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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第22話 職人は現場で戦う

 大型の魔導重機が低い唸りを上げ、コンクリートの粉塵と油の匂いが漂う第21層の仮設ベースキャンプ。第一期工事エリアの稼働によって生み出された莫大な利益は、ただちにこのさらなる深層の開拓へと注ぎ込まれていた。

 現場ではシフト制で働くオークの作業員たちが小休止を取り、硬い岩盤を削る音が一時的に鳴り止んでいる。


 その薄暗い空間の片隅で、特級迷宮建築士のグンツは腕まくりをして魔力コンロの前に立っていた。

 大きな鍋で湯が激しく沸き立つ中、乾麺の蕎麦をバラリと投入する。菜箸で素早くかき混ぜ、吹きこぼれそうになる直前で少量の差し水をし、麺の芯まで均等に火を通していく。


「ステラが港町で良いマグロを仕入れてくれた。今日はサッパリといくぞ」


 グンツは傍らのボウルに、鮮やかな赤身のマグロを角切りにして放り込んだ。別の器で、糸を引くほどの強い粘り気が出るまで力強くかき混ぜておいた納豆を合わせ、刻んだネギと醤油を垂らして手早く和える。あっという間に、スタミナ満点の『マグロ納豆』が完成した。

 休む間もなく、隣のコンロで中華鍋を煙が出るほど熱し、油を引く。そこへ洗ったもやし、ざく切りにしたキャベツ、そして鮮やかな緑色をした絹さやを放り込んだ。

 ジャァァァッ! と小気味良い音が弾ける。

 強火で一気に煽り、塩胡椒と少量の魔獣の肉カスを加えて旨味を纏わせる。絹さやのシャキッとした食感を残すため、炒める時間は数十秒で十分だ。


「蕎麦が上がるぞ。リーゼロッテ、ザルを」


 茹で上がった蕎麦を冷水で一気に締め、水気を切る。

 その際、グンツは茹で汁である白濁した蕎麦湯を捨てず、別の小鍋に移した。そこへ出汁と少量の塩気を足し、新鮮なもずくを落とす。蕎麦の豊かな風味が溶け込んだとろみのある湯が、もずくの磯の香りを優しく包み込む『もずくの吸い物』だ。


 冷たく締められた蕎麦に、濃厚なマグロ納豆を乗せ、シャキシャキの野菜炒めを添える。温かい吸い物で胃を落ち着かせる、現場仕事の合間には最高の献立だった。


「いただきます」


 パイプ椅子に腰掛けたリーゼロッテが、行儀よく、しかし手早い動作で麺を啜る。


「……疲れた身体に、この塩気とタンパク質はありがたいですね。効率よく魔力と体力が回復していくのがわかります」

「数値化せずに、もう少し味わって食えよ」

「味わっていますよ。とても美味しいです」


 リーゼロッテは眼鏡を少し曇らせながら、静かに、しかし確かなペースで箸を進めた。

 足元では、白犬のブランと黒犬のノワールが、味付けをしていないマグロの切れ端と茹でたキャベツを瞬く間に平らげ、お腹を膨らませて満足そうに丸まっていた。


 食後。グンツは南方の魔界から取り寄せた、乾燥させたゴーヤーを煎じた茶を淹れた。

 独特の強い苦味が舌を刺すが、脂っこくなった口の中を瞬時に洗い流し、頭をシャキッと冴えさせる。さらに、氷水で冷やしておいた瑞々しい梨の皮を剥き、切り分けて皿に乗せた。

 シャリッとした梨の甘い果汁が、ゴーヤー茶の苦味と完璧な調和を生む。


「……昨日の街での襲撃事件、人間界のギルドもついに手段を選ばなくなってきましたね」


 梨を飲み込んだリーゼロッテが、膝の上のバインダーに目を落としながら低い声で言った。

 その言葉に、グンツはゴーヤー茶を入れたマグカップを持ったまま、動きを止めた。彼の脳裏に、自らを庇って肩口を深く切り裂かれたクロエの姿と、鮮血の匂いが蘇る。


「あぁ。クロエに痛い思いをさせた……。あいつが盾になってくれなきゃ、今頃俺の首は確実に繋がってなかっただろうがな」


 グンツの声には、部下を傷つけられたことへの静かな怒りと、己の不甲斐なさへの苛立ちが滲んでいた。


「迷宮内での全自動処理ラインの稼働が、彼らを相当焦らせている証拠です。しばらくは、単独での外出や現場の巡回は控えた方がよろしいかと」


「街中ならともかく、自分の現場で縮こまっているわけにはいかないさ。それに、今日から掘り進める第22層は、地脈の応力バランスが異常に偏っている。俺が直接《構造解析》で指示を出さなきゃ、いつ落盤してもおかしくない危険なエリアだ」


 グンツは残りのゴーヤー茶を飲み干し、安全靴の紐を締め直した。


「重機を入れる前に、俺一人で先行して岩盤の強度を測ってくる。お前はここで事務作業を進めておいてくれ」

「……くれぐれも、気をつけてくださいよ。あなたが欠ければ、この迷宮の再建はそこで終わるのですから」


 リーゼロッテの懸念を背に受けながら、グンツは愛用のヘルメットを被り、未開拓の暗闇が広がる第22層へと一人で足を踏み入れた。


★★★★★★★★★★★


 第22層の掘削現場は、仮設の魔力照明が等間隔で置かれているだけの、荒涼とした岩の洞窟だった。

 天井からは鋭い鍾乳石が垂れ下がり、足元には砕かれたばかりの瓦礫が散乱している。上層の数百万トンの圧力を支えるため、前任者が残していったと思われる腐りかけの太い木の支柱や、自然の脆い石柱が不規則に並んでいた。


 グンツは図面を広げ、右目を青白く光らせて《構造解析》のスキルを発動する。

 視界に展開された立体的な応力分布図は、一部の古い石柱の周囲だけが真っ赤な警告色で染まっていた。


(……やはりな。この岩盤、特定の石柱に異常なまでの荷重が集中している。重機の振動を少しでも当てれば、連鎖的に天井が崩落するぞ)


 彼がチョークを取り出し、補強が必要な箇所に印をつけようとした、その時だった。


 背後の闇から、一切の音を立てずに『死』が滲み出た。


 グンツは振り向かなかった。

 振り向くよりも早く、体を斜め前方に沈み込ませて図面を放り出す。

 直後、彼が先ほどまで首を置いていた空間を、無音の凶刃が薙ぎ払った。


「……ほう。今のを躱すか」


 擦れたような低い声。

 闇の中から姿を現したのは、迷彩柄の外套を羽織った痩身の男だった。手には、光を反射しない漆黒の短剣が握られている。独特の体術の構えから、人間界から直接送り込まれた高位の暗殺者だとグンツは直感した。


「路地裏での暗殺に失敗したから、今度は現場まで直接出向いてきたか」

「俺の仕事は確実だ。お前の首に懸かった報奨金は、人間界で城が建つ額だぞ」


 男は言葉を交わしながらも、足運びの重心を一切崩さず、ジリジリと間合いを詰めてくる。

 グンツの手には、チョークと図面ケースしかない。彼自身には戦闘に使えるような魔法も、武術の心得もない。肉弾戦になれば、数秒で喉を掻き切られるだろう。


 だが、グンツの表情に焦りはなかった。

 彼は《構造解析》の視界を開いたまま、ゆっくりと後ずさりし、荷重を支えている古い石柱のすぐ横へと立ち位置を変えた。


「悪いが、俺の首は安売りしてない。それに……」


 暗殺者の目が細まる。男が床を蹴り、無音の跳躍から一撃必殺の突きを放とうとした。


「ここは俺の現場だ。安全管理のなってない奴が、勝手に立ち入る場所じゃない」


 男が踏み込んだのは、先ほどグンツが確認した、岩盤の応力が最も集中している危険なポイントの真下だった。

 グンツの右手が、傍らの脆い石柱に触れる。


 発動したのは、攻撃魔法ではない。ただの《即時建築》。

 彼は柱の基部に流し込んだ魔力によって内部の構造を操作し、その強度を限界まで『抜き取った』のだ。


 パキンッ、と。

 小さな、だが致命的な破断音が洞窟に響いた。


「な……!?」


 暗殺者が上を見上げた時には、すべてが終わっていた。

 絶対的な質量を持つ岩の雨が、暗殺者の痩身を正確に押し潰し、砕き、飲み込んでいく。

 地面が跳ね上がり、もうもうと舞い上がる土煙が現場の視界を完全に奪った。


 数分後。

 土煙が晴れた洞窟の奥には、巨大な岩の山が形成されていた。暗殺者の姿はどこにもない。瓦礫の下から、赤い血が少しだけ滲み出ているだけだ。


 グンツは、崩落した岩の山からわずか数メートルしか離れていない安全圏に立っていた。

 彼は最初から《構造解析》によって崩落の範囲をセンチ単位で完全に把握しており、自分に傷一つ付かない立ち位置を計算し尽くしていたのだ。


「……重機の振動を当てる前に、不要な脆い岩盤を落とせて手間が省けたな」


 グンツは落ちていた図面とチョークを拾い上げ、軽くパンパンと土埃を払った。


「……グンツさん! 凄まじい崩落音がしましたが、無事ですか!?」


 足音を響かせ、ベースキャンプからリーゼロッテが血相を変えて駆けつけてきた。


「ああ、問題ない。ちょっと落石事故があってな。ネズミが一匹、下敷きになった」

「ネズミ……また暗殺者ですか」

「そういうことだ。だが、これでこの階層の不安定な岩盤は綺麗に落ち切った。明日から安全に重機を入れられるぞ」


 グンツが平然と図面に新しい計算式を書き込み始めるのを見て、リーゼロッテは深く安堵の息を吐き、眼鏡の位置を直しつつ小さく微笑んだ。


「……あなたという人は。自分の命が狙われているというのに、結局は現場の工事の進捗しか頭にないのですね」

「当然だ。納期は守らなきゃならないからな。……よし、この区画の測量だけ終わらせて、今日は早めに上がるぞ。冷たいゴーヤー茶の残りが飲みたい」


 崩落した岩石の山を背に、グンツは手元のチョークを滑らせる。

 剣を振るう力や、強大な魔法を放つ力だけが強さではない。構造を知り尽くしている限り、そこは彼にとって最強の要塞であり続けるのだった。

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