表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/56

第38話 神殺しの触媒

 特級迷宮『絶望の箱庭』の深層、第10層の統括管理室。

 部屋の奥に設置された特殊な医療用カプセルの中で、クロエが静かに細胞の再構築を続けている。彼女が命と引き換えに持ち帰った極限のデバッグデータにより、勇者連合の主力部隊は第21層で完全に粉砕された。だが、未曾有の大軍勢による迷宮への侵攻が完全に止んだわけではなかった。


 グンツはコンソールに広げた図面から目を離すことなく、片手で昼食を口に運んでいた。

 彼が食べているのは、レイラが境界の街にある馴染みのパン屋から大量にデリバリーしてくれたサンドイッチだ。厨房で包丁やフライパンを握る時間すら惜しい今の極限状態において、片手で手軽に高カロリーを摂取できるこの食事は非常にありがたかった。

 香ばしく焼かれた全粒粉のパンに挟まれたローストチキンと、マスタードマヨネーズの強烈な塩気を噛み締めながら、次いでポテトサラダの心地よい酸味や、オリーブオイル漬けのツナの旨味も、一切の遠慮なく無造作に胃へと詰め込んでいく。味わうというよりは、連日の過労で悲鳴を上げている身体と脳を強制的に稼働させるための、純粋な燃料補給だった。


「……あの圧倒的な質量による圧殺を目の当たりにしても、まだ歩みを止めない部隊がいるとは。人間の欲望と狂信は、底が知れませんね」


 リーゼロッテも、バインダーから視線を外さずにポテトサラダのサンドイッチを上品に齧りながら、冷徹な声で言った。

 監視水晶には、第21層の通路を静かに進む数百人規模の集団が映し出されている。彼らは重武装の騎士でも、身軽な盗賊でもなかった。純白の祭服を纏い、手には禍々しい装飾が施された杖を握る、神聖教会の最高位魔術師団だった。


「罠の作動状況はどうなっている」


 グンツがツナサンドを飲み込み、手元の操作盤を叩く。


「それが……おかしいのです。彼らが通過するルートに設置された物理トラップの機構が、作動する直前にことごとく『沈黙』しています。動力を絶たれたわけでも、物理的に破壊されたわけでもありません。罠そのものが、別の何かに変質させられているような……」


 リーゼロッテの報告に、グンツは右目の《構造解析》のスキルを発動し、水晶の映像を極限まで拡大した。

 映像の中で、魔術師団の先頭を歩く老人が杖を振るうと、先ほどの本隊を押し潰した『数万トンの岩盤の残骸』が、ボロボロとただの砂に変わって崩れ落ち、彼らの進路が容易く切り開かれていく。さらに、床の落とし穴の機構が、強固な平岩へと融合するように書き換えられていた。


「物理法則を無視した、純粋な魔力による『概念干渉』か」


 グンツは低く唸り、強く歯を噛み締めた。


「質量や運動エネルギーを魔法で直接書き換えている。いくら強固な物理の罠を造ろうが、罠という概念そのものを魔力で消滅させられては、作動させることすらできないぞ」


 グンツはギリッと奥歯を鳴らし、手元のレバーを強く握り込んだ。

 このままでは、彼らは一切の罠にかかることなく、一直線に最深部へと到達してしまう。


「……物理の罠が効かないのなら、その『魔法』という概念ごと、消し去ってしまえばよろしいのですわ」


 静まり返った管理室の空気を震わせたのは、ひどく掠れ、ひび割れた声だった。

 鉄扉がゆっくりと開き、セリアがフラフラとした足取りで姿を現した。

 彼女の姿を見た瞬間、グンツは椅子を蹴り倒して立ち上がった。


「セリア! お前、その体はどうしたんだ!」


 彼女が常に羽織っていた純白の白衣は広範囲にわたって黒く焼け焦げ、陶器のように白かった肌には、魔力逆流によるひどい火傷の痕が痛々しく赤く腫れ上がっている。口の端からは一筋の血が流れ落ちていた。


「……ご心配には、及びませんわ。少々、魔力炉の反発を力技でねじ伏せただけですの」


 セリアは痛みに顔を歪めながらも、その両腕に厳重に封印されたガラスのシリンダーを大切そうに抱きしめていた。シリンダーの中には、微かに発光する銀色の粉末が詰まっている。


「それは、なんだ」

「……私の《魔導錬成》のスキルで生み出した、究極のアンチ・マテリアル。あらゆる魔力結合を強制的に分解し、魔法という現象そのものを空間から霧散させる粉塵……名付けるなら、『神殺しの触媒』といったところですわ!」


 セリアが誇らしげに微笑む。だが、その息はひどく浅かった。


「お前、まさかこれを作るために……自身の生命力を触媒にして魔力回路に接続したのか!?」

「……これほど異常な物質を錬成するには、通常の魔力では足りませんでしたの。……でも、大丈夫ですわ。クロエさんがあれほどの覚悟を見せてくださったのです。研究者である私も……この迷宮の職人として、身を削らなくては」


 彼女の痛々しい姿と、確かな矜持に、グンツは言葉を失った。


「……ですが、セリアさん。その粉塵をどうやって広大な迷宮に撒く気ですか? 彼らの足元に投げつけるために、誰かが前線へ出るわけにはいきませんよ」


 リーゼロッテが冷静に問題点を指摘する。


「空調だ」


 グンツはシリンダーをセリアの手から慎重に受け取り、管理室の壁面を指差した。


「先日導入した最新型の巨大換気システムがある。あれの吸気口にこの粉塵をセットし、バルブを操作して、奴らがいる第21層のブロックへピンポイントで流し込む。俺の《即時建築》の魔法で送風ファンを限界まで強制駆動させれば、一瞬にして標的の周囲の空気をこの粉塵で満たすことができる」


「……なるほど。インフラ設備を利用した、局所的な散布兵器への転用ですね」


 リーゼロッテが素早くコンソールを操作し、第21層へと繋がる空調のバルブを開放していく。


「セリア、よくやってくれた。後で極上の肉を食わせてやる。……それまでは、そこで休んでろ」


 グンツはセリアを近くのソファに座らせると、即座に換気システムのダクトの前に立った。

 彼は《即時建築》の魔法を発動し、ダクトの配管を太く強固なものへと再構築する。そこへセリアから受け取ったシリンダーをセットし、換気扇の動力部に自らの魔力を直接叩き込んだ。


「吹き飛べ」


 ゴオォォォォォォッ!!

 迷宮の最深部で、巨大な換気システムが悲鳴のような駆動音を上げて回転を始めた。

 セリアの命懸けの錬成によって生み出された銀色の粉塵が、強風に乗ってダクトへと吸い込まれ、迷宮の通風孔を通って第21層へと猛スピードで散布されていく。


★★★★★★★★★★★


 第21層。

 神聖教会の最高位魔術師団は、瓦礫を砂に変えながら、一切の被害を出すことなく歩みを進めていた。


「魔王軍の罠など、我々の概念干渉の前には児戯に等しい。このまま迷宮の核まで浄化してやろう」


 老魔術師が豊かに蓄えた髭を撫でながら笑った、その時だった。

 頭上の通風孔から、キラキラと光る銀色の粉雪のようなものが舞い降りてきた。


「なんだ、これは……?」


 魔術師の一人がその粉塵を吸い込み、あるいは肌に触れた瞬間。

 彼らの周囲に展開されていた幾重もの巨大な魔法陣が、まるで薄いガラスが割れるように、パキンと甲高い音を立てて砕け散った。


「なっ!? 結界が……消えた!?」


 老魔術師が慌てて杖を振り、再び概念干渉の魔法を詠唱しようとする。

 だが、杖の先端から魔力が光を放った直後、銀色の粉塵がその光に群がり、ジュワッと音を立てて魔力を完全に分解してしまった。


「ま、魔力が……練れない!? 私の魔法が、発動しないだと!?」


 粉塵が充満した空間では、いかなる魔法も現象として成立する前に分解され、消滅してしまう。

 魔法という絶対の盾と矛を完全に奪われた彼らは、重い祭服を着ただけの、ただの脆弱な老人の集団へと成り下がった。


 監視室で、グンツが冷酷にレバーを引いた。


「魔法による概念の書き換えが消えたなら、残るのは純粋な物理法則だけだ」


 魔法によって砂に変えられていた巨大な鉄球が、元の強固な質量を取り戻す。

 平面に固定されていた落とし穴の蓋が、再び重力に従って開き始める。

 停止させられていた数万トンの岩盤や、巨大な振り子刃が、本来の役割を思い出したかのように一斉に牙を剥いた。


「ひぃぃっ!?」

「防げない! 物理の直撃を……ぎゃあああっ!!」


 圧倒的な質量の暴力が、無防備な魔術師たちを容赦なくすり潰し、薙ぎ払っていく。

 回避する身体能力も、防ぐ防具も持たない彼らに、生き残る術は残されていなかった。通路には彼らの絶叫が短く響き、そしてすぐに静寂な死の世界へと変わった。


★★★★★★★★★★★


「……対象の完全離脱を確認。これで防衛完了だ」


 グンツの静かな宣言が、管理室に響いた。


「魔法という概念そのものを殺す粉塵……恐ろしいものを造り出しましたね。ですが、今回も完璧な防衛でした。ドロップ品である彼らの国宝級の杖は、すべて無傷で回収できそうです」


 リーゼロッテがバインダーを閉じ、深く安堵の息を吐く。


「見ましたか、グンツ様……! 私の、私の芸術的な粉塵が、あの忌々しいチート魔法を完全に無力化しましたわ……!」


 ソファに座っていたセリアが、火傷だらけの顔を綻ばせ、フラフラと立ち上がりながらドヤ顔でアピールしてきた。


「ああ、最高の仕事だった。お前の素材がなきゃ、今頃この部屋の扉を破られていたところだ」


 グンツは歩み寄り、自分の座っていたパイプ椅子に彼女を半ば強引に座らせた。そして、机に残っていた手付かずのツナサンドと、温かいコーヒーを彼女の手に押し付ける。


「だが、魔力を使いすぎだ。立ってるのもやっとだろうが。しっかり食って、休め。……次の罠の仕込みも、お前の力が必要だからな」

「……はいっ! 任せてくださいませ、グンツ様!」


 セリアは嬉しそうにツナサンドを両手で持ち、少しずつ齧り始めた。

 グンツは空調のバルブを通常運転に戻し、システムのエラーログを一つずつ確認していく。彼はマグカップに残っていた冷めたコーヒーを飲み干すと、引きかけだった第22層の図面を無言で引き寄せた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ