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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第5話 悪魔のバイヤー

 特級迷宮『絶望の箱庭』の第4層は、かつてないほどの活気に満ち溢れていた。

 前回の監査騒動の折に現場監督のグンツが振る舞った、大猪の肉を極限まで柔らかく煮込んだ特製シチュー。その極上の賄い飯によって完全に士気を取り戻したオークたちは、不眠不休の疲労を吹き飛ばし、驚異的なペースで岩盤の拡張工事を進めていた。


「よし、水路の幅はこれで指定通りだ! 基礎の石組みも終わったぞ!」


 泥だらけになったオークの代表が、誇らしげに鶴嘴を肩に担いで報告にやってきた。彼らが掘り抜いたのは、幅20メートル、深さ5メートルにも及ぶ巨大な人工水路である。グンツは彼らに労いの言葉をかけ、冷たい魔力水がたっぷり入った木樽を差し入れる。


「よくやってくれた。お前らの頑張りのおかげで、予定より半日も早く基礎工事が終わった。今日はもう全員上がって、待機所でゆっくり休んでくれ」


 オークたちが歓声を上げて引き上げていくのを見送りながら、グンツは愛用のヘルメットを被り直し、完成したばかりの巨大な水路を見下ろした。

 広報担当のヴィオラが街に流した誇大な宣伝によって、数日後にはこの迷宮に総勢数百人規模の大規模な討伐隊が押し寄せてくる。現在、その先遣隊として50人規模の重装騎士団がすでに第1層を突破し、この第4層へと着実に歩みを進めていた。


 グンツは図面を睨み、鋭い眼光で水路の構造を再確認する。


(……基礎の構造は完璧だ。だが、肝心の罠の威力が決定的に足りない)


 グンツの計画では、この巨大な水路に致命的な液体を満たし、重装備の騎士たちを一網打尽にする予定だった。しかし、相手は魔法に対する高い耐性を持つ一流の冒険者たちだ。単なる水を流し込んで溺れさせようとしても、高位の氷結魔法を操る魔術師がいれば、水路ごと一瞬で凍らせて足場にされてしまう。

 彼らの分厚い魔法合金の鎧を貫き、一切の反撃を許さずに無力化するためには、ただの水ではなく、あらゆる金属を瞬時に溶かす化学的な猛毒が必要だった。


「リーゼロッテ。どうしても強酸スライムが必要だ。それも、この巨大な水路を満たせるだけの量、最低でも大樽で100樽分はいる」


 グンツが背後で計算用の魔導具を叩く経理担当のリーゼロッテに振り返ると、彼女は冷たい目でピタリと手を止めた。


「強酸スライムですか。彼らが分泌する溶解液は確かに魔法金属すら容易く溶かしますが、希少性が高く、市場での取引価格は非常に高価です。大樽1樽につき、闇市での最安値でも金貨50枚は下りません」


 リーゼロッテは鉄のバインダーを開き、冷酷な数値を突きつける。


「100樽となれば、合計で金貨5000枚。……グンツさん、現在の当迷宮の予算を忘れたとは言わせませんよ。金貨0枚です。どこをどうひっくり返しても、そんな莫大な資金は出てきません」


「くそっ……。だが、強酸スライムの溶解液がなければ、あの重装騎士団の進行を止めることはできない。防衛ラインを突破されれば、この迷宮は終わりだぞ」


 グンツが焦燥感に駆られて頭を抱えた、その時だった。


「あら、そんなに深刻な顔をしなくてもいいのよ、グンツ」


 コツ、コツと、冷たい石畳に不釣り合いな高いヒールの音が響き渡った。

 薄暗い洞窟の奥から現れたのは、魔界の高級ブランドで仕立てたスリットの深い真紅のタイトドレスを纏う、息を呑むほどに美しい女性だった。

 プラチナブロンドの豊かなウェーブヘアをかき上げ、挑発的な笑みを浮かべている。セイレーンの上位種であり、魔王軍調達部の資材調達責任者と法務顧問を兼任する、ステラ・マリスだ。


「ステラ……。なぜお前がここにいる」


「可愛い現場監督が、罠の素材不足で困っているという話を聞いてね。調達部として、注文通りの品を配達してあげたわ」


 ステラが優雅に指を鳴らすと、彼女の背後の空間が魔法陣によって大きく歪み、次々と巨大な木製の樽が転がり出てきた。その数は優に100樽を超えている。樽の隙間からは、エメラルドグリーンに怪しく発光する粘液がわずかに漏れ出しており、床の石材をジュウジュウと音を立てて溶かしていた。

 紛れもなく、最高純度の強酸スライムたちだ。


「なっ……100樽分、丸々揃っているだと!?」


 グンツが目を剥いて驚く横で、リーゼロッテが目を細め、鉄のバインダーを構えながらステラに詰め寄った。


「金貨5000枚の代金を、予算ゼロの状況で一体どうやって支払ったのですか? まさか、どこかの業者から力尽くで強奪してきたんじゃないでしょうね」


 疑いの目を向けるリーゼロッテに対し、ステラは心外だと言わんばかりに美しい唇を尖らせた。


「人聞きの悪いことを言わないで。私は野蛮な暴力なんて使わないわ。ちゃんと人間の街の商人から、合法的な契約書を交わして買い受けてきたのよ。……ええ、とても適正な価格でね」


「適正な価格だと……? 一体どんな手を使ったんだ」


 グンツの顔が引き攣った。ステラが「適正」と呼ぶ商談が、まともな結果に終わった試しがないからだ。

 ステラはふふっと妖艶に笑いながら、当時の状況を語り始めた。


「簡単なことよ。昨日、人間の街で一番あこぎな商売をしている商会に足を運んだの。そこの太った会長は、私が魔王軍の仕入れ担当だと知るや否や、足元を見てきたわ。ただの緑色に色を塗っただけの通常のスライムを、希少な強酸スライムだと偽って高値で売りつけようとしたのよ」


「偽物だと?」


「ええ。私のもつ相場眼のスキルを舐めすぎね。一目見ただけで、原価が銅貨1枚にも満たない偽物だとわかったわ。だから私は、彼にこう提案してあげたの。『素晴らしい品質ね。ぜひ大口で契約したいわ。ただし、もし納品された品が偽物であった場合、魔王軍に対する重大な詐欺行為として、違約金として金貨1万枚を請求する』とね」


 ステラはドレスの胸元から、一枚の古い羊皮紙を取り出してヒラヒラと振った。


「商人の男は、私の魅惑の歌声の魔法を少しだけ混ぜた声色にすっかり思考を鈍らせて、鼻の下を伸ばしながらその絶対契約の魔法が込められた羊皮紙にサインしたわ」


「……それで、契約成立後に偽物だと突きつけたわけか」


「その通りよ。契約が成立した瞬間、彼が用意していた偽物のスライムの正体を指摘してあげたの。男は顔面蒼白になって震え上がったわ。違約金の金貨1万枚なんて、小さな商会に払えるはずがないもの。だから私は、慈悲深くこう言ってあげたのよ」


 ステラはグンツの顔にスッと顔を近づけ、甘く危険な香りを漂わせながら囁いた。


「『もし、あなたの倉庫の奥に隠してある本物の強酸スライムを100樽、すべて私に無償で譲渡してくれるなら、今回の詐欺未遂は見逃してあげる』ってね。結果として、違約金と相殺する形で、この最高品質の強酸スライムたちをタダで仕入れてきたというわけ。送料も向こう持ちよ。どう? 私の完璧な調達手腕は」


「……悪魔か、お前は」


「セイレーンよ。さぁ、資材は揃えたわ。あとは特級建築士のお手並み拝見ね」


 グンツは深いため息を吐いたが、その目には確かな職人の光が宿っていた。

 これだけ極上の資材が揃えば、あとは彼の腕次第だ。


「オークたちは休ませているから、ここからは俺一人の作業だ。リーゼロッテ、備蓄庫から耐酸ガラスの廃材と、石灰岩のブロックをありったけ運んでくれ。急ぐぞ」


 グンツは《即時建築》の魔法を起動した。

 彼はリーゼロッテが運んできた分厚い耐酸ガラスを魔法の力で熱して変形させ、水路の天井部分に巨大な密閉タンクと、複雑なパイプラインを寸分の狂いもなく組み上げていく。


「強酸スライムたちには絶対に直接触れるな。彼らは環境の変化に敏感だ。天井のタンクの内部には、魔力をたっぷり含ませた新鮮な肉片を敷き詰めろ。彼らが快適に過ごせる環境を作ってやれば、防衛の瞬間に最高の溶解液を分泌してくれる」


 グンツは自ら慎重に樽を開け、スライムたちを傷つけないよう、安全なガラスのパイプラインを通じて天井の巨大タンクへと優しく移送していく。彼はどんなに危険なモンスターであっても、自らの部下としてその労働環境の確保を怠ることはなかった。


 数時間後。

 天井に巨大な透明タンクが設置され、その中を緑色に発光するスライムたちが気持ちよさそうに泳ぎ、底には彼らが分泌した大量の強酸が溜まる、完璧な防衛水路が完成した。


★★★★★★★★★★★


 それから間もなくして、第4層の巨大水路に重々しい足音が響き渡った。

 人間の街から送り込まれた、大規模討伐隊の先遣部隊である50人の重装騎士団だ。彼らは分厚いミスリル合金の鎧に身を包み、いかなる物理攻撃も弾き返す巨大な盾を構えていた。


「ハッ、見ろ! 水路の水は完全に干上がっているぞ! 魔王軍の罠もついに底を突いたか!」

「このまま一気に最深部まで制圧するぞ! 我らの無敵の盾の前に、敵などいない!」


 騎士団の隊長が傲慢な笑い声を上げ、部下たちを引き連れて干上がった水路の底を堂々と行進していく。

 監視室の水晶でその様子を見ていたグンツは、手元の起動レバーにそっと手をかけた。


「無敵の盾、か。確かにその分厚い金属を物理的に叩き割るのは骨が折れる」


 グンツの口角が、冷酷に吊り上がる。


「だが、お前たちの自慢の金属鎧は、強酸スライムたちにとっては極上のご馳走でしかないんだよ。……散布開始」


 グンツがレバーを引き下ろした瞬間、水路の天井に設置されていた耐酸ガラスのバルブが一斉に開いた。

 天井から降り注いだのは、スライム本体ではない。タンク内で安全かつ快適に過ごす強酸スライムたちが分泌した「極上の溶解液」のみを濾過して降らせる、緑色に輝く酸の豪雨だった。


「な、なんだこの緑色の雨は……!?」

「ぎゃあああっ!? 盾が、俺のミスリルの盾が溶けていくっ!?」


 水路内に、騎士たちの絶叫と金属が激しく泡を立てて溶ける音が響き渡った。

 強酸の雨は、彼らが誇る絶対の防御を薄紙のように溶かし去っていく。騎士たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、グンツは別のレバーを引き、安全なスロープ状のガラスパイプを開通させた。そこから、満を持して強酸スライムたちが水路の底へと優しく滑り降りてくる。


 彼らは丸腰になった騎士たちを直接傷つけることはなく、ただ彼らが脱ぎ捨てた金属の鎧や武器の残骸に群がり、ご馳走を美味しそうに溶かして捕食し始めた。肌を刺すような酸の蒸気と、無数のスライムに包囲された騎士たちは、もはや一歩も前へ進むことはできなかった。


「て、撤退だ! 今すぐ帰還の転移石を使え!! こんな狂った罠、防ぎようがないぞぉぉっ!!」


 隊長が半狂乱になって叫び、残った魔力を振り絞って転移石を叩き割る。

 次々と光の柱が立ち上がり、50人の重装騎士団は誰一人として剣を振るうことすらできず、鎧を食い尽くされた無様な姿で人間界へと逃げ帰っていった。


★★★★★★★★★★★


「……対象の完全離脱を確認。これで防衛完了だ」


 監視室のパイプ椅子に深く腰掛けたグンツは、安堵の息を吐いて首を鳴らした。


「見事な調達と、完璧な設計でした。相手が残していった半ば溶けかけた金属の塊だけでも、精製し直せば十分な利益が出ます。今回も費用対効果は圧倒的ですね」


 リーゼロッテがバインダーに数値を書き込みながら、満足げに頷く。


「ふふっ、私の仕入れてきた可愛いスライムたち、いい仕事をしたでしょう?」


 ステラがグンツの背後からスッと身を乗り出し、彼の広い肩に艶やかな腕を絡ませた。


「これだけ大きな利益を出してあげたんだもの。今夜はグンツの特別な手料理と、極上のワインで私をもてなしてくれるわよね?」


 耳元で甘く囁くセイレーンの声に、グンツは大きくため息をついた。


「わかった、わかったから離れろ。前の監査の時に残った大猪の肉の切れ端があるから、それで燻製でも作ってやる」


 強大な勇者の軍勢よりも、予算に厳しい経理や、悪魔のような手腕を持つバイヤーの女性たちに囲まれているこの職場の方が、よほど神経をすり減らす。

 特級迷宮建築士の頭痛の種は尽きず、彼の平穏な日々はまだ当分訪れそうにないのだった。

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