第21話 建築士暗殺指令
魔界の中心街は、絶え間なく降り注ぐ人工的な魔力のネオンと、多種多様な種族の熱気で常に混沌としている。
第一期エリアの本格稼働に伴う激務が一段落し、特級迷宮『絶望の箱庭』の総監督であるグンツは、久しぶりに丸一日の休日を得ていた。迷宮にこもりきりで図面と睨み合っていた彼にとって、喧騒に包まれた街の空気は、強張った神経をほぐす良い刺激になるはずだった。
だが、彼の隣を歩く同伴者のせいで、その平穏な目論見は半ば崩れていた。
「……あのギロチン。刃が落下する瞬間の、微細なブレが気になりました。実際に私の首を挟んで、摩擦係数を確かめたかったのに……なぜ、止めたんですか」
漆黒のワンピースを着た吸血鬼の少女、クロエ・バスカヴィルが、恨みがましい視線でグンツを見上げて言った。
彼女の強い要望により、二人は先ほどまで街の外れで開催されていた『最新魔導罠および拷問具の見本市』に足を運んでいた。休日にまでトラップの品評会に付き合わされるとはグンツも思っていなかったが、普段は日陰や研究室から出てこない彼女が、慣れない私服を着てまで誘ってくれた『デート』なのだろうと妥協した結果がこれだ。
「展示品を売り場で血まみれにしたら、買い取らされるに決まってるだろ。経費で落ちないぞ」
「……自腹で、買えばよかったです」
「俺の部屋にギロチンなんて置けるか。邪魔で仕方ない」
グンツは呆れたように息を吐き、路地裏の屋台から漂ってくる強いスパイスの匂いに目を向けた。
魔獣の赤身肉を太い鉄の串に刺し、強火の魔力コンロで表面を焦がすように焼いている。粗塩と香草だけのシンプルな味付けだが、肉の鮮度が良ければそれが一番美味い。
グンツは串焼きを二本買い、一本をクロエに差し出した。
「食うか? 昼飯がまだだっただろ」
「……いただきます」
クロエは小さな口を開けて、熱々の肉を少しずつ齧った。味覚に乏しい吸血鬼だが、グンツが選んだ食べ物は文句を言わずに口にする。小動物のように咀嚼する彼女の横顔を横目で見ながら、グンツも串焼きを豪快に頬張った。
彼は肉を噛みちぎりながら、周囲の建物の構造を無意識に目で追っていた。見本市に出店されていた新しいバネの機構や、金属の圧延技術など、現場で使えそうなアイデアはいくつかあった。明日の図面にどう組み込むか、休むつもりでも頭の片隅で計算が始まってしまうのは、もはや悲しい職業病だった。
「……グンツさん」
串の半分の肉を飲み込んだクロエが、歩きながら静かに口を開いた。視線は前方の雑踏に向けたまま、声のトーンだけが一段下がる。
「……後ろの四人。ずっと、ついてきていますね」
「ああ。見本市の会場を出たあたりからな」
グンツは串から最後の肉を噛みちぎり、空になった串を近くのゴミ箱へ放り投げた。
「殺気が漏れすぎている。路地に入るぞ」
二人は人通りの多いメインストリートを外れ、廃業した工場や薄暗い倉庫が立ち並ぶ区画へと歩みを進めた。周囲の喧騒が遠のき、足音だけが妙に大きく響く。
行き止まりのスクラップ置き場に差し掛かったところで、グンツは足を止めて振り返った。
薄暗い路地の入り口を塞ぐように、灰色のローブを深く被った四人の人影が立っていた。人間界から入り込んだわけではない。尖った耳や異常な体躯から、彼らが魔族であることは明白だった。だが、魔力の気配を極限まで殺しているその身のこなしから、路地裏のゴロツキではなく、訓練されたプロの暗殺者であることが一目でわかる。
「何の用だ。魔王軍の総監督から財布をすり取れると思っているなら、随分と高く見積もられたもんだな」
グンツの問いに、ローブの男の一人が低い声で答えた。
「迷宮建築士、グンツだな。……人間界の勇者ギルドから、莫大な報奨金が懸かっている。お前にはここで死んでもらう」
その言葉で、グンツは相手の素性と目的を完全に理解した。人間界のギルドに金で雇われた、魔界の裏社会の掃除屋たちだ。
第一期エリアの全自動処理ラインが稼働して以来、迷宮に侵入した勇者パーティの生還率は実質ゼロになった。業を煮やした人間側は、同胞を金で買収してでも、脅威の元凶である『建築士』の首を直接狙ってきたのだ。
言葉の応酬はそこで終わった。
先頭の男がローブの下から手を振るう。詠唱すらない、完全に無音の風魔法。極限まで圧縮された不可視の刃が、一切の殺気を伴わずにグンツの首筋を的確に狙って飛来した。
「――っ!」
グンツが身を躱そうとした、その時だった。
彼の視界の端で、漆黒のワンピースが翻った。
シュッ、という重く鈍い音がして、クロエの細い肩口から鮮血が噴き出した。
彼女がグンツを庇うように前に飛び出し、不可視の刃をその身で受け止めたのだ。漆黒の生地が大きく裂け、雪のように白い肌と細い骨が深く切り裂かれる。飛び散った赤い血の飛沫が、グンツの頬を汚した。
「クロエッ!!」
グンツの喉から、裂帛の叫びが迸った。
彼は血相を変えてクロエの肩を抱きとめ、暗殺者たちに向けて激しい怒りの眼光を向けた。
「馬鹿野郎、お前が盾になる必要がどこにある! 俺は絶対に仲間を怪我させるなと――」
「……問題、ありません」
グンツの腕の中で、クロエは痛みに顔をしかめるどころか、微動だにしなかった。
感情の欠落した声で呟くと、斬られた傷口の肉が意思を持つように蠢き、瞬く間に元通りに塞がっていく。吸血鬼の持つ、異常な超速再生だ。
「……風圧は十分ですが、切断面が粗いですね。これでは骨と血管を一撃で綺麗に断てません。……やり直し、です」
不死身の再生力と、斬られた痛みを品評する異常な反応を見せつけられ、プロの暗殺者たちの間に一瞬の致命的な動揺が走った。
そのコンマ数秒の隙を、グンツは見逃さなかった。
彼の右目が青白く発光し、《構造解析》のスキルが周囲の環境を舐め回すようにスキャンする。
廃工場の外壁。錆びついた鉄骨の支点。コンクリートの劣化具合。ひび割れの深度。彼が普段向き合っている迷宮の強固な魔導コンクリートに比べれば、この路地裏の構造物など、泥細工のように脆く隙だらけだった。
「てめぇら……俺の部下に、手を出してタダで帰れると思うなよ」
低く唸りながら、グンツが地面に触れ、《即時建築》の魔法を足元の岩盤に流し込む。
暗殺者たちの足元を支えていた古いコンクリートが、まるで生き物のように波打ち、彼らの足首を万力のような力で締め付けた。
「なっ……!?」
「足が、動かん!」
彼らが足元の拘束を解こうと身を屈めた瞬間、グンツはすでに次の魔法を構築していた。
標的は、彼らの頭上にせり出している古いクレーンの鉄骨。長年の雨風で腐食し、辛うじて壁に固定されているだけの脆い結合部だ。グンツは魔法でその支点にかかっていた荷重のバランスを、意図的に限界まで狂わせた。
ギィィ……ッ、という嫌な金属音。
数トンの重量を持つ鉄骨が、音もなく壁から剥がれ落ちた。
「上だ!」
一人が叫んだが、足元をコンクリートに固定された状態では回避など不可能だった。
凄まじい轟音と土煙が路地裏を包み込む。
鉄骨は暗殺者たちを正確に真上から押し潰し、三人の男が地面に縫い付けられて完全に沈黙した。
「……残り一人」
グンツが呟いた直後、足元の拘束を辛うじて引き千切っていた最後の一人が、土煙に紛れて背後から跳躍してきた。
その手には、緑色に怪しく光る粘液が塗布された短剣が握られている。
「死ねぇっ!」
暗殺者がグンツの背中に刃を突き立てようとした瞬間、再びクロエが立ち塞がった。
彼女はためらうことなく、素手でその凶刃を力強く握り込んだ。
「やめろクロエッ!」
グンツの制止も間に合わず、クロエの手のひらが深く裂け、毒液が血液と混ざり合う。
「がっ……! 馬鹿め、それは即効性の神経毒だ! 触れただけで――」
暗殺者が勝利を確信して嗤う。だが、クロエは冷めた目で、自分の手から滴る黒い血を見つめただけだった。
「……痺れ。呼吸困難。……でも、回りが遅いですね。これでは致死量に達する前に、私の再生細胞が毒を分解してしまいます。……質の悪い、三流の毒です」
「な、なんだと……?」
暗殺者が驚愕に目を剥いた瞬間、クロエは刃を握ったままの彼の手首を掴み、一切の感情を交えずに力任せにねじり上げた。
ゴキッ!
骨が砕ける鈍い音と、暗殺者の悲鳴が路地裏に響き渡る。
激痛で短剣を手放し、その場にうずくまる暗殺者の顔面を、グンツの鉄板入り安全靴が容赦なく蹴り飛ばした。怒りの乗った重い一撃に、男は意識を刈り取られ、糸が切れたように崩れ落ちた。
「……終わったか」
グンツは周囲を警戒しながら、気絶した男のローブのポケットを探った。
中から、人間界のギルドの紋章が入った小切手と、グンツの容姿や行動パターンが詳細に記された手配書が出てくる。迷宮の中であろうと、路地裏であろうと関係ない。物理的な法則と構造物が存在する場所である限り、そこは常にグンツの『現場』なのだ。
「……クロエ、手を見せろ」
グンツは手配書をポケットに突っ込み、血に濡れたクロエの手に自身のハンカチをきつく巻きつけた。傷はすでに塞がっていたが、彼の顔には深い疲労と、部下を傷つけられたことへの静かな怒りが滲んでいた。
「俺は、お前を連れ出したことを後悔してるぞ。せっかくの休日の私服が台無しじゃないか。リーゼロッテに見立ててもらったんだろう?」
グンツが、肩口から腰にかけて無惨に裂けてしまった漆黒のワンピースを見て顔をしかめると、クロエは少しだけ申し訳なさそうに視線を伏せた。
「……必要経費、です。新しい毒と、風魔法の致死データが取れましたから。それに……」
クロエは巻かれたハンカチをそっと握りしめ、ほんのわずかに、しかし確かな温度を持って呟いた。
「……それに、グンツさんを、守れましたし。私にとっては……有意義な休日でした」
その不器用な乙女心に、グンツはこれ以上怒る気力を失ってしまった。彼は深くため息をつき、乱れた彼女の黒髪を軽く撫でた。
「そうかよ。……帰るぞ。明日からまた、地下にこもって仕事だ」
グンツは踵を返し、夕暮れが迫る魔界の街を歩き出した。
人間界が直接自分を標的に定めた。それはつまり、第一期エリアの防衛がそれほどまでに彼らを追い詰めているという証拠でもある。
どれだけの暗殺者が来ようと、彼がやるべきことは変わらない。
ただ淡々と設計図を引き、次の階層の基礎を固め、理不尽な死の罠を組み上げるだけだ。




