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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第36話 経理の決断

 魔界の中心街から外れた地下深く。分厚い岩盤に守られた『深淵の水晶洞』は、一切の人工的な光源が届かず、岩肌に自生する微かな発光水晶だけが頼りの静謐な空間だ。音を吸収する特殊な地質のせいで、外界の喧騒も、絶え間なく続く迷宮の工事の音もここには届かない。

 グンツは作業用ベストを脱ぎ、簡素な黒いシャツ一枚の身軽な格好で、隣を歩く少女の遅い歩幅に合わせてゆっくりと歩を進めていた。


「……こんな暗くて何もない場所で、本当に退屈しないのか」


 漆黒のワンピースを着た吸血鬼の少女、クロエ・バスカヴィルが、小さく首を横に振った。


「……はい。私のような吸血鬼にとっては、地上の強い光も街のネオンも、ノイズが多すぎますから。……ここは、死の世界に似ていて、とても落ち着きます」


 彼女は足を止め、壁面で淡く瞬く水晶の光を細めた目で見つめた。

 普段は研究室の隅や日陰にうずくまって寝ている彼女が、珍しく自ら外出を提案してきたのだ。街の喧騒を嫌う彼女の要望に応え、グンツがこの静かな地下洞窟を選んだ。


「グンツさんの作る迷宮も、ここと同じ匂いがします。緻密で、冷酷で……無駄のない美しい死の匂い。……だから私、あなたの現場が……一番好きです」


 クロエは視線を水晶から外し、真っ直ぐにグンツを見上げた。

 その深淵のような黒曜石の瞳には、狂気的なテストプレイヤーとしての顔ではなく、不器用ながらも一途な熱がこもっていた。


「……俺の現場は、お前が死んでいい場所じゃないぞ」

「……ええ。でも、もし私に最後があるなら……あなたの作った最高の罠で……」


 クロエは少しだけ口角を上げ、グンツのシャツの袖をそっと握った。

 冷たい手だったが、そこには確かな命の鼓動が感じられた。


★★★★★★★★★★★


 現在。特級迷宮『絶望の箱庭』、第10層の統括管理室。

 レイラが届けた縮退コアにより、第21層の防壁が精鋭部隊の魔法を反射し、彼らを完全に消し飛ばしてからわずか数分後。

 一息つく間もなく、監視室に鋭い警報音が鳴り響いた。


「嘘でしょ……まだ終わってないわ! 第21層の防壁の向こう側に、巨大な空間転移ゲートが開いたの!」


 魔導板の画面を凝視していたヴィオラが、焦燥に駆られた声を上げた。

 グンツが操作盤の水晶を切り替えると、分厚い防壁の向こう側の空間が大きく歪み、そこから次々と無機質な鋼鉄の塊が吐き出されていた。

 人型に成形された分厚い金属の装甲。鈍く光る単眼のレンズ。数千体にも及ぶゴーレムの軍団が、足音を揃えて第21層の防壁へと進軍してくる。


「人間界のギルドもついに本命を出してきたわね! ゴーレム相手じゃ、酸欠も毒ガスも一切効かないわよ!」


 ヴィオラの叫びを背に受けながら、グンツは舌打ちをしてレバーを握った。


「厄介な連中だ。だが、物理的な破壊力ならこっちの土俵だ。第15層から第20層までの重量プレスと粉砕ローラーをすべて第21層へ回せ! 物理で押し潰す!」


 グンツが迎撃システムを起動し、数万トンクラスの巨大な罠がゴーレムの群れを次々と粉砕し始めた。

 しかし、迷宮の奥深くから鈍い駆動音が響き渡った直後、監視室の照明が不自然に明滅し、罠の稼働音がガクンと速度を落とした。


「おい、どうした! プレスの圧力が上がらないぞ!」


「……っ、魔力ゲージが! 駄目です、稼働が追いつきません!」


 コンソールを必死に叩いていたリーゼロッテが、顔面を蒼白にして叫んだ。


「なんだと!? 利益のストックはまだあったはずだろ!」

「連日の限界稼働の連続で、自転車操業が限界だったんです! さらに、倒してもゴーレムは換金できる装備品を一切落としません。回収による資金の循環が途絶え……予算口座の残高が、完全に底を突きました!」


 リーゼロッテの悲痛な報告と同時に、すべての罠の駆動音が完全に沈黙した。

 水晶の映像の中で、動力を失って停止したプレスの隙間を縫って、無傷のゴーレムたちが防壁に取り付き、無数の鋼鉄のアームで壁を削り始める。


「くそっ……なら、俺の魔力を直接システムに繋ぐ! 現場を止めるわけにはいかない!」


 グンツが操作盤の基部カバーを蹴り飛ばし、自身の腕を魔力ラインに押し付けようとした。

 だが、その腕をゼノビアが力強く掴んで引き剥がした。


「やめなさい! 数千のゴーレムを動かす罠の動力を一人で負担すれば、数分で魔力枯渇を起こして死にます!」

「離せ! ここを抜かれれば終わりなんだぞ!」


 二人が揉み合う中、リーゼロッテが震える手で、自身のワイシャツの胸元から細い銀の鎖を引き出した。

 その先端には、深い闇を吸い込んだような黒曜石のアクセスキーがぶら下がっていた。


「……本部のメインバンクから、強制送金します」


 リーゼロッテの静かな声に、グンツとゼノビアが動きを止めた。


「リーゼロッテ、お前……そのキーはまさか」


「本部の予備口座へのアクセス権です。……本来は魔王城のインフラを維持するためのアンタッチャブルな資金ですが、私の経理最高権限を使えば、今すぐこの迷宮の口座へ魔力を流し込めます」


 彼女の言葉に、ゼノビアが血相を変えた。


「正気ですか! 承認なしで本部の魔力備蓄に手をつければ、明らかな横領です! 監査部として見過ごせませんし、後で発覚すれば極刑は免れませんよ!」


 リーゼロッテは鍵を握りしめ、メインコンソールの隠しスロットへと歩み寄った。彼女の指先は微かに震えている。


「ええ、わかっています。経理として、予算の超過を許し、あろうことか本部の資金に手をつけるなど、一生の不覚です」


 彼女は振り返り、眼鏡の奥の金色の瞳で、グンツを真っ直ぐに見据えた。


「……ですが、ここでこの現場が突破され、魔王軍そのものが終わる損失は、看過できません。……後の査問と責任は、私がすべて引き受けます」


 カチャリ、と。

 黒曜石の鍵がスロットに差し込まれ、重々しい音を立てて回された。


 その瞬間、統括管理室の床が激しく震えた。

 本部のメインバンクから強制的に引き出された莫大な魔力が、枯渇していた迷宮の血管を一気に駆け巡り、すべての操作盤が眩いほどの光を放って再起動する。


「予算上限、完全に解除しました! 総監督、好きにやってください!」


 リーゼロッテの叫びに、グンツの右目が青白く、凶悪な光を放った。

 彼は操作盤に両手を置き、かつてないほどの巨大な魔力流を完全に掌握する。


「……お前のその覚悟、絶対に無駄にはしない!」


 グンツはすべてのレバーを、安全限界のラインを超えて最深部まで引き下げた。


「全防衛設備、リミッター解除! オーバードライブ!」


 ゴアァァァァァァッ!!


 迷宮全体が、歓喜の咆哮を上げた。

 第21層の防壁の前で、機能を停止していた数万トンの重量プレスが、通常の三倍の速度と圧力で天井から叩きつけられた。鋼鉄のゴーレムたちが、まるで薄いブリキのおもちゃのように一瞬でひしゃげ、ひしゃげた端からさらに超高速の粉砕ローラーが彼らをミンチにしていく。

 摩擦ゼロの床が彼らの足並みを完全に奪い、予測不可能な速度で飛び交う巨大な振り子刃が、その硬質な胴体を次々と両断する。


「すごい……! 罠の稼働速度が、これまでの比じゃないわ!」


 ヴィオラが水晶の前で息を呑む。


「限界を超えた魔力供給による強制駆動。機械への負荷は計り知れませんが、今の火力なら数千のゴーレムでも残さずスクラップにできますね」


 ゼノビアもまた、その圧倒的な蹂躙劇に感嘆の声を漏らした。


 莫大な魔力という劇薬を注入された特級迷宮は、生きた要塞として、侵入するすべての敵を無慈悲に飲み込んでいく。


 グンツは操作盤から手を離すことなく、額の汗を拭うことも忘れて迷宮の駆動をコントロールし続けた。

 コンソールの前で祈るように手を組むリーゼロッテ、固唾を飲んで見守るヴィオラとゼノビア。

 特級迷宮建築士の指先が弾くように動き、凄まじい轟音が響き渡る中、彼らの過酷な防衛戦は続くのだった。

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