第26話 悪徳の商談
特級迷宮『絶望の箱庭』の深層、第10層の統括管理室。
その一角に設けられた簡易厨房で、特級迷宮建築士のグンツは、山と積まれた土付きのジャガイモを黙々と水洗いしていた。
「……実家の親父が育てた野菜は、相変わらず身が詰まっていて重いな」
魔界の辺境で荒れた土地を耕す両親から送られてきたものだ。過酷な環境で育った作物は、どれも大ぶりで生命力に溢れている。
グンツは泥を洗い落とし、手際よく皮を剥くと、煮崩れを防ぐために大きめの乱切りにして水にさらした。深めの鉄鍋にごま油を熱し、細切れの牛肉を炒めて香ばしい脂の旨味を引き出す。そこへ水気を切ったジャガイモ、くし切りの玉ねぎ、下茹でしたしらたきを加え、重い鉄鍋を片手で軽々と煽って全体に脂をなじませていく。
十分に油が回ったところで、濃いめの出汁と醤油、酒、みりんを加え、落とし蓋をして中火で煮込んでいく。途中で蓋をわずかにずらし、隠し味として少量のトマトペーストを鍋肌から溶かし込んだ。
メインの鍋に火を通している間に、グンツは手早く副菜の用意に取り掛かる。
冷蔵用の魔導具から取り出したのは、魚と米を乳酸発酵させた『飯鮨』だ。独特の強い酸味と熟成された魚の旨味は、濃い味付けの主菜に対する良い箸休めになる。
続いて新鮮なキュウリを乱切りにし、種を抜いて細かく叩いた梅干しと、みじん切りにした紫蘇をさっくりと和える。さらに、酸味が強く発酵の進んだキムチと、大根の歯応えが残るカクテキを小鉢に盛った。最後に、磯の香りが漂うもずくの味噌汁を椀に注ぎ入れる。
「リーゼロッテ、飯にするぞ」
管理室のパイプ机で書類と睨み合っていた経理担当のリーゼロッテが、手を止めて眼鏡を外した。
「いただきます。……んっ、この肉じゃが、いつもの醤油味に比べて奥深いコクがありますね。梅と紫蘇のキュウリも、頭がすっきりと冴えます」
彼女は上品な手つきで、しかし現場の人間らしい淀みないペースで箸を進めた。
グンツも無言で飯鮨を口に運び、熱い味噌汁ですする。二人の間には、現場を支える者同士の静かな時間が流れていた。
「……味の感想の後で申し訳ありませんが、グンツさん。迷宮の在庫状況に問題が発生しています」
リーゼロッテがカクテキを噛み砕きながら、冷静な声で告げた。
「魔導コンクリートや配管材などの基礎資材は、ガルシア商会からの定期納入で潤沢です。しかし、罠の駆動部に用いる『高純度の金属ギア』や『魔力感知センサー』といった精密部品が、完全に底を突きかけています。連日の高レベル勇者の防衛で、罠の消耗が想定よりも激しいのです」
グンツは箸を止め、渋い顔をした。
基礎の壁や水路は《即時建築》でいくらでも造れるが、針を射出したり、プレスのタイミングを制御したりするための精密なセンサーや部品は、外部から調達した物理的な素材がなければ機能しない。
「部品がなければ、自動化された罠はただの飾りになる。ステラに頼んで、至急追加の調達をかけられないか」
「それが……先ほどステラさんとヴィオラさんが、連れ立って外出してしまったのです。行き先は告げていませんでしたが」
その言葉を聞いた直後、統括管理室の重厚な鉄扉がバンッと音を立てて開いた。
「ただいま、グンツ! リーゼロッテ! 罠の素材に困ってるって聞いたから、私たちが最高のものを用意してあげたわよ!」
営業・広報担当のヴィオラが、ハイブランドのサングラスを頭に乗せて陽気に笑いながら入ってきた。その後ろからは、調達部兼法務部のステラが、涼しげな笑みを浮かべて続いている。
二人の背後の通路には、数十個にも及ぶ巨大な木箱が山積みにされていた。
「ヴィオラ、ステラ。お前ら、一体どこからこんな大量の物資を……」
「人間の国の、ちょっとあくどい商人からよ。対魔王軍用の最新兵器の商談だったのだけれど……とてもスムーズに『引き渡し』が済んだわ」
ステラが赤い唇を舐めながら、楽しげに語り始めた。
ヴィオラが人間の資産家に変装し、対魔族兵器を密造している死の商人に接触。
「冒険者ギルドの特務部隊が絶望の箱庭を攻略する。そのための支援物資として、開発した最新兵器をすべて買い取りたい」と持ちかけ、法外な高値で大量発注をかけたという。
「私が指定した納品場所は、人間界と魔界の境界線ギリギリの荒野。商人がウキウキで兵器を運んできたところに、私が魔王軍の『関税局』として出向いたの。『当領地への未申告の軍事物資の持ち込み。関税法および治安維持法違反として、積荷をすべて押収します』ってね」
「商人は私に助けを求めたけれど、『あら、私は納品場所を指定しただけよ。国境を越えて持ち込むリスクはそちらの責任でしょう?』って言ってやったわ」
ヴィオラが悪びれずに肩をすくめる。
「莫大な罰金を払って国際裁判になるか、兵器を置いて逃げるかの二択を迫られ……商人は泣く泣くすべてを置いて逃げ帰ったわ。私たちが支払った代金はゼロよ」
グンツは嫌な予感がして、木箱の一つを工具でこじ開けた。
中には、鈍い銀色に光る、大砲のような巨大な筒状の機械が収められていた。先端には鋭く尖った純鋼の杭が装填されており、後部には複雑な魔力機関が組み込まれている。
「……『魔力感知式・対装甲パイルバンカー』か。魔族特有の魔力波長を感知して、自動で鋼鉄の杭を射出する対魔族用の攻城兵器だな」
グンツは額を押さえた。その視線はすでに木箱の中のパイルバンカーの構造を《構造解析》でスキャンし始めている。
「商人が裸足で逃げ出すようなえげつない手口だな。……だが、この兵器はそのままじゃ使えない。こいつのセンサーは『魔族の魔力』に反応して作動するように設計されている。迷宮に設置すれば、見回りのオークやゴブリンに反応して暴発するだけだぞ」
「そこは私の出番ですわね!」
通路の奥から、研究開発部のセリアが白衣を翻して小走りでやってきた。
「この程度の人間界の感知術式など、私の《術式改竄》の魔法にかかれば一瞬で書き換えられますわ。魔族の魔力ではなく、勇者様たちが好んで使う『神聖魔力』や『回復魔法のオーラ』にのみ反応するように、センサーの照準を完全に反転させてご覧に入れます!」
セリアがパイルバンカーの基部に触れ、紫色の魔力を流し込むと、複雑な歯車と魔力回路がカチカチと音を立てて再構築されていく。
「……書き換え完了ですわ。これでこの兵器は、強い聖なるオーラを放つ勇者様が前を通った瞬間に作動する『対勇者用・自動迎撃装置』へと生まれ変わりましたの!」
グンツの口角が吊り上がった。
不足していたセンサーと駆動部が、これ以上ない形で補充されたのだ。
「上出来だ。これを第24層の直線通路に組み込む。……少し現場に行ってくる」
★★★★★★★★★★★
グンツはヘルメットを被り、第24層へと急行した。
指定した直線通路の壁の前に立つと、《即時建築》の魔法を起動する。壁面の岩盤がドロリと液状化し、その奥に大筒のようなパイルバンカーを丸ごと飲み込んでいく。彼は射出機構の角度をミリ単位で微調整し、発射口の部分だけを周囲の岩の模様と完全に同化させて偽装した。
同様の作業を等間隔で数十箇所繰り返し、通路全体を巨大な自動迎撃システムへと作り変えた。
数時間後。
その第24層の直線通路に、重武装の勇者パーティが足を踏み入れた。
先頭を歩くのは、分厚い大盾を構え、全身から眩いばかりの神聖なオーラを放つ神官戦士だ。
「気をつけろ。魔王軍の罠はどこから飛んでくるかわからん。だが、俺が常に広範囲の対物理・対魔法障壁を展開している。いかなる罠が来ようとも、この聖なる障壁を砕くことは不可能だ」
彼らは周囲の床や天井を警戒しながら、慎重に進んでいく。
しかし、神官戦士が放つ強烈な聖なるオーラが、壁の中に偽装されたパイルバンカーの改竄センサーに触れた。
ガコンッ!
重厚な機械音が通路に響いた。
「なっ……壁から音が!?」
神官戦士が大盾を構えた、その瞬間だった。
ズドンッッ!! という爆音と共に、壁の石材を吹き飛ばして、大腿の太さほどもある純鋼のパイルが、目にも留まらぬ速度で真横から射出された。
「ぐはぁっ!?」
火薬と魔力の爆発的な推進力によって射出されたパイルは、神官戦士が誇る神聖な障壁を紙細工のように容易く貫通し、分厚い大盾ごと彼の体を通路の反対側の壁へと激しく叩きつけた。
魔王軍の罠を想定して張られていた結界は、人間界で設計された純粋な質量の前にはあまりにも脆かった。
「た、隊長が吹き飛ばされたぞ! なんだこの恐ろしい罠は!」
後続の魔法使いや剣士たちがパニックに陥る。
彼らが救護のために隊長に近寄ろうとして回復魔法のオーラを放った瞬間、通路のさらに奥に埋め込まれていた別のパイルバンカーが反応し、次々と鋼鉄の杭が射出され始めた。
「ひぃぃっ! 近づくだけで撃ってくるぞ! 下がれ、撤退だぁっ!」
彼らは重傷を負った隊長を引きずりながら、防ぐ術もないまま這うようにして転移石を叩き割り、迷宮から逃げ去っていった。
★★★★★★★★★★★
「……対象の完全離脱を確認。防衛完了だ」
統括管理室で、グンツがパイプ椅子に深く腰掛けた。
水晶の映像には、壁から突き出した無数の巨大な鋼鉄の杭が映し出されている。
「お見事です。人間界の兵器を完全に当迷宮の防衛システムへと統合させましたね。今回かかった資材費用はゼロ、むしろパイルバンカーの残りの在庫が数十基も手元に残るという、圧倒的な資産増です」
リーゼロッテがバインダーを閉じ、満足げに頷く。
ヴィオラとステラも、悪びれる様子もなく紅茶を飲んでいた。
「さて、一仕事終えたことだし、茶にするか」
グンツは立ち上がり、卓上に用意しておいたポットから温かい『ゴーヤー茶』を自らのマグカップに注いだ。
一口飲むと、特有の強い苦みが口の中に広がる。肉じゃがの甘辛さや、飯鮨とキムチの酸味で満たされていた胃に、その苦みが心地よく染み渡っていった。
「在庫の兵器はまだまだある。次はこれをどう料理して、迷宮の基礎に組み込んでやるか……」
グンツはマグカップを片手に、新たな設計図へと向き直る。
不足した資材を補うために他部署の力が結集し、現場の職人がそれを形にする。特級迷宮の防衛戦は、今日も盤石の体制で維持され続けていた。




