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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第42話 退避命令

 特級迷宮『絶望の箱庭』の深層、第40層の未開拓ブロック。

 岩肌が剥き出しの薄暗い広大な空間には、先ほどまで稼働していた大型魔導重機が吐き出した排熱と、削岩によって生じた濃密な粉塵が立ち込めていた。鼻を突く油の匂いと、乾いた土の匂いが混ざり合う、過酷な現場の空気だ。

 後方に設けられた仮設の防塵テントの中で、コンソールに向き合うグンツの耳元に、通信用の魔導具からノイズ混じりの短い音声が届いた。


『……第40層最後尾、昇降機に全員乗った。これより下層の非常用退避エリアへ降下する』


 レイラの、普段の快活さを完全に消し去った、押し殺したような低い声だった。

 背後の遠く離れた縦穴から、分厚い鋼鉄の塊である昇降機が、太いワイヤーを軋ませながら下降していく重低音が響いてくる。

 これで、この広大な第40層に残っている生体反応はグンツただ一人となった。


「了解した」


 グンツは起爆コンソールのスイッチから指を離さず、視線は目前の監視水晶と、右目の《構造解析》が弾き出す膨大な応力データに固定したまま短く返した。


『必ず……生きて、追いついてください』


 通信の向こう側で、リーゼロッテの微かに震える声が聞こえた。

 極限状態の今、無用な感傷や言葉は不要だった。生き残るための計算と行動、互いに為すべきことを為すだけだ。


「ここは俺の現場だ。最後まで責任を持つ。……下で待ってろ」


 グンツはそれだけを告げ、インカムの電源を一方的に切った。

 直後、目前数十メートルの距離で異常が起きた。


 仮設テントを覆うように構築されていた分厚い魔導コンクリートの防壁が、音もなく、円形に『消滅』したのだ。

 物理的な破壊ではない。切り飛ばされた瓦礫も、砕ける衝撃音も、ひび割れすら生じない。ただ、そこにあったはずの数十トンの堅牢な塊が、別の次元へと隔離されたかのように「初めから無かったもの」として綺麗に削り取られていた。


 もうもうと舞い上がる粉塵の向こうから、純白の軽鎧を着たアレクサンダーが静かに歩みを進めてくる。

 彼の歩幅は一定で、一切の感情も、急ぐ素振りも見せない。ただ淡々と歩く。それだけで、彼の靴底が触れる前に床の岩盤が抉れ、肩が触れる前に周囲の空間がガラスのようにヒビ割れ、黒い亀裂となって虚無へ吸い込まれていく。


(……結界の有効半径は、対象の中心からおよそ2メートル。形状は完全な球体)


 グンツの右目が青白い魔力を限界まで放ち、超高速で対象の解析を続ける。彼の視界には、第40層全体の岩盤の構造と、負荷の掛かっているラインが幾何学的な光の線となって浮かび上がっていた。

 セリアがこの第40層の天井の基部に等間隔で仕掛けた、数千発の魔導爆薬。それを同時起爆させることで、天井の広大な岩盤を支える巨大なアーチ構造を完全に破壊し、数万トンという途方もない質量の岩盤を、一枚の分厚い板として『自由落下』させる。

 いかなる物理も魔法も切断する絶対の結界であろうと、結界の処理能力を遥かに超える圧倒的な質量で面全体を押し潰せば、必ずオーバーフローを起こす。それがグンツの導き出した唯一の解答だった。


 だが、その起爆タイミングはシビアを極める。

 アレクサンダーが崩落の完全に中心に位置する、わずかコンマ数秒の『臨界点』。早すぎれば結界に上部だけを削り取られて脱出され、遅すぎればグンツ自身が空間ごと切断されて終わる。


 一歩。また一歩。

 空間が削れるズリィィンという不気味なノイズが、テントの空気を震わせる。


 グンツは呼吸を薄くし、起爆スイッチに置いた指先に全神経を集中させた。

 あと五歩。四歩。

 その時だった。


「きゅぅん……」

「くぅ、わふっ」


 極限の静寂と緊張に支配されたテントの足元から、か細く、甘えるような鳴き声が聞こえた。

 同時に、グンツの安全靴のつま先を、小さな歯でカリカリと噛む感触。


「……ッ!?」


 グンツは視線をコンソールに固定したまま、目線だけを限界まで下げた。

 そこには泥と埃で薄汚れ、短い尻尾をちぎれんばかりに振っている二匹の毛玉――ブランとノワールがいた。

 上層の安全な管理室にいるはずの彼らが、レイラたちの資材運搬のコンテナにでも紛れ込んでいたのか、あるいは主人の匂いを追って複雑な迷宮の経路を自力で降りてきたのか。

 生後2ヶ月。まだコロコロとした丸みを帯びた赤ん坊たちは、グンツを見つけて安心したように、「遊んで」と無邪気な瞳を向けていた。


(なぜ、ここに……!)


 グンツの背筋を冷たい汗が流れ落ちた。

 アレクサンダーの到達まで、あと三歩。時間にして数秒。

 彼らを抱き抱えてテントの外へ放り投げる時間もなければ、コンソールから手を離すことも絶対に許されない。

 この仮設テント内で、数万トンの大崩落の衝撃と瓦礫から完全に守られるよう設計された『安全地帯』は、極太の鉄骨で補強されたグンツの背後、わずか半畳ほどのスペースしかなかった。


「ブラン、ノワール。後ろへ行け」


 グンツはスイッチから指を離さず、鋭く、凄みのある低い声で命じた。

 そのただ事ではない気配と、主人の声に込められた絶対的な圧に、二匹の子犬はビクッと耳を伏せた。

 ノワールがキュンと短く鳴き、ブランの首筋を軽く噛んで引っ張る。二匹は短い足でもつれるようにして、グンツの背後、指定されたわずかな鉄骨の隙間へとトコトコと歩いていった。


「そこだ。おすわり」


 グンツの声に、二匹は不格好に後ろ足を曲げ、冷たい鉄板の上にお尻を落とした。

 あと二歩。

 空間が削り取られる音が、テントのすぐ外まで迫っていた。

 本能的な死の恐怖を感じ取ったのだろう。ノワールは全身の毛を逆立ててブルブルと震え、ブランは耐えきれずにグンツの足元へ駆け寄ろうと前足を浮かせた。


「待て」


 グンツは一切振り返らず、深く重い声で告げた。

 それはお願いでも、宥める言葉でもない。現場の命を預かる監督としての、絶対の命令。


 その声の重圧に、浮き上がりかけたブランの前足がピタリと止まった。

 ノワールは喉の奥で微かに震える声を引き殺し、ブランの横にぴったりと寄り添って座り直す。

 二匹の瞳は、真っ直ぐにグンツの広い背中を見つめ、微動だにしなかった。


「……いい子だ」


 グンツは微かに口角を上げ、すべての意識を眼前のコンソールへと戻した。

 アレクサンダーが、テントの入り口を踏み越える。

 《構造解析》の視界の中で、勇者の座標が、天井の崩落予測円の完全な中心と重なった。

 ミリ秒単位の、完璧な臨界点。


「沈め」


 グンツの指が、起爆スイッチを一番下まで叩き込んだ。


 刹那、第40層の空間そのものが真っ白な閃光に包まれた。

 セリアの設置した数千発の魔導爆薬が、寸分の狂いもなく同時起爆する。鼓膜を破るような凄まじい轟音が遅れて響き、天井の岩盤を支えていたすべての応力が一瞬にして消滅した。

 数万トン。

 巨大な岩山の底が丸ごと抜け落ちたかのような、途方もない質量の岩盤が、分厚い一枚の板となってアレクサンダーの頭上へと自由落下を開始する。

 落ちてくる岩盤の面積が大きすぎるため、空間の空気が逃げ場を失い、猛烈な圧縮突風となってテントを吹き飛ばした。


 アレクサンダーがゆっくりと上を見上げた。

 彼の周囲の空間切断の結界が、落下してくる岩盤の底面を半球状に削り取っていく。

 だが、削り取られる端から、それを遥かに凌駕する圧倒的な質量と重力が、結界の処理速度を力任せに押し潰していく。

 結界の処理が追いつかない。空間が切断されながらも、数万トンの岩石の塊は止まることなく、絶対の領域へと物理的にねじ込まれていく。


 ズドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!


 第40層全体がひしゃげるような、規格外の激突音。大地が波打ち、迷宮全体が悲鳴を上げる。

 グンツは背後の鉄骨の隙間に体を滑り込ませ、震える二匹の子犬の上に覆い被さるようにして、その絶大な破壊の嵐が通り過ぎるのを耐え凌いだ。


 永遠とも思える振動が収まり、やがて、重苦しい静寂が降りてきた。

 グンツはゆっくりと立ち上がり、粉塵が舞う目前の光景を睨みつけた。


 広大な第40層の未開拓ブロックは、完全に巨大な岩山の瓦礫に埋め尽くされていた。

 あれだけの質量による直接的な圧殺。いかなる規格外の存在であろうと、細胞の一片すら残らずすり潰されているはずだった。


 だが。

 瓦礫の山の中心。

 数万トンの岩盤が、まるでそこだけ見えない球体の風船に下から押し上げられているかのように、不自然に隆起している箇所があった。


 メキッ、という嫌な音が響く。

 次いで、巨大な岩石が空間ごと滑らかに削り取られ、黒い亀裂に吸い込まれて消滅した。

 丸く抉れた岩盤の隙間から、無傷の姿のまま、ゆっくりとアレクサンダーが歩みを出てきた。

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