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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第3話 死のデバッグ検証

 特級迷宮『絶望の箱庭』の地下第3層。

 かつては「針の山」として恐れられ、侵入者の足をズタズタに引き裂いて数多の命を飲み込んできたその長い通路は、前任者のずさんな管理のせいで見る影もなく荒れ果てていた。

 床一面に敷き詰められていたはずの鉄杭は赤茶色に錆びついて無残に折れ曲がり、もはや子供の靴底すら貫けないただのスクラップ置き場と化している。


 その薄暗く埃っぽい空間に、カン、カン、という硬質な金属音が規則正しく響き渡っていた。


 額に汗を浮かべ、真剣な眼差しで巨大な壁画のような装置と向き合う男の姿がある。

 魔王軍第4工兵師団所属、特級迷宮建築士のグンツ・アーキテクトだ。

 彼は右手に愛用の大型スパナを握り、左手で分厚い羊皮紙の図面を広げながら、通路の壁面に新しく設置した三連装・全方位射出針の最終調整を行っていた。


「……軸の振れは0.1ミリ以内。射出時の魔力伝達ロスも許容範囲内に収まっている。リーゼロッテ、そっちの圧力弁の数値はどうなっている?」


 グンツが背後へ呼びかけると、少し離れた安全な位置で計算用の魔導具を弾いていたダークエルフの経理担当、リーゼロッテが、知的な鼻眼鏡を中指で押し上げて答えた。彼女の分厚い鉄のバインダーには、これまでの資材購入の領収書がぎっしりと挟まれている。


「圧力は極めて安定しています。前回の粉塵爆発騒動で手に入れた高位勇者の装備品を売り払い、その金貨120枚の売却益を全額注ぎ込んで、人間の街の闇市から高純度の銀材を買い付けた甲斐がありましたね。その銀を射出機構の主要部品や針の先端に贅沢にコーティングしたことで、対象が展開する魔法障壁への貫通力は理論上15パーセント向上しています」


「金貨120枚という貴重な予算を、この層の罠に全部注ぎ込んだんだ。これくらいの性能は出てもらわなきゃ困る。……よし、これで俺の即時建築の魔法による基盤の岩盤固定は完了だ」


 グンツは愛用のヘルメットを脱ぎ、作業着の袖で額の汗を拭った。

 彼の魔法は、適切な物理的資材さえ用意できれば、巨大な構造物であっても瞬時に岩盤へと強固に固定できるという、現場において極めて実用的な技術だった。


 彼らがこの強力な罠を、昼夜を問わず急ピッチで作り上げたのには理由があった。

 広報担当のサキュバスであるヴィオラが、またしても人間界の酒場で「この層には幻の宝具が隠されている」という誇大な噂を流したのだ。その結果、近々レベル50を超える超重量級の重騎士パーティがここを訪れるという確かな情報が魔王軍の諜報部から入っていた。


「理論上の設計は完璧だ。あとは……実際に想定通りの軌道で当たるかどうかだな」


 グンツが腕を組んでそう呟いた、その時だった。


「……やり直し、です」


 背後から、周囲の温度を数度奪うような、ひんやりと静かな声が響いた。


 グンツは思わず肩を跳ねさせた。達人級の盗賊でさえ足音を立てるこの瓦礫の山で、気配が全くなかったのだ。

 彼がゆっくりと振り返ると、そこには一人の少女が音もなく立っていた。

 年齢は23歳。全く日の光を浴びていない雪のように病的で白い肌と、綺麗に切り揃えられた艶やかな黒髪。何を考えているか読み取れない無機質な瞳は、光を吸い込む深淵のような黒色を湛えている。時折、彼女の薄い唇から鋭い犬歯がわずかに覗いていた。


 彼女は機動性を重視した漆黒のタイトなボディスーツに、無数の魔力計器や衝撃を測るセンサーが編み込まれた特殊な分厚いジャケットを羽織っている。


「クロエ……お前、いつからそこにいた」


「……3分と12秒前。グンツさんの左手側の締め付け作業が、規定の力よりわずかに甘かった時から」


 彼女の名前はクロエ・バスカヴィル。

 魔王軍品質保証部から派遣されてきた、首席迷宮検証官である。

 彼女は高位の吸血鬼の血を引いており、たとえ心臓を銀の杭で貫かれようと、体がバラバラに引き裂かれようと、わずか数分で元の姿に再生する驚異的な回復力と不死性を持っていた。


「やり直しと言ったか? この罠のどこに不備があると言うんだ。俺が持つ構造解析のスキルと長年の経験の組み合わせでは、完璧な死角なしの配置になっているはずだぞ」


「……机上の計算における完璧と、実戦における確実性は別物です。グンツさん、この罠には……致命的な欠陥があります。勇者が生存できる隙間を、私が今から自らの体で証明します」


 クロエは表情ひとつ変えることなく、無数の射出針が向けられた真正面、本来なら侵入者が立つべき死のポイントへと躊躇いもなく歩き出した。


「おい、待てクロエ! 冗談じゃない、まだ試射もしてないんだぞ!」


 グンツは慌てて工具を放り出し、彼女を止めようと手を伸ばした。

 彼には「部下や仲間を絶対に犠牲にしない」という鉄の掟がある。いくら彼女が吸血鬼で不死の再生能力を持っていると頭では理解していても、仲間がわざわざ自らを痛めつけようとするのを平然と見過ごせるような男ではなかった。


「……グンツさん、私はこの仕事のプロです。中途半端に生存の可能性を残した罠を世に出すのは、特級迷宮建築士としてのあなたの誇りと名誉を傷つけることになります。……起動してください。私が自ら受けて、実地検証を行います」


 クロエは通路の中央で立ち止まり、両腕を大きく広げて目を閉じた。まるで神の啓示でも待つかのような、神聖さすら感じる佇まいだった。

 リーゼロッテが静かに歩み寄り、グンツに声をかけた。


「グンツさん。彼女も、品質保証部の人間として自分の仕事に強い誇りを持っています。それに、彼女の命懸けの計測データがなければ、次に来るレベル50の重装甲の猛者を確実に仕留めることはできません。防衛に失敗すれば、魔王軍は終わりです」


「……くそっ、頭ではわかってる。だが、いくら仕事のためとはいえ、仲間に向かって死の罠を作動させるなんて、俺には絶対にできない!」


 グンツは頑なに起動盤から手を離し、首を横に振った。彼がどれだけ上層部から理不尽な要求を突きつけられようとも、決して曲げることのない職人としての、そして上司としての矜持だった。


「……ならば、私がやります」


 クロエの静かな声が響いた直後だった。

 彼女の足元に落ちていた影が不自然に伸び、その影の中から真っ黒な蝙蝠の群れが飛び出した。蝙蝠たちは一直線にグンツの元へ向かうと、彼の手から魔力を操作する起動盤を強引に弾き飛ばし、それをクロエの手元へと運んだ。


「なっ……やめろクロエ! 待て!」


 グンツが血相を変えて叫び、彼女に向けて手を伸ばす。

 しかし、クロエの催促する声には、微かな熱と狂気が帯びていた。


「……検証、開始します」


 クロエは迷うことなく、自らの手で起動盤のボタンを力強く押し込んだ。


 カチッ、という小さな機械音が通路に響いた。

 次の瞬間、大気を鋭く切り裂くような恐ろしい金属音と共に、24本の銀でコーティングされた太い鉄針が、目にも留まらぬ速さで全方位の壁から一斉に射出された。


 シュバッ!!

 ドスッ、ドスッ!!


 鈍く重い肉を裂く音が連続して響き、第3層の通路が静寂に包まれる。

 グンツは息を呑み、目を大きく見開いた。

 通路の中央で、クロエの細い体は12本の太い針によって完全に宙に浮いた状態で串刺しになっていた。両肩、脇腹、太腿、そして胸元。吸血鬼の透き通るような白い肌が、瞬く間に赤黒い鮮血に染まっていく。血の滴る音が、冷たい石畳の床に響く。


「クロエ!」


 グンツが駆け寄ろうとしたが、クロエは震える手を小さく挙げてそれを制止した。

 彼女は口端から一筋の濃い血を流しながら、痛みに顔を歪めるどころか、うっとりとした、どこか狂気を感じさせる恍惚の表情で自分の体に突き刺さった冷たい針を眺めていた。自身の肉体が破壊される痛みを、至高の芸術を味わうかのように享受している。


「……あぁ、……なんて、素晴らしい、濃密な殺意……。魔力の浸透速度、針の硬度、軌道の美しさ、どれをとっても申し分ありません……。私の柔らかな肉を骨ごと貫き、確実に命を刈り取ろうとするこの完璧な設計……最高、です……」


 彼女は震える手で懐から防水加工された記録用の羊皮紙を取り出すと、自らの血に濡れた指をペンの代わりにして、狂気的な速度で何かを書き込み始めた。


「……ですが、グンツさん……。左側面の壁から3番目の射出角……。ここだけ、外側に開いています。岩盤の微妙な歪みの影響ですね。そのせいで……」


 クロエは自分の心臓のすぐ横、わずか数ミリだけ針が逸れた場所を血まみれの指で指し示した。


「……ここを、致命傷となる軌道が避けてしまっています。確率にして、生存率0.5パーセント。……非常に高い動体視力と回避技術を持った一流の勇者なら、この針の嵐の中でも、体を捻ることで完全無傷のまま生き残れる隙間が、存在してしまいます」


 そこまで言い切ると、クロエの体がプツンと糸が切れたように力なく崩れ落ちた。

 針が彼女の体を空中に固定していたが、すぐに吸血鬼の凄まじい超再生能力が発動し、傷口の肉が自らの意志を持つかのように蠢き、盛り上がって自ら針を押し出すようにして抜けていく。ドサリと石の床に落ちた彼女の体に、地面に溜まった血がまるで巻き戻される映像のように傷口へと吸い込まれていった。破壊された内臓も、千切れた筋肉も、瞬時に元の状態へと再構築されていく。


 わずか数分後。

 クロエは何事もなかったかのように立ち上がり、破れた衣服の汚れを軽く手で払った。顔色は相変わらず青白いが、怪我は完全に治癒している。


「……修正、お願いします。この死因記録に、欠陥を埋めるための最適な座標をまとめました」


 グンツは彼女から手渡された、血みどろの羊皮紙を受け取った。

 そこには、筆舌に尽くしがたい痛みに耐えながら彼女が冷静に計測した、あまりにも正確で冷徹な軌道計算の数値が並んでいた。


「……0.5パーセントの隙か。俺が持つ構造解析のスキルでも見落としていた微細な岩盤のズレだ。お前が無理矢理体を張って実証してくれなければ、気付けなかった」


 グンツは自嘲気味に笑った。

 彼が頭の中でどれだけ完璧な設計図を引こうとも、実際に何百年も放置された現場で組み上げれば、資材の個体差や地脈の微妙な振動で必ず狂いが生じる。そのわずかな狂いを自らの血と肉で埋めるのが、彼女の命懸けの検証なのだ。


「……リーゼロッテ、急いで修正に入る。右側の射出ユニットを一度壁から解体して、基部を0.3ミリだけ左にずらして再固定する」


「承知しました。追加の固定用ボルトの費用は、今後の予算からなんとか捻出します。予備の銀素材が少し足りなくなるかもしれませんが……よろしいですね?」


「ああ、構わん。0.5パーセントでも生存の隙間があるなら、それは侵入者を殺す罠じゃない。ただの少し危険な障害物だ。……クロエ、よくやってくれた。検証データには感謝する。だが、二度とあんな無茶はするな。お前が平気でも、見ているこっちの心臓が持たないんだよ」


「……私は、あなたの設計した完璧な罠で完全に死ぬのが……最高の夢ですから」


 クロエは感情の読めない瞳で静かにそう告げると、再び音もなく日陰の隅へと消えていった。


 数時間後。

 微細なズレの修正が完全に完了した罠の前に、新たな訪問者が現れた。

 ヴィオラの流した噂に釣られてやってきた、全身を分厚い魔法金属の重装鎧で固めた4人組の重騎士パーティだ。彼らは巨大な大盾を構え、いかなる物理的な罠も魔法攻撃も力任せに弾き飛ばすという、絶対の自信に満ち溢れていた。


「ハッ、見ろ! ギルドの連中が恐れていたのはこんな錆びた針が数本飛んでくるだけの古臭い罠か! 俺の不動の盾の敵ではないわ! 真正面から強行突破するぞ!」


 リーダーの大柄な重騎士が、通路の中央へと傲慢な足取りで足を踏み入れる。

 グンツは監視室の水晶の前で、クロエが残した血の記録を思い出しながら、冷酷に呟いた。


「……死因記録、通りだ。スイッチ」


 ドシュッ! という射出音が一度だけ通路に響く。

 重騎士は長年の戦闘経験による反射で大盾を掲げ、飛来する無数の針の軌道を読み切り、わずかに生じるはずの安全な隙間へ体を滑り込ませようと身を捩った。高位の冒険者ならではの、死線を見極める超感覚だ。


 だが、彼が逃げ込もうとしたそこに安全な隙間はもう存在しなかった。


「なっ……がはぁっ!?」


 全方位から射出された24本の銀針は、重騎士が回避したはずのその先の空間へ、あらかじめ逃げ道を完全に塞ぐように集中して突き刺さった。銀材のコーティングによる貫通力が、重騎士が誇る強固な魔法障壁を薄紙のように切り裂き、分厚い鎧ごとその肉体を石の壁へと深く縫い付ける。


「ば、バカな……今の俺の回避で、絶対に当たらないはずだったのに……っ!」


 彼は自分の身に何が起きたのか状況を理解できないまま、絶叫と共に腰のベルトから帰還の転移石を取り出し、叩き割った。

 背後に残された仲間たちも、絶対に破られないはずのリーダーの防御が一瞬で串刺しにされ、絶叫を上げる光景に恐れおののいた。つい先程まで威勢よく笑っていた彼らの顔からは血の気が引き、誰一人として仲間を助けようとする者はいなかった。彼らは我先にと戦意を喪失して次々と転移石を叩き割り、無様な悲鳴を残して逃げ去っていく。


「……対象の完全離脱を確認。これで防衛完了だ」


 グンツはパイプ椅子に深く寄りかかり、ようやく一つ、大きなため息を吐いて首を鳴らした。


「素晴らしい精度でしたね、グンツさん。クロエさんの身を呈した計測データに基づいた補正により、今回使用した資材の消耗率はわずか2パーセントに抑えられました。壁に刺さった再利用可能な銀針も、すでにゴブリンたちに回収させています」


 リーゼロッテがバインダーを叩きながら、満足げに決算の報告をする。


「……あぁ。防衛は成功だ。だが、あいつのあの狂ったテストにつき合わされるたびに、俺の寿命もゴリゴリ削られてる気がするよ」


「……グンツさん。次のエリアの……硫酸プールのテストの準備、できています。早く……私を、溶かして殺してください」


 監視室の部屋の隅から、またしても音もなくクロエが現れた。

 彼女の黒い瞳には、先ほど針に貫かれた時よりもさらに強い、死への強烈な期待の光が宿っている。


「……今日はもう閉店だ! 硫酸なんて冗談じゃない、全員集まれ、賄い飯の時間だぞ!」


 グンツの胃の奥から絞り出すような怒鳴り声が、荒れ果てた特級迷宮に虚しく響いた。

 特級迷宮の再建はまだ始まったばかりだが、職人気質の現場監督、予算に厳しい経理、能天気な広報、そして狂気の迷宮検証官という歪なチームは、着実に強敵を殺すための難攻不落の迷宮を作り上げつつあった。


 グンツは、明日届くであろう新たな資材の請求書の束と、クロエの狂気的な情熱のことを考え、再びズキズキと痛むこめかみを強く押さえるのだった。

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