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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第41話 勇者王の理不尽

 特級迷宮『絶望の箱庭』の深層、第40層の未開拓ブロック。

 岩肌が剥き出しの薄暗い広大な空間には、大型の魔導重機が放つ排気ガスと、岩盤を削る際に生じた濃密な粉塵が充満していた。

 重機のエンジン音が低く唸りを上げ続ける中、後方に設けられた仮設の防塵テントの中で、グンツは黙々と魔力コンロの前に立っていた。


 迫り来るのは、迷宮のギミックや物理法則すら通用しない、歩くだけで空間を切り裂く規格外の侵入者である。だが、極限の緊張状態にあろうとも、現場で過酷な肉体労働を続ける者たちには、確実なカロリーと塩分の補給が必要だった。

 グンツは網の上で香ばしく炙ったタラコの表面を崩し、中の半生の部分を大きなボウルに入った炊き立ての白米の上へ落とす。そこへ、甘辛く煮詰められた小女子の佃煮を惜しげもなく加えた。

 しゃもじで米粒を潰さないように切るように混ぜ合わせ、手に軽く塩と水をつける。熱い飯を両手でふんわりと包み込み、中の空気を適度に残す絶妙な力加減で、大ぶりの三角形へと次々に形を整えていった。

 傍らの皿には、酸味が強く漬かった白菜、大根、胡瓜のキムチ3種盛り合わせと、果肉が厚く強烈な酸味と塩気を持つ大粒の梅干しを添える。

 別の鍋では、血合い抜きの鰹節と真昆布から、えぐみを一切出さずに引いた黄金色の出汁が静かに湯気を立てていた。そこへ磯の香り豊かな新鮮なもずくを落とし、わずかな薄口醤油と塩だけで味を調える。余計な具材を一切省いた、極めて澄んだ吸い物だ。


「レイラ、セリア、上がれ。飯だ」


 グンツの短く低い声に、全身を埃と泥で汚したレイラと、防塵マスクを首から下げて息を切らすセリアが、足早にテントへと戻ってきた。統括管理室から同行してきたリーゼロッテ、ヴィオラ、ステラ、ゼノビア、クロエも無言で車座になる。


 誰も長口上は叩かない。リーゼロッテは黙々と吸い物をすすり、レイラも行儀を気にする余裕もなく大きなお握りを豪快に頬張っている。極限の緊張状態にある彼らにとって、今は味の感想を述べる時間すら惜しく、塩分とカロリーをただ胃に流し込むことだけが重要だった。


 食事を摂りながらも、全員の視線はテントの中央に置かれた監視水晶の映像に釘付けになっていた。


 水晶の向こう側、第39層のメイン通路。

 純白の軽鎧を着たアレクサンダーは、一切の急ぐ素振りも見せず、ただ静かに、一定の歩幅で迷宮の奥深くへと歩を進めていた。

 彼の頭上から、以前グンツが防衛に使用した数万トンの岩盤が、重量感知の罠によって落下してくる。だが、アレクサンダーは上を見上げることすらしない。

 彼に岩盤が到達する直前、男の周囲数メートルを取り囲む不可視の断層に触れた岩塊は、音もなく真っ二つにズレるように両断され、彼を避けるように左右へと無害な石の雨となって降り注いだ。

 さらに彼が歩みを進めると、セリアが設置していた極細の自己増殖ワイヤーの網が前方に現れる。しかし、彼がその空間を通過しただけで、魔力を吸収して無限に増殖するはずのワイヤーは、抵抗する間もなく空間ごと『消滅』し、跡形もなく消え去ってしまった。


「……あり得ません。魔力の消費反応が、全く読み取れない……」


 クロエが自分の腕を抱きしめ、焦点の定まらない瞳で呟いた。


「彼自身が魔法を発動しているわけじゃ、ない……。まるで、彼の周囲だけ、空間そのものが『別のルール』で上書きされているような……。いかなる物理も魔力も、彼に触れることすら許されない……。ただの防御や回避なんて次元じゃ、ありません」


「これほどの理不尽が、人間の国に存在していたとは……。私たちの軍事力や魔法技術を、根底から否定するような存在です」


 ゼノビアが険しい顔で、金色の瞳を細めた。


 グンツは無言でもずくの吸い物を飲み干し、空になった椀を置いた。

 アレクサンダーが第39層の中間ポイントを通過する。分厚い魔法障壁を容易く貫通したはずのパイルバンカーの巨大な鋼鉄の杭が、彼に向けて真横から射出されるが、杭の先端が彼の見えない領域に触れた瞬間、金属の摩擦音すら立てずに先端からパウダー状に崩れ去り、無に帰した。


「第39層の迎撃設備、沈黙しました。残る隔壁も、彼が触れるだけで次々と消去されていきます」


 リーゼロッテがバインダーのページをめくりながら、冷徹な事実だけを読み上げる。


「レイラ、天井の削り出しはどこまで終わった」


 グンツが立ち上がり、腰の工具ベルトを締め直した。


「お前が図面で指定した第40層の天井のポイントは、重機で全部ギリギリまで薄く削り取った。これ以上やったら、自重に耐えきれずに勝手に落ちてくるぜ」


 レイラが口元の油を拭いながら答える。


「セリア、爆薬の結線は」

「……完了しております。私が持ち込んだすべての魔導爆薬を、天井の基部にセットしましたわ。主電源は、そちらのコンソールに直結してあります」


 セリアが少しだけ震える指で、仮設コンソールを指差した。


「よし。お前ら全員、第40層の最後尾、昇降機のある退避エリアまで下がれ。ここは俺一人で残る」


 グンツは愛用のヘルメットを深く被り、短く指示を出した。


「一人で残るなど、許可できません。あなただけに現場の重荷を背負わせるわけにはいきません」


 リーゼロッテが一歩前に出て、バインダーを強く胸に抱え込んだ。


「あなたの自己犠牲で守られた迷宮に、何の意味があるというのですか。共に残るというのなら、力尽くでも引きずって帰りますよ」


 ゼノビアの腕に、黒い竜の鱗がうっすらと浮かび上がる。

 ヴィオラもステラも、無言のまま退避エリアに向かう素振りは見せなかった。


「お前らな……ここは俺が基礎から作り直している俺の現場だ。だから、俺が最後まで面倒を見る」


 グンツは鋭い眼光で彼女たちを見回した。


「死ぬために残るんじゃない。あいつのあの理不尽な結界に、コンクリートの質量と爆発のベクトルを完璧に叩き込むための『タイミング』を図る必要があるんだ。1ミリのズレも許されない。だから、俺が残る」


「だったら、重機を動かすアタシが一番必要だろうが。足の遅いお前一人じゃ、何かあった時に逃げ切れないぜ」


 レイラが不敵に笑い、魔導車のキーを指先で回した。


 グンツがさらに言葉を返そうと息を吸い込んだ直後。


 ズゥゥゥン……。


 第40層の広大な岩盤の洞窟全体が、重く、嫌な音を立てて低く震えた。

 監視水晶の映像が乱れる。アレクサンダーが第39層の最後の巨大な隔壁を、ただ手を触れるだけで空間ごと削り取り、完全に消滅させたのだ。


「……到達予測時間、残り1分を切りました」


 リーゼロッテが息を呑み、眼鏡の位置を直す。


「チッ……時間切れだ。全員、絶対に俺の背後から離れるなよ」


 グンツはそれ以上の説得を諦め、仮設コンソールの前に立った。


 広大な第40層の未開拓ブロック。

 その空間の奥底から、一定のリズムを刻む足音が響き始めた。

 重装の騎士が走るような激しい音ではない。ただの人間が、散歩でもするかのように静かに歩く、単調な靴音だ。

 だが、その一歩一歩が、迷宮の分厚い岩盤の床を音もなく抉り取り、彼が通った後には滑らかな虚無の道が形成されていく。


 土煙の向こう側から、純白の軽鎧を着た男が姿を現した。

 アレクサンダーの視線が、コンソールの前に立つグンツたちを真っ直ぐに捉える。彼の碧眼には、怒りも、戦意も、感情の欠片すら存在していなかった。ただ道端の石ころを見るような、絶対者の無関心だけがあった。


 グンツの右目が青白く光り、《構造解析》のスキルが極限まで稼働する。

 彼の目はアレクサンダーの体ではなく、男がこれから踏みしめるであろう第40層の『床』と、極限まで薄く削られた『天井』の岩盤の構造を完全に捉えていた。


「どんな規格外のバグだろうと、俺の造った現場に土足で踏み込んだ以上、無傷で帰れると思うな」


 グンツの荒れた手が、コンソールの起爆レバーを力強く握り込む。

 右目の《構造解析》が、極限まで削り取られた天井の岩盤の『崩落の臨界点』を正確に捉えている。

 彼は浅く呼吸を整え、冷たく光る瞳で、ただその一点だけを静かに見据えていた。

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