に使う予定のワイヤーか」

「はい! 我が社が独自ルートで開発した最新の魔導鋼ワイヤーです。表面に特殊な魔力コーティングを施すことで、従来品の半分の軽さでありながら、強度は十二分に確保しております。これを使えば、工期も予算も大幅に圧縮できますぞ」


 グンツは無言でしゃがみ込み、分厚い手袋を外してワイヤーの表面に直接触れた。

 滑らかな冷たい感触。確かに表面の魔力伝導率は悪くない。

 しかし、彼の右目が微かに青白く光を帯びる。


《構造解析》。


 視界に展開されたワイヤーの断面図は、極めていびつな数値を弾き出していた。外周のわずか数ミリだけが高密度の魔導鋼で覆われているが、中心の芯材は魔力を一切通さない、密度の低いスカスカの鉄屑だ。

 橋を支えるほどの強烈な張力がかかれば、内部から容易く破断する。


「……随分と、軽いな」

「ええ、それが最新技術の賜物です!」


 男が自慢げに胸を張る横で、不意に、音もなく影が落ちた。


「……強度テスト、ですね」


 漆黒のワンピースに身を包んだクロエが、日傘を傾けながらそこに立っていた。彼女の白い肌は、現場の土埃とは無縁のように透き通っている。


「……私が、実証します」


 彼女はそう言うと、ボビンから伸びたワイヤーの先端を引き出し、自らの胴体に何重にも巻き付け始めた。


「な、何をなさるおつもりですか!」


 業者の男が血相を変えて前に出た。


「素人が思いつきで強度テストなどされては困る! 万が一怪我でもされたら、我が社の製品の風評に関わるんだ! やめなさい!」


 男は必死にワイヤーを奪い返そうとするが、グンツの顎での合図を受けたオークの作業員たちが、無言で男の前に立ちはだかる。


「い、いい加減にしろ! このような非科学的なやり方で製品を傷つけられたら、損害賠償を請求するぞ!」


 男の顔に脂汗が浮かぶ。彼の焦りは、製品の安全性を危惧するものではなく、ただ己の嘘が暴かれることを恐れるだけの浅薄なものだった。

 グンツは男のわめき声を完全に無視し、上空のクレーン操縦席を見上げた。


「レイラ、フックを下ろせ」

「おうよ!」


 インカム越しにレイラの快活な声が響き、巨大なクレーンのフックがクロエの頭上へと降りてきた。

 クロエは体に巻き付けたワイヤーの端をフックにしっかりと固定する。


「……巻き上げてください。高さは、50メートルで」


 彼女は淡々とした声で指示を出した。

 クレーンがモーター音を響かせ、クロエの細い体を空中へと引き上げていく。

 眼下には、岩をも砕くステュクス大河の激流が渦を巻いている。


 地上50メートルの空域。大河の強い風がクロエの黒髪を激しく揺さぶる。

 彼女は眼下の景色に一切の恐怖を抱くことなく、ただフックの連結部を見つめていた。


「……検証、開始します」


 クロエは、自らの手でフックのロックを外した。

 漆黒のワンピースが翻り、彼女の体は重力に従って真っ逆さまに落下していく。

 風を切る鋭い音。

 ワイヤーの長さが限界に達するまでの数秒間。

 そして、20メートルほど落下した空中で、ワイヤーがピーンと一直線に張った。

 クロエの落下のエネルギーが、ワイヤーの一点に集中する。


 バツンッ!!


 爆発のような乾いた破裂音が大河の岸辺に響き渡った。

 最新素材であるはずのワイヤーは、なんの抵抗もなく、まるで腐った糸のようにあっけなく真っ二つに千切れ飛んだ。


「……美しい、破断です」


 クロエは満足げな微かな笑みを浮かべたまま、切れたワイヤーと共に白い水しぶきを上げて大河の濁流へと飲み込まれていった。


★★★★★★★★★★★


 足場に跳ね返ってきたワイヤーの破断片を、グンツが無造作に拾い上げた。

 彼はそれを、呆然と立ち尽くす業者の男の足元に投げ捨てる。

 鈍い音を立てて転がったワイヤーの断面は、外側の薄い皮膜の下に、ボロボロに砕けた赤茶けたクズ鉄の層を無惨に晒していた。


「これが最新技術の賜物か。芯にクズ鉄を詰めただけの張りボテじゃないか」


 グンツの冷たく低い声に、男は腰を抜かしてへたり込んだ。


「ち、違う! これはたまたま……製造工程のミスで混入した不良品で……!」

「製造ミス? 随分と都合のいいミスね」


 ステラがコツ、コツとヒールの音を響かせて歩み寄る。彼女の手には、分厚い調査書類の束が握られていた。


「納品されたロットを無作為に抽出して調べたけれど、見事に全部同じ構造だったわ。ご丁寧に、表面の魔力反応だけを偽装する細工まで施してね」


 ステラは男の目の前に書類を突きつける。


「インペリアル・コンサルティング。立派な社名を名乗っているけれど、登記簿の役員名簿を洗わせてもらったわ。……かつてこの迷宮に粗悪な廃材を売りつけていた連中と、見事に名前が一致したわよ。ねえ、元『ガルシア商会』の皆さん?」


 男の顔から、さぁっと血の気が引いていく。

 ダミー会社を作って再び魔王軍の巨大プロジェクトの利権に食い込もうとした彼らの目論見は、クロエの命懸けの検証とステラの調査によって完全に粉砕された。


「明確な契約不履行、および魔王軍に対する悪質な詐欺未遂よ。後ほど法務部から正式な損害賠償と違約金の請求書を送らせてもらうわ。……せいぜい、震えて待っていることね」


 ステラの冷酷な宣告に、男は反論の言葉すら発することができず、ただ地面に突っ伏して震えることしかできなかった。


★★★★★★★★★★★


 ざばぁっ、と。

 岸辺の浅瀬で水音が上がり、ずぶ濡れになったクロエが這い上がってきた。

 漆黒のワンピースは川の水を含んで重く体に張り付いているが、彼女の足取りには一切の乱れがない。


「……計算通りです。あの程度の荷重で芯材が砕け散るなど、吊り橋の主索としては致命的……欠陥品です」


 彼女は濡れた黒髪を払いながら、淡々とした声で報告した。

 グンツは手元にあった乾いたタオルを、彼女の頭にバサリと乗せた。


「……よくやってくれた。検証データには感謝する。だが、少しは自重しろ。業者が泡を吹いて倒れたぞ」


 クロエはタオルの下から黒曜石の瞳を覗かせ、微かに首を傾げた。

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