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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第4話 違法な労働環境

 特級迷宮『絶望の箱庭』の再建作業は、苛烈を極めていた。

 前任者が予算を横領し尽くした結果、この広大な地下迷宮には魔力を動力とする重機や、自動で岩盤を削るような便利な魔法具は一切残されていなかった。

 頼れるのは、泥と汗にまみれて働く現場の作業員たち――すなわち、グンツの指揮下で働くオークやゴブリンたちの純粋な「腕力」のみである。


「そこの壁面、もう少し深く掘り下げろ! 次に来る勇者は水棲系の魔物を使役する可能性がある。水路の幅をあと半メートル拡張するんだ!」


 第4層の広大な洞窟エリアに、特級迷宮建築士グンツの怒号が響き渡る。

 彼は愛用のヘルメットを被り、図面を片手に現場を走り回っていた。彼の即時建築の魔法を発動させるための基礎作業は、すべて部下たちの純粋な腕力に頼らざるを得なかった。


 ガキン、ガキンと、硬い岩盤を鶴嘴で叩く音が洞窟内に響く。

 しかし、その音には明らかに力がなく、作業のペースは日を追うごとに落ちていた。


「……監督ぅ、もう無理っすよ。腕が上がらねぇっす……」


 筋肉隆々の大柄なオークの一人が、ついに鶴嘴を床に放り投げて座り込んだ。

 それを皮切りに、周囲で働いていた十数人のオークたちも次々と作業を止め、重い腰を下ろしてしまう。彼らの全身は土埃で汚れ、その目は疲労と空腹で落ち窪んでいた。


「どうした、お前ら。俺は昨日、『お前らはもう十分やったから奥の待機所で休んでろ。基礎工事の遅れは、俺が一人でなんとかカバーする』と指示したはずだぞ」


 グンツが顔をしかめて歩み寄ると、オークの代表格である男が恨みがましい、しかしどこか申し訳なさそうな目を向けてきた。


「休めって言いますけどね監督。俺たち、不器用な監督一人に無茶な徹夜作業を押し付けて、自分たちだけ休むなんてできねぇっすよ。だからここ3日間、自主的にまともな休憩も取らずに岩を砕き続けてるんす。でも……もう限界っす。支給される飯といったら、塩を振っただけの硬い干し肉と、泥水みたいな薄いスープだけっす。こんな飯じゃ、岩を砕く力なんて出ねぇっすよ」

「そうだそうだ! 前の辺境ダンジョンにいた頃は、もっとマシなもん食わせてもらってたっすよ!」

「ステラさんの手配した新鮮な食料の輸送車が、ヴィオラさんの釣ってきた別の勇者パーティに襲われて届かないせいで、備蓄の不味い干し肉しかねぇっす! 魔力ポーションだって配給されてねぇっすよ! こんな過酷な現場、もうやってられないっす! 俺たちは一旦、作業を放棄して寝させてもらうっす!」


 オークたちが口々に不満を爆発させ、ついに労働争議の構えを見せ始めた。

 彼らの言うことはもっともだった。営業のヴィオラが勝手に無茶な納期の仕事を呼び込んでしまい、現場のスケジュールは崩壊していた。オークたちはグンツを慕うあまり、彼の期待に応えようと自発的にブラックな労働環境に身を投じてしまっていたのだ。


「……すまない。お前らの言う通りだ」


 グンツは一切の言い訳をせず、深く頭を下げた。他部署のミスや不運が重なったとはいえ、結果として大事な部下に限界まで無理をさせてしまった。現場の責任者として、彼らの自己犠牲的な忠誠心に甘えてしまった自分を激しく恥じた。


「……あら。現場の責任者が、ずいぶんと殊勝な態度ですね」


 その時、静まり返った洞窟内に、コツ、コツという硬質な足音が響いた。

 振り返ると、そこには漆黒のタイトな軍服風スーツを隙なく着こなした長身の女性が立っていた。

 年齢は20代後半に見えるが、その威圧感は歴戦の将軍のようだった。浅黒い肌の首筋には黒い鱗がうっすらと浮かび上がり、冷たく光る金色の爬虫類眼が、現場の惨状を鋭く見据えている。


「ゼノビア……なぜ、お前がこんな最前線にいる」


 グンツは驚きのあまり声を漏らした。

 ゼノビア・ドラグニル。魔王軍人事部の労務管理課に所属する、首席人事監査官。魔王軍の法令順守を司る、竜人族の冷徹なエリートである。


「なぜ、ですって? 当然でしょう。第4工兵師団の所属作業員たちの労働時間と、支給されている魔力カロリーの数値が、規定の基準を大きく下回っているという警告が監査部の魔導具に届いたからです」


 ゼノビアは分厚い教本のような魔導書を開き、冷酷な声で読み上げた。


「連続労働時間、規定値を20パーセント超過。食事による栄養補給率、必要基準の半分以下。現場の不満係数はレッドゾーン。……グンツ。あなたは部下思いの優秀な現場監督だと評価していましたが、買い被りだったようですね。結果としてこのような劣悪な環境で部下を酷使するなど、魔界労働基準法への明確な違反です」


 彼女の背後に立つ空間が歪み、重圧のような強烈な魔力が漏れ出した。竜人族特有の、圧倒的な威圧感だ。オークたちはその気配に震え上がり、さらに身をすくませた。


「待ってください、ゼノビア監査官。これには理由があるのです」


 いつの間にか背後に現れていた経理担当のリーゼロッテが、鉄のバインダーを抱えて弁明に立った。


「現在、当迷宮は予算が完全に枯渇しておりまして、私と調達部のステラで懸命に資金をやり繰りしていますが、迫り来る勇者を迎撃するための最低限の罠の素材を買うだけで精一杯なのです。作業員たちに良質な食事を提供するだけの予算は、金貨1枚たりとも残されていません。それに加え、食料輸送の遅延という不測の事態も重なりました」


「予算不足や他部署のトラブルは、労働環境を悪化させてよい免罪符にはなりませんよ、リーゼロッテ管理官」


 ゼノビアは一歩も引かなかった。


「法令は絶対です。労働者が十分な休息と対価を得られない組織は、必ず内部から崩壊します。……グンツ。残念ですが、人事部の権限において、この特級迷宮の再建作業に即時業務停止命令を下します」


「待て! それは困る!」


 グンツは声を荒らげた。


「3日後には、ヴィオラの馬鹿が宣伝で釣ってきた大規模な討伐隊がこの第4層に到達するんだ! 今ここで工事を止められたら、罠の設置が間に合わなくなる。防衛ラインを突破されれば、この迷宮の核が破壊されるぞ!」


「それは現場の怠慢と組織の連携不足が招いた結果です。従業員の命と健康を犠牲にして成り立つ防衛など、魔王軍には必要ありません」


 ゼノビアの冷たい宣告に、グンツは奥歯を強く噛み締めた。

 彼女の言うことは完全に正しい。部下を守れない上司など、ただの無能だ。しかし、この迷宮を守り抜き、彼らの居場所を死守することもまた、彼の絶対の任務であった。


 グンツは深く息を吸い込み、ゼノビアを真っ直ぐに見据えた。


「……ゼノビア。お前の判断は正しい。俺は現場監督として失格だ。だが、この防衛戦だけはどうしても諦めるわけにはいかない。お前も、魔王軍が敗北するのを見たくはないだろう?」


「……法を曲げることはできませんよ」


「法は曲げなくていい。ただ、猶予をくれ。俺に1時間だけ時間をくれれば、この現場の労働環境を劇的に改善してみせる。オークたちに、極上の福利厚生を提供してやる。もしそれができたら、今回の業務停止命令は取り下げてくれ」


 ゼノビアは目を細め、怪訝そうにグンツを見た。


「予算が金貨0枚の状況で、どうやって極上の福利厚生を用意するというのですか?」


「俺を誰だと思ってる。無から有は作れなくても、あるものを最高のものに作り変えるのが、特級迷宮建築士の仕事だ。……お前ら、1時間だけそのまま休んでろ!」


 グンツはそう言い残すと、驚くリーゼロッテとゼノビアを置き去りにして、足早に現場の奥にある仮設食堂へと駆け出していった。


 1時間後。

 冷たく埃っぽい洞窟の第4層に、突如として信じられないほど芳醇な香りが漂い始めた。

 それは、濃厚な獣の脂が焦げる匂いと、刺激的な香辛料、そして何時間も煮込まれたかのような深みのあるスープの香りだった。


「……な、なんだこの匂いは……腹が鳴りやがるっす……」

「おい見ろ! 監督が何か持ってきたっすよ!」


 オークたちが鼻をヒクつかせて立ち上がると、通路の奥からグンツが巨大な鉄鍋を乗せた台車を押してやってきた。鍋からはもうもうと湯気が立ち上り、グツグツと煮え立つ音が空腹の作業員たちの理性を激しく揺さぶった。


「待たせたな、お前ら。特製賄い料理の完成だ」


 グンツは鍋の蓋を豪快に開け放った。

 中には、赤ワイン色の濃厚なシチューがなみなみと満たされていた。ゴロゴロと入った巨大な肉の塊が、とろけるような輝きを放っている。


「なんだ、この素晴らしい料理は……。いったい何の肉を使っているのですか?」


 ゼノビアが驚きを隠せない様子で鍋を覗き込んだ。


 グンツはニヤリと笑って答えた。


「備蓄庫の奥で長年凍っていた、とびきり上等なオーク肉のシチューだ」


 その瞬間、現場の空気が完全に凍りついた。


「「「お、オーク肉だとぉっ!?」」」


 オークの作業員たちが悲鳴を上げて一斉に後ずさりした。ゼノビアの顔からも血の気が引き、金色の瞳が信じられないものを見るように見開かれる。


「グンツ……あなた、いくら食料の到着が遅れているからといって、まさか……戦死した彼らの同胞を……?」


 ゼノビアの声が怒りで震え、彼女の腕に黒い竜の鱗がびっしりと浮かび上がった。人事監査官として、いや、魔王軍の幹部として絶対に許されない非人道的な行為だ。


「馬鹿野郎、早とちりするな!」


 グンツは慌ててお玉を振り回し、今にも竜化して襲いかかってきそうなゼノビアを止めた。


「俺が大事な部下に同族を食わせるわけがないだろうが! これは大猪と呼ばれる、巨大な牙を持つ食用魔獣の肉だ。人間界の言語で豚のことをオークと呼ぶから、市場では通称オーク肉って呼ばれてるだけだ! お前ら誇り高き亜人のオーク族とは全く無関係の、ただの美味い魔豚の肉だよ!」


「……な、なんだ。そういうことですか……」


 ゼノビアはほっと息を吐き、腕の鱗を鎮めた。オークたちも安堵して胸を撫で下ろしている。


「脅かさないでくださいよ、監督……。でも、なんでそんな美味そうな肉が備蓄庫に? それに、この短い時間でどうやってこんなにトロトロに煮込んだんすか?」


「調達部のステラが、以前人間の商人からタダ同然で巻き上げてきた冷凍保存肉の余りだ。筋繊維が硬すぎて誰も食わずに長年放置されていたから、俺の建築技術で調理した」


 グンツは胸を張って種明かしをした。


「硬い肉は、俺の《即時建築》で現場の廃棄予定だった巨大な歯車と鉄板を組み合わせて『超重量級の自動肉叩き機』を即席で造り上げ、硬い筋を物理的に徹底的に叩き潰したんだ。煮込み時間も、分厚い耐火煉瓦と鉄扉を使って密閉性が異常に高い『超高圧の石窯』を建築し、そこに廃材をくべて一気に熱を通した。俺たち建築士の、ただの土木工事の応用技術だよ」


 彼は大きな木製のボウルにシチューをたっぷりと盛り付け、オークの代表に手渡した。


「さぁ、食え。現場で働く男には、美味い飯と十分なカロリーが必要だ。これまで無理をさせて本当に悪かったな」


 オークは震える手でボウルを受け取り、大きなスプーンで肉の塊を口に放り込んだ。

 瞬間、彼の目から滝のように大粒の涙が溢れ出した。


「……う、うめぇ……っ! プレス機で叩かれた肉が、口の中でとろけるっす……! スープの味が、疲れ切った骨の髄まで染み渡りやがる……っ!」


「俺にもくれっす!」

「順番を守るっす! 監督、大盛りで頼むっす!」


 オークたちは先を争うようにシチューに群がり、無我夢中で貪り食い始めた。

 特製シチューに込められた豊富な栄養と魔力が、彼らの肉体を急速に回復させていく。落ち窪んでいた目には輝きが戻り、萎びていた筋肉がパンプアップして逞しく膨れ上がっていった。


「うおおおおっ! 力が湧いてきたぜぇっ!!」

「監督の極上の飯を食ったからには、このまま寝るわけにはいかねぇっす! おいお前ら、鶴嘴を持て! 今日中にこの第4層の拡張工事を終わらせるっすよ!」

「おうっ!!」


 美味しい賄い飯という究極の福利厚生を得たオークたちの士気は、先ほどまでの疲労が嘘のように爆上がりした。彼らは自発的に立ち上がり、恐ろしいスピードで岩盤の採掘作業を再開した。その勢いは、失われた重機すら凌駕するほどだ。


 グンツは満足げに頷き、そしてゼノビアの方を振り向いた。


「どうだ、ゼノビア監査官。作業員たちの疲労も不満も完全に解消された。これで、業務停止命令は取り下げてもらえるな?」


 ゼノビアは、活気に満ち溢れた現場の様子と、彼らの満足げな顔を交互に見て、小さくため息をついた。


「……魔導具の数値も、疲労度ゼロ、現場への忠誠心が上限を振り切っています。どうやら、建築魔法の使い道としては極めて異端ですが、あなたの現場監督としての手腕は確かなようですね」


 ゼノビアは教本を閉じ、厳しい表情を少しだけ緩めた。


「今回の監査は、問題なしとして報告しておきましょう。ただし……」


 彼女はスッとグンツの前に木製のボウルを差し出し、ほんのわずかに頬を染めて視線を逸らした。


「……監査官として、提供されている食事の品質を自ら確認する義務があります。私にも、そのシチューを一杯いただけますか?」


「あぁ、いくらでもある。たらふく食っていけ」


 グンツは苦笑しながら、ゼノビアのボウルにたっぷりとシチューを注いでやった。


 こうして、労働環境の危機はグンツの機転と建築技術の応用によって見事に回避された。

 特級迷宮の完成に向けて、現場の士気は最高潮に達している。しかし、ヴィオラが釣ってきた大規模な討伐隊の足音は、確実にこの地下迷宮へと迫っていた。

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