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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第29話 法の下の平等

 魔界の中心部から少し外れた、工場や工房が立ち並ぶ職人街の裏通り。

 重機の駆動音と金属を打つ音が遠くから絶え間なく響くこのエリアには、魔王軍の下請け業者や現場の工兵たちが手早く腹を満たすための、安くて美味い大衆食堂や屋台が密集している。


 昼下がり。グンツは作業着のままその一角にある、使い込まれた暖簾のかかる小さなラーメン屋に入った。

 店内はL字型のカウンター席のみで、年老いた魔族の店主が一人で切り盛りしている。壁は長年の脂と湯気でうっすらと黄ばんでいるが、カウンターの上は常に清潔に拭き上げられていた。


「親父、いつもの。塩に味玉をつけてくれ」

「あいよ。少し待ってな」


 グンツが丸椅子に腰を下ろして深く息を吐くと、店主は手際よく麺を茹で始め、あらかじめ温めておいた深いどんぶりに特製の塩ダレを注ぎ込んだ。そこへ、魔鳥のガラと海鮮の乾物を何時間もかけて弱火で煮出した、黄金色に澄んだスープが注がれる。

 湯切りされた細めの縮れ麺がスープに泳がせられ、その上に柔らかく煮込まれた分厚い豚バラのチャーシュー、シャキシャキのメンマ、小口切りにした白ネギが乗せられる。そして最後の中央に、醤油ベースの特製ダレに一晩漬け込まれた味玉がトッピングされた。


「お待ち。塩ラーメン、味玉乗せだ」

「助かる」


 どんぶりから立ち上る、鶏油の芳醇な香りと海鮮の奥深い出汁の香りが、グンツの空腹を激しく刺激した。

 昨日の夕方から今朝にかけて、彼は一睡もせずに迷宮に張り付いていた。侵入してきた目標を『一切の傷をつけずに生けどりにする』という、通常の殺傷トラップよりも遥かに繊細な調整が求められる作戦だったためだ。落下時の重力加速度を相殺するため、ダストシュートの壁面に特殊なスライム粘液をミリ単位の厚さでコーティングし、着地点のクッションの反発係数を徹夜で計算し続けた。

 結果として、目標のパーティを無傷のまま第18層の隔離檻に落とすことに成功した。今は、事後処理を行う法務部の準備が整うまでの、わずかな休息時間だった。


 グンツは割り箸を割り、まずはスープを一口すする。

 透き通るような見た目からは想像できないほど、ガツンとくる動物系の旨味と、塩ダレのキレのある塩味が口いっぱいに広がる。徹夜明けの乾いた身体に、この確かな塩分とアミノ酸が細胞の隅々まで染み渡っていくのがわかった。

 続いて麺を一気に啜り上げる。細い縮れ麺がスープをしっかりと持ち上げ、喉越しも抜群だ。チャーシューは箸で持ち上げると崩れてしまうほど柔らかく、口の中でとろける。


 そして、どんぶりの中央に鎮座する味玉に箸を立てた。

 白身にはほんのりと茶色いタレの色が染み込んでいる。箸の先で静かに真っ二つに割ると、中から濃いオレンジ色をした半熟の黄身が、とろりとスープの上へこぼれ出した。

 その黄身を麺に絡めて啜る。卵の濃厚な甘みとコクが塩スープの角を丸くし、全く別のまろやかな味わいへと変化させる。味玉というたった一つのトッピングが、どんぶりの中に劇的なコントラストを生み出していた。


 グンツは無心で麺を啜り続け、最後の一滴までスープを飲み干した。


「……美味かった。ごちそうさん」


 カウンターに硬貨を置き、満足げに立ち上がったその時だった。

 ポケットに入っていた通信用の魔導具が、低く震えた。


『グンツさん。食事中申し訳ありませんが、ステラさんの準備が完了しました。捕獲した侵入者への宣告を行いますので、現場監督の立会いをお願いします』


 通信の主はリーゼロッテだった。


「わかった。すぐに行く」


 グンツは店を出て、早足で特級迷宮へと戻った。


★★★★★★★★★★★


 特級迷宮『絶望の箱庭』、第18層の裏側に設けられた特殊な隔離エリア。

 グンツが到着すると、分厚い魔導防弾ガラスで仕切られた部屋の向こう側で、四人の男たちが鉄格子の内側からこちらを鋭く睨みつけていた。

 彼らは人間界の王国の紋章が刻まれた立派な鎧を着込んでいるが、武器はすべて剥奪され、魔法の発動を阻害する『封魔石』の壁によって魔力も完全に封じられている。

 しかし、彼らの目に恐怖の色はない。むしろ、自分たちを閉じ込めている強固な鉄格子を、素手で力任せに揺すり、破壊しようと試み続けていた。


「無駄な真似はやめろ、魔族ども! 我々をこのような檻に閉じ込めておけると思うな!」


 リーダー格の騎士が、血走った目でガラスを叩く。魔法を封じられてなお、その立ち姿には鍛え抜かれた軍人としての確かな誇りと闘気が宿っていた。


「見事な統率力と精神力ですね。ステラさんが目をつけただけのことはあります」


 グンツの隣で、リーゼロッテが淡々とバインダーの記録を読み上げる。


「彼らは王国正規軍に所属する特務騎士団の精鋭です。地下炭鉱の労働力不足を補うため、活きのいい人間を無傷で捕獲してほしいというステラさんの要望通り、見事な生け捕りでした」


「あぁ、殺すのは簡単だが、殺さずに落とすための摩擦係数の計算は骨が折れたよ」


 グンツがガラス越しに男たちを見下ろしていると、部屋の扉が開いて、ステラが悠然とした足取りで入ってきた。

 彼女は深いスリットの入った真紅のドレスを纏い、片手には分厚い書類の束を抱えている。


「お疲れ様、グンツ。注文通り、傷一つない新鮮な労働力ね。これなら長く保ちそうだわ」


 ステラは妖艶に微笑むと、ガラスの前に設置された通信マイクのスイッチを入れた。


「ごきげんよう、王国騎士団の皆様。狭い檻の中で不自由な思いをさせてしまって申し訳ないわね」


 マイク越しにステラの声を聞いた騎士たちは、手を止めて彼女を鋭く睨みつけた。


「女……貴様がここの責任者か。我々が王国の正規兵だとわかっていてこんな真似をしているのなら、ただでは済まさんぞ」

「あら、怖い。でも、不法侵入してきたのはそちらからよ?」

「黙れ! 我々を捕獲した以上、魔王軍と人間界の間に結ばれた戦時国際法に基づく『捕虜解放条約』が適用されるはずだ! 我々は戦争捕虜である。不当な拷問および強制労働を禁じ、人道的な扱いをもって速やかに本国へ身代金の要求と送還手続きを行え!」


 リーダーの騎士が堂々と権利を主張する。

 捕虜解放条約。確かに人間界と魔界の大規模な戦争において、互いの捕虜の不当な扱いを避けるために結ばれた歴史的な条約が存在する。彼らはそれを盾に、組織の人間として正当な扱いを受ける権利があると信じて疑っていなかった。


 しかし、ステラは大きなため息をつき、呆れたように肩をすくめた。


「……王国のエリート騎士様は、剣の振り方は知っていても、法律の勉強は少し足りないようね」


 ステラは書類の束を机に置き、冷徹な法務顧問の顔つきになった。


「捕虜解放条約が適用されるのは、国家間の正式な『戦争状態』において、交戦規定に従って戦闘が行われた場合に限られるわ。……あなたたちの王国から、我が魔王軍に対して、何か正式な宣戦布告状は届いていたかしら?」


「なっ……」


 騎士が言葉に詰まる。特務部隊である彼らは、王家の極秘任務として、迷宮の富と情報を狙って非公式に侵入したに過ぎない。国家としての正式な宣戦布告など、出せるはずがなかった。


「宣戦布告がないということは、現在の魔界と人間界は法的には平時よ。平時において、他国の領土、それも株式会社・魔王軍が正式に登記している『私有地』であるこの迷宮に、武装して許可なく忍び込んだ。……これが何を意味するか、わかる?」


 ステラの瞳が、冷酷な光を放つ。


「あなたたちは戦争の捕虜ではない。単なる『強盗』であり、『不法侵入者』よ。国際法で保護される兵士ではなく、私有地を荒らしたただの犯罪者。魔界の国内法によって裁かれる対象に過ぎないわ」


「詭弁だ! 我々は魔物を討伐し、人類の平和を守るという正義のために動いている! このような詐欺まがいの理屈で我々を罪人扱いするなど、王国が断じて許さんぞ!」


 騎士が怒りに顔を真っ赤にしてガラスを殴りつける。だが、ステラは一歩も退かなかった。


「正義なんて曖昧なものは、法廷では何の証拠能力もないわ。あるのは客観的な事実だけ」


 ステラの言葉に合わせるように、リーゼロッテが一歩前に出て、バインダーから長い羊皮紙を取り出した。


「事実の確認を行います。あなたたちは第1層の正面ゲートを破壊して侵入しました。特殊合金製の扉の修理費として、金貨500枚。さらに第5層から第15層までの間に、あなたたちの進行を阻むために作動させた各種防衛ギミックの魔力燃料費および部品の消耗代として、金貨1200枚。加えて、私有地への不法侵入による営業妨害に対する損害賠償」


 リーゼロッテは羊皮紙をガラスに押し当て、彼らにその数値を見せつけた。


「合計、金貨3000枚の損害賠償を、株式会社・魔王軍に対する不法行為の代償として請求します」


「き、金貨3000枚だと!? 払えるわけがないだろう、そんな莫大な額!」

「我々をゆする気か! 誰がそんな不当な請求に応じるものか!」


 騎士たちが口々に怒鳴り返す。


「あら、困ったわね。現金で払えないなら、法に則って自己破産の手続きをとり、労働で返済してもらうしかないわ。……働く場所は、地下100層にある特殊魔鉱石の採掘炭鉱よ」


「ふざけるな! 誇り高き王国の騎士が、地下の炭鉱夫に身をやつすなどあり得ん! 俺たちは絶対に屈しないぞ!」


 リーダーの騎士が歯を剥き出しにして睨みつける。魔法を封じられても、彼らの意志は決して折れていなかった。

 それを見たステラは、ふっと妖艶な笑みを消し、ひどく冷たく、事務的な声で言った。


「そう。労働による返済も拒否するのね。……わかったわ。じゃあ、交渉はこれで終わりよ」


 ステラは机の上の書類をバサリとまとめ、マイクの電源を切ろうとした。


「おい、どういうつもりだ?」


「言葉の通りよ。あなたたちは捕虜じゃなくてただの犯罪者。そして賠償も労働も拒否した。私たちには、あなたたちに食事を与える義務も、生かしておく理由も一つもないわ。……リーザ、この隔離エリアの空調と魔力照明を完全に切れ。扉は封鎖したまま、彼らの身柄は『行方不明』として処理してちょうだい」


「承知しました」


 リーゼロッテが操作盤に手を伸ばす。

 その瞬間、騎士たちの顔色が初めて青ざめた。


「ま、待て! 我々をこのままここに放置する気か!?」

「そうよ。ここは地下数十キロの隔離エリア。誰も助けに来ないし、一滴の水も出ない。せいぜいその立派な鎧の中で、王国の誇りを胸に抱いたまま干からびなさい。……さようなら」


 ステラが踵を返して扉へ向かおうとする。

 照明が落とされ、檻の中が急激に暗闇と静寂に包まれていく。

 物理的な罠でも、魔法による強制でもない。ただ『見捨てられる』という、絶対的な死の恐怖が彼らを襲った。


「待て……! 待ってくれ!」


 リーダーの騎士が、たまらずガラスにすがりついた。


「王国の騎士として……無駄死にするわけにはいかない……! 労働だ、労働で借金を返す! だから……扉を開けてくれ!」


 プライドと現実の狭間で葛藤した末の、苦渋の決断だった。

 ステラは足を止め、ゆっくりと振り返った。その顔には、再びビジネスライクな薄い笑みが浮かんでいた。


「賢明な判断ね。あなたたちのその体力と精神力なら、炭鉱でも素晴らしい成果を出してくれると期待しているわ」


 ステラが指を鳴らすと、檻の床の一部がスライドし、厳密な魔界の労働法に基づいた分厚い労働契約書とペンが彼らの前に転送された。

 騎士たちは屈辱に顔を歪め、ガチガチと奥歯を噛み締めながらも、震える手で一人ずつサインを書き入れていく。すべてのサインが完了したのを確認し、ステラは檻の床下を開放した。


 彼らはそのまま、遥か地下の炭鉱へと続くダストシュートへと滑り落ちていった。


★★★★★★★★★★★


「……対象の地下100層への転送を確認。これで労働力の確保は完了だ」


 グンツは操作盤のレバーを戻し、首を鳴らした。


「魔法で焼き殺すよりも、法律と現実で縛り上げる方がよっぽど容赦がないな。エリート騎士の心を根っこからへし折ってるじゃないか」


「法律は平等よ、グンツ。ルールを破って他人の庭を荒らした以上、それ相応の代償を払うのは当然の理屈でしょう?」


 ステラが涼しい顔でドレスの裾を払う。


「ステラさんの言う通りです。これで炭鉱の採掘効率が上がり、当迷宮の素材調達コストがさらに下がります。金貨3000枚分の損害も彼らの労働でキッチリ回収できますし、一石二鳥ですね」


 リーゼロッテも満足げにバインダーを閉じた。


「お前ら二人がタッグを組むと、本当に人間の勇者が哀れに見えてくるよ」


 グンツは深くため息を吐き、ヘルメットを手にした。

 どんな国家の後盾を持っていようと、迷宮の構造と法務の現実の前には無力に等しい。


 「さて、第23層の基礎工事に戻るか」


 グンツは気合を入れ直し、統括管理室を後にした。

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