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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第31話 内部告発

 特級迷宮『絶望の箱庭』の深層、第10層の統括管理室。

 空調用の魔力炉が安定した低い駆動音を響かせる中、グンツは部屋の片隅に設けた厨房スペースに立ち、手早く昼食の準備を進めていた。


 主菜は、昨日の夜に仕込んでおいた『銀鱗魔魚の味噌煮』の余りだ。一晩じっくりと寝かせたことで、こってりとした甘辛い味噌の味が魚の骨の髄までしっかりと染み込んでいる。温め直すと、発酵した大豆の芳醇な香りが狭い厨房に漂った。

 副菜には、塩揉みして水分を抜いたキュウリとキャベツを、爽やかな甘酢で和えたものを小鉢に盛る。さらに、まな板の上で包丁を入れるのは、ステラが港町から仕入れてきた新鮮な大王魔烏賊の小ぶりな個体を使った特製料理だ。内臓を綺麗に抜き取った烏賊の腹に、固茹でにした卵をいくつも隙間なく詰め込み、醤油と砂糖、酒の特製ダレで時間をかけて煮含めたものである。輪切りにすると、烏賊の白い身の中に、タレの色が染みた茶色い白身と鮮やかな黄身がモザイク状に現れ、見た目にも美しい。


 これらに加え、壺の中でしっかりと乳酸発酵が進んだ白菜のキムチと、大根の歯応えが小気味良いカクテキを小皿に並べる。炊きたての麦飯を大きめの茶碗にふんわりと盛り付ければ、定食の完成は間近だ。


 最後に、椀に温かい出汁を注ぎ、新鮮なもずくを落とす。グンツはその吸い物に、南方の魔界群島で採れる小ぶりで強烈な辛味を持つ島唐辛子を、度数の高い蒸留酒に長期間漬け込んだ特製の辛味調味料――人間界の一部ではコーレーグースと呼ばれるもの――を、ほんの数滴だけ垂らした。


「リーゼロッテ、飯だぞ。温かいうちに食え」


 書類の山と格闘していた経理担当のリーゼロッテが、鼻眼鏡を外してホッと息を吐き、テーブルについた。


「いただきます。……素晴らしい香りです。魔王様からいただいた特別ボーナスのおかげで、食材の仕入れも一段と質が上がりましたね」


 彼女は行儀よく箸を取り、まずは味噌煮に手を伸ばした。箸で簡単にほぐれるほど柔らかい魚の身に、濃厚な味噌ダレを絡めて麦飯にバウンドさせる。


「……んっ、味が奥まで染み込んでいて絶品です。この烏賊の中に卵を詰めた料理も、烏賊の弾力と卵のコクが絶妙に調和しています。甘酢和えや発酵野菜の酸味も、濃い味付けの良い箸休めになりますね」


「吸い物も飲んでみろ。少し刺激を足してある」


 リーゼロッテがもずくの吸い物を一口すすると、出汁の優しい旨味の後に、酒の芳醇な香りと島唐辛子の鋭い辛味が喉の奥を突き抜けた。


「あっ……これは、目の覚めるような鮮烈な辛さですね。でも、不思議と出汁の味を引き立てています。胃の底からポカポカと温まってくるようです」

「現場の疲労回復には、スパイスと発酵食品が一番だからな」


 グンツも無言で箸を進め、麦飯を豪快にかき込んだ。

 足元のラグマットでは、すっかり大きくなった白犬のブランと黒犬のノワールが、味付け前の茹でた烏賊の切れ端を貰って夢中で咀嚼し、満腹になって互いのお腹を枕にしながらスヤスヤと眠っている。


 食後、グンツは乾燥させたゴーヤーを煎じた茶を淹れた。

 湯呑みから立ち上る特有の青臭い香りと、舌にガツンとくる強い苦味が、食事で満たされた口の中をサッパリと洗い流し、脳の血管をシャキッと引き締める。


「……金貨5万枚のボーナスの使い道ですが」


 ゴーヤー茶を飲みながら、リーゼロッテがバインダーを開いた。


「老朽化していた換気システムと魔力炉の更新に充てました。残りは第27層以降の新しい資材購入のプール金として確保してあります。これで当面、資金繰りに悩むことはありません」


「お前がそう言うなら安心だな。俺は午後から、第27層の基礎設計の続きに入る。地脈のバランスが悪い階層だが、資材が潤沢にあるならいくらでもやりようは――」


 バンッ!!!


 グンツの言葉を遮るように、重厚な鉄扉が悲鳴を上げて蹴り開けられた。

 立っていたのは、営業・広報担当のヴィオラと、調達部兼法務部のステラだった。二人の顔には、いつもの余裕ある笑みや軽口を叩く様子は一切ない。彼女たちの表情は、氷のように冷たく、そして激しい怒りに歪んでいた。


「グンツ、リーゼロッテ。緊急事態よ。……防衛とか集客とか、そういう次元の話じゃないわ」


 ヴィオラが息を荒らげながら、手にした魔導板をグンツの机に叩きつけた。

 画面には、人間界の勇者ギルドが裏で取引に使用している、高度に暗号化された通信ログが表示されていた。


「これを見なさい。私の情報網が、人間界のギルドの最重要ネットワークから直接傍受したデータよ」


 グンツが画面を覗き込む。

 そこに映っていたのは、一枚の緻密な図面だった。

 第1層から、現在工事が完全に完了している第26層まで。通路の長さ、罠の配置、毒ガスや酸の噴出ポイント、第26層の大列柱室の構造、さらにはグンツが造り上げた『自動循環型・死体処理システム』のダストシュートの位置に至るまで。


「……な、なんだこれは。俺が引いたこの迷宮の設計図じゃないか。なぜこんなものが人間界のネットワークに……!?」


 グンツの背筋を、冷たいものが駆け下りた。

 リーゼロッテもバインダーを取り落としそうになり、目を見開いている。


「偽造ではありません。寸法も、隠し通路の座標も、すべて完璧に一致しています。……迷宮の心臓部とも言える極秘情報です。これが勇者たちに渡れば、どんなに凶悪な罠を仕掛けても、事前にすべて回避されてしまいます!」


「その通りよ。そして、最悪なのは流出の経路よ」


 ステラが冷酷な声で告げた。彼女の瞳には、かつてないほどの濃密な殺意が宿っている。


「私の法務のコネクションを使って、データの出所を逆探知したわ。……ハッキングじゃない。魔王軍本部の内部ネットワークから、人間界のギルドに向けて直接送信された痕跡があったのよ」


「内部から……? まさか、裏切り者が出たというのか!」


 グンツが立ち上がり、拳を机に叩きつけた。


「ええ。魔王軍上層部の『保守派』の連中よ」


 ステラが吐き捨てるように言った。


「あいつらは昔から、魔物が直接勇者と戦って血を流すことこそが魔族の誇りだと信じている頭の固い老害どもよ。あなたの罠でモンスターが一切戦闘しない今のやり方が、我慢ならなかったのね」


「……だからといって、迷宮の設計図を敵に売り渡したと言うのか!? この迷宮が落ちれば、魔王軍そのものが危うくなるんだぞ!」


「彼らにとっては、人間の手でこの物理迷宮が一度完全に破壊されることの方が重要なのよ。自分たちの政治的な立場の確保のために、この絶望の箱庭を売ったの」


 権力闘争による、あまりにも身勝手な裏切り。

 現場で泥水と汗にまみれて働き、必死に迷宮を支えてきたグンツたちにとって、それは絶対に許しがたい暴挙だった。


「……ふざけるな。現場の命をなんだと思っている」


 グンツの声は低く、地鳴りのように静かだった。しかし、その奥には煮えたぎるようなマグマの怒りが渦巻いている。


「総監督。どうしますか」


 リーゼロッテが震える声で尋ねた。


「図面が完全に流出したとなれば、第26層までの防衛設備はすべて無効化されます。勇者たちは罠の死角を正確に歩き、安全なルートだけを通ってこの深層まで無傷で到達してしまう。……今から罠の配置をすべて造り直しますか? しかし、時間が……」


「造り直す時間はない。ヴィオラ、設計図を受け取った勇者ギルドの動きはどうなっている?」


「すでに大規模な連合軍を編成し始めているわ。この完全な攻略マップを手に、数日以内には迷宮の入り口に押し寄せてくるはずよ」


「……上等だ」


 グンツはヘルメットを手に取り、深く被った。

 その顔には、絶望ではなく、職人としての底知れぬ凄みが浮かんでいる。


「設計図が漏れたなら、その『設計図通りであること』を最大限に利用してやる。奴らは、手に入れた図面が100パーセント正しいと信じ切って進んでくるんだ。ならば、その傲慢な確信ごと、迷宮の奥底に沈めてやる」


「グンツ……あなた、何か策があるのね?」


 ステラが期待を込めて尋ねる。


「ああ。保守派の老害どもにも、人間の勇者どもにも、俺たち第4工兵師団の現場を舐めた代償をきっちり払わせてやる。……ヴィオラ、ステラ、リーゼロッテ。全部署に緊急通達を出せ。レイラとセリア、クロエ、ゼノビアも全員集めろ。前代未聞の超突貫工事を開始するぞ」


 グンツの右目が青白く光り、《構造解析》のスキルが迷宮全体のデータを再構築し始める。

 彼はデスクの上に新たな白紙の図面を大きく広げ、迷いなく木炭ペンを走らせた。

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