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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第51話 金貨5000万枚の使い道

 特級迷宮『絶望の箱庭』の第10層、統括管理室。

 普段は無骨なパイプ机と図面が占拠している広大なスペースの半分が、今日ばかりは目も眩むような黄金色に埋め尽くされていた。


 人間界のバルバロス侯爵および勇者ギルド連合から支払われた、迷宮崩落の損害賠償金。

 金貨5000万枚という、一国の国家予算すら軽く凌駕する天文学的な物理質量が、麻袋から出され、あるいは木箱に詰められた状態で文字通り山と積まれている。


 その黄金の山の前で、経理担当のリーゼロッテは腕まくりをしたワイシャツ姿で、特注の大型計算用魔導具に張り付いていた。

 チャキッ、ジャラララッ。

 魔導具の漏斗状の投入口に金貨の束を流し込むと、内部の魔力センサーが硬貨の純度、重量、そして刻印の真贋をコンマ数秒で判定し、正確な枚数をはじき出していく。不良品や削り取られた硬貨が混じっていれば即座に別レーンへと弾かれる仕組みだ。


「……第45ロット、純度99.9パーセント、計10万枚。誤差ゼロ。次、第46ロットの搬入を」


 リーゼロッテは額にうっすらと汗を滲ませながらも、その手元は機械のように正確だった。彼女の視線は常に魔導具のカウンターと手元の帳簿を往復し、周囲の雑音を一切遮断した完全な集中状態にある。人間界の連中が少しでもごまかしを混ぜていれば、即座に違約条項を発動させる構えだ。


 その終わりの見えない検収作業の背後、厨房スペースでは、グンツが大型の鉄鍋と向き合っていた。

 彼が今煮込んでいるのは、分厚い豚バラのブロック肉だ。表面に強火でしっかりと焼き色をつけて旨味を閉じ込めた後、香味野菜と共に、魔界の地下深くで熟成された漆黒の『黒ビール』を鍋に丸ごと注ぎ込んでいる。

 煮立つにつれてビールのアルコールが飛び、強烈なホップの苦味と麦芽の甘みが肉の繊維の奥深くまで浸透していく。数時間かけて弱火で煮込まれた豚バラ肉は、箸で触れただけでホロホロと崩れるほどに柔らかく仕上がっており、艶やかな琥珀色の煮汁が表面にまとわりついていた。ほのかに香る八角とローリエが、濃厚な脂のしつこさを完全に消し去っている。


 さらにグンツは、作業台に数種類のバゲットとクロワッサンを並べた。

 一つ目は、全粒粉のパンに、新鮮なクレソンと平飼い鶏の卵をたっぷりとマヨネーズで和えたエッグサラダのサンドイッチ。

 二つ目は、パリッとしたバゲットに、厚く切ったブリー・チーズと、塩気のある生ハム、そして少量のイチジクのジャムを挟み込んだもの。

 三つ目は、バターの香るクロワッサンに、冷たいスモークサーモンと濃厚なクリームチーズ、ディルを挟んだサンドイッチだ。

 手軽に手で掴んで食べられ、かつ高品質な素材の味をストレートに楽しめる三種のサンドイッチ。それに濃厚な肉の煮込みを合わせることで、長時間のデスクワークで消費される脳のカロリーを完璧に補う算段だ。


「リーゼロッテ、キリのいいところで上がれ。飯だ」


 グンツが木製のプレートにサンドイッチと肉の煮込みを盛り付け、熱いブラックコーヒーを注いだマグカップをテーブルに置く。


「……第50ロットまで完了。一旦休憩にします」


 リーゼロッテが魔導具を一時停止させ、肩を回しながらテーブルについた。

 彼女は無言でフォークを手に取り、豚バラ肉に突き立てた。ナイフを入れるまでもなく、肉は自重でほろりと崩れる。そのまま口に運ぶと、黒ビールのほろ苦さと肉の脂の甘みが溶け合い、彼女の口元がわずかに緩んだ。徹夜明けの疲労した脳に、強烈なカロリーと旨味が直接叩き込まれていく。


「はぁーっ、もう限界! 朝から業者の相手ばかりで足がパンパンよ」


 リーゼロッテがサンドイッチに手を伸ばした時、隣の席にドサッと重い鞄が置かれた。いつの間にか管理室に戻ってきていたヴィオラが、ハイヒールを脱ぎ捨てながらパイプ椅子に倒れ込む。

 彼女の向かいの席には、すでにコーヒーのマグカップを手にしたステラが座っていた。


「文句を言わないの。あなたが外で愛想を振りまいてくれたおかげで、追加の機材も無事搬入できたのだから」


 ステラはバゲットのサンドイッチを齧り、甘しょっぱいイチジクのジャムの風味を味わうように目を伏せた。


「このサーモンのクロワッサン、すっごく美味しい! スモークの香りがたまらないわ」


 ヴィオラは両手でクロワッサンを持ち、次々と口に運んでいる。


「で、ステラ。発注しておいた例の品はどうなっている」


 グンツがエッグサラダのサンドイッチを平らげ、コーヒーのマグカップを手にする。


「ええ、抜かりはないわ」


 ステラが手元の鞄から数枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの空いたスペースに滑らせた。


「発注した大型魔導重機の第一陣、さっき搬入エリアに届いたわよ。指定通り、最新鋭のブルドーザーとシールドマシンも揃えてある。前金の支払いは、そこにある金貨の山からすぐに回せるわね」


「よし。これで第一歩が踏み出せる」


 グンツは机の上に置かれた巨大な図面ケースを引き寄せ、広げた。

 そこに描かれていたのは、迷宮の設計図ではない。魔界の広大な荒野を分断するように流れる、全長数百キロにも及ぶ巨大な河川の地形図だった。


「魔界全土のインフラを整備するにあたって、最大の物理的障害となるのがこの『ステュクス大河』だ。ここを跨ぐ巨大な橋を架け、大型の魔導列車と輸送トラックが同時にすれ違えるだけの物流の大動脈を構築する。それが今回の最初のプロジェクトだ」


 グンツが木炭ペンで図面の大河の中心をトントンと叩く。


「大河に橋を架ける……。言うのは簡単ですが、あの川は雨季になれば水量が三倍に膨れ上がり、流れの速さは魔界でも屈指です。水底の岩盤に橋脚を固定するだけでも、相当な困難が予想されますよ」


 リーゼロッテがコーヒーを飲みながら、現実的な懸念を口にする。


「だからこそ、最新の重機と俺の《即時建築》を組み合わせる。……食い終わったな。第一陣の重機の状態を確認しに、搬入エリアへ行くぞ」


★★★★★★★★★★★


 第1層のさらに上部、迷宮の外部と直結する広大な搬入エリア。

 グンツたちが足を踏み入れると、そこには鋼鉄とオイルの強い匂いが充満していた。

 薄暗い空間にずらりと並んでいるのは、人間の背丈の三倍はあろうかという巨大なタイヤを持つ魔導ブルドーザーや、天を突くような長いアームを折りたたんだクレーン車の群れだ。深い泥を噛むために設計された極太のキャタピラを持つシールドマシンの装甲は、叩けば鈍く重い音が返ってくる。機体の随所に魔力を流し込むための青い発光ラインが走っており、圧倒的な質量と暴力的なまでの出力のポテンシャルを静かに放っている。


「おいおい、最高のオモチャが揃ってるじゃねぇか!」


 重機の列の奥で、物流のレイラが油にまみれた工具を片手に、興奮した声を上げていた。彼女はすでに数台の魔導重機のエンジンパネルを開け、駆動系のチェックを始めている。


「シリンダーの魔力伝導率も申し分ない。これならステュクスの泥沼でも、スタックせずにガンガン資材を運べるぜ。アタシの部下たちにも早速操縦の訓練を叩き込んどくよ」

「頼む。今回の工事は、お前たち物流の搬入スピードがそのまま全体の進捗に直結するからな」


 グンツが巨大なブルドーザーの分厚い装甲を叩きながら頷いた。


「きゅんっ!」

「くぅぅ……っ」


 グンツの足元から、短い悲鳴のような鳴き声が聞こえた。

 彼についてきていた二匹の子犬、ブランとノワールだ。

 ブランは巨大なクレーンのアームの影が伸びてくると同時に震え上がり、グンツの足首に必死にしがみついた。ノワールも、魔導エンジンが放つ微かな駆動音の低周波に警戒し、耳を伏せて安全靴のつま先から離れようとしない。未知の巨大な鋼鉄の塊が放つ威圧感は、赤ん坊の彼らにとって得体の知れない恐怖だった。


「なんだお前ら、こんな鉄の塊にビビってるのか」


 グンツは苦笑し、しゃがみ込んで二匹の頭を無造作に撫でた。


「こいつらは敵じゃない。俺たちが道を作るための、頼もしい道具だ。お前らもいずれ、この重機が走る巨大な橋を渡って、外の世界のパトロールに出ることになるんだからな」


 グンツの分厚い手の感触に、ブランは少しだけ安心したように「きゅん」と鳴き、ノワールも唸るのをやめてグンツの手首をペロリと舐めた。それでも、重機からは視線を外そうとしない。


「さて、機体の確認も終わったことだし、さっそく大河への搬入ルートの選定に入りたいのだけれど」


 ステラが腕を組み、レイラに向けて声をかけた。


「予算の執行スケジュールの関係で、来週中には第一陣の橋脚の基礎資材を現地に運び込まないといけないわ。レイラ、運送の算段は立つかしら?」

「来週中? いきなり無茶言うねぇ。大河までの道はまだ整備されてない荒野だぞ。この重機と資材を運ぶだけでも相当な日数がかかるぜ」


 レイラが首の後ろを掻きながら、渋い顔をする。


 ステラとレイラが納期の現実的な日数を巡って険悪な交渉を始める中、グンツは無言で巨大なタイヤのゴムの硬さを確かめ、思考を深く潜らせていた。

 ステュクス大河の激流。数千トンの水圧が絶え間なくぶつかる過酷な環境下で、いかにして橋脚の基礎を岩盤に固定するか。流体力学に基づいた水の抵抗の分散と、魔導コンクリートの硬化速度の計算。

 彼の脳内で、物理演算のプロセスが猛スピードで組み上がっていく。


 グンツは持っていた図面ケースから丸まった羊皮紙を取り出し、重機の平らなボンネットの上に広げた。

 ポケットから木炭ペンを取り出すと、大河の断面図の底、岩盤と水流がぶつかるポイントに、複雑な多面体のブロックの形状を力強く、淀みない筆致で描き込み始めた。

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