第20話 グランドオープン
特級迷宮『絶望の箱庭』の深層、第10層の統括管理室。
今日もこの部屋の片隅では、白と黒の小さな毛玉たちによる、負けられない戦いが繰り広げられていた。
「ぐるるるぅ……っ!」
「わふっ! わふっ!」
白犬の子犬であるブランと、黒犬の子犬であるノワールが、一本の『魔獣の骨ガム』を両端から咥えて、必死の引っ張り合いをしている。
つい数日前までは、圧倒的な体重差と毛量の違いから、おっとりとした顔でブランがおもちゃを独占し、ノワールが短い手足をバタバタさせて悔しがるのが日常の光景だった。
しかし、今日のノワールは違った。
「ヴゥゥゥッ!」
ノワールはわざと大袈裟に引っ張る素振りを見せ、ブランが踏ん張るために重心を後ろに傾けたその瞬間、咥えていた骨ガムからパッと口を離したのだ。
「きゅんっ!?」
突然抵抗を失ったブランは、見事にバランスを崩して後ろへコロンと転がってしまった。ヘソ天の状態で短い足をバタつかせ、何が起きたのかわからずにキョトンとしている。
その隙を見逃さず、ノワールは目にも留まらぬ素早さでブランの横に転がった骨ガムをパクリと咥え取った。そして、数歩離れた安全圏までタタタッと走り、骨ガムを前足でしっかりと押さえ込むと、短い尻尾を誇らしげに振りながら、図面を引いていた特級迷宮建築士のグンツを見上げて「どうだ!」と言わんばかりのドヤ顔を見せた。
「……ははっ、見事なフェイントだ。力で勝てないなら頭と素早さで勝負するとは、ノワール、お前は本当に賢いな」
グンツは図面から顔を上げ、苦笑しながらノワールの頭を優しく撫でてやった。ノワールは鼻を鳴らして甘え、ブランは「やられた」というように尻尾を丸めてグンツの足元にすり寄ってくる。グンツはブランの頭も撫で、新しいおもちゃの木片を削って渡してやった。
「……子犬の成長速度には目を見張るものがありますね。あの体重差を戦術で覆すとは、当迷宮の遊撃隊長に任命しても良いかもしれません」
鉄扉が開き、分厚いバインダーを抱えた経理担当のリーゼロッテが入ってきた。彼女の眼鏡の奥の瞳は、誇らしげに骨ガムを齧るノワールを見て、すっかり細められている。
「それで、リーゼロッテ。現場の最終確認はどうなっている?」
グンツが真剣な表情に戻って尋ねると、リーゼロッテも冷徹な経理の顔へと切り替わり、バインダーを開いた。
「第11層から第20層にかけての『第一期工事エリア』、すべての仮設足場の撤去および、防衛設備の最終魔力チェックが完了しました。調達部のステラさんが手配した無償の魔導コンクリートは完璧に硬化しており、基礎の強度は魔王城の城壁をも凌駕しています。物流のレイラさんによる罠の予備パーツの搬入も完了。研究開発部のセリアさんの作成した各種ギミックも、品質保証部のクロエさんによる最終デバッグを経て、致命的なバグはすべて修正済みです」
「よし。俺が引いた死の動線の仕上がりは?」
「迷路の構造も、完璧です。侵入者の心理を誘導し、確実な死地へと誘い込む計算し尽くされた配置になっています」
リーゼロッテが力強く頷いた、その時だった。
「絶望の箱庭のみんなー! 準備はいい!? お客さんが大行列を作って待ってるわよ!」
営業推進部のヴィオラが、最新型の魔導板を抱きしめながら監視室に飛び込んできた。
「ヴィオラ、お前、またどんな宣伝を打ったんだ」
「ふふっ、今回はシンプルかつ最大級の噂よ。『特級迷宮・絶望の箱庭、ついに第一期改修工事完了! 今なら未踏破ボーナスの莫大な宝が眠っている!』ってね。人間界の冒険者ギルドは今、この迷宮の話題で持ちきりよ。中堅から高位のパーティが、我先にと入り口に殺到しているわ!」
グンツは大きく息を吸い込み、パイプ椅子から立ち上がった。
「……上等だ。これまでの防衛は、その場しのぎの即席罠の連続だった。だが、ここから先は違う。最高の資材と、各部署のプロフェッショナルたちの知恵が結集した、真の特級迷宮の力を見せてやる。……第一期エリア、全自動処理ラインを稼働させろ!」
★★★★★★★★★★★
ヴィオラの宣伝に釣られ、迷宮の第11層へと意気揚々と足を踏み入れたのは、高位の魔法使いを擁するベテランの冒険者パーティだった。
「ハッ、改修工事が終わったばかりなら、まだ罠の配置も手探りのはずだ! 今のうちに最深部まで駆け抜けてやるぜ!」
リーダーの戦士が、真新しい魔導コンクリートの床を力強く踏みしめる。
だが、彼らが最初の緩やかな下り坂に足を踏み入れた瞬間、その足はツルリと奇妙な滑り方をした。
「なっ、なんだこの床は!? 氷か!?」
彼らが気づいた時には遅かった。床の表面には、摩擦係数完全ゼロの永久凍土が極薄に敷き詰められていたのだ。
彼らは踏ん張ることもできず、絶叫と共に巨大なウォータースライダーのように第11層から第15層までの複雑な通路を猛スピードで滑落していく。
そして彼らが滑り落ちた先は、分厚い魔導コンクリートで完全に密閉された小部屋だった。
「い、痛ぇ……っ。なんだ、ここは行き止まりか?」
「おい、後ろの扉が閉まったぞ!」
彼らが全員部屋に入った重みを感知し、背後の分厚い鉄扉が完全にロックされた。
直後、部屋の壁に設置された強力な魔導ポンプが凄まじい音を立てて駆動し始める。
「な、なんだこの音は!? 息が……息が苦しいぞっ!」
「空気が……抜かれている!?」
そこは、以前の防衛で猛威を振るった『絶対真空ルーム』の改良版であった。
摩擦ゼロの滑り台で対象を確実にこの部屋へと誘導し、密閉と同時に空気を完全に排出する。魔法障壁を持っていようが、急激な気圧差と体液の沸騰、そして圧倒的な酸欠からは逃れられない。冒険者たちはものの十数秒でのたうち回り、次々と息絶えて床へと倒れ伏した。
「……対象の全滅を確認。これで防衛完了だ」
監視室で映像を見ていたグンツが、パイプ椅子に深く腰掛けながら冷酷に宣言した。
「処理ライン、事後処理工程へ移行しろ」
「承知しました」
リーゼロッテが手元のレバーを引く。
完全に絶命した冒険者たちの足元の床が、観音開きにパカリと開いた。
彼らの遺体は、真っ直ぐに地下へと伸びる太いダストシュートへと吸い込まれていく。管の内部に設けられた魔力クッションと減速スロープを経て、数十層の深さまで掘り下げられた巨大な『処理プール』へとふんわりと落下した。
プールの底で待機していたのは、無数の清掃特化型スライムたちだ。
グンツの「部下を危険な戦闘に晒さない」という絶対のルールの下、完全に息絶えた有機物だけが彼らの元へと届けられる。スライムたちは安全な環境で降ってきた有機物を瞬時に包み込み、跡形もなく消化・浄化していく。
そして、スライムが消化できない無機物……すなわち、彼らが身につけていた高価な魔法金属の鎧、ミスリルの剣、そして大量の金貨が入った皮袋だけが、プールの底に綺麗に洗浄された状態で沈んでいく。
それらの装備品は、地下水脈から引き込んだ自動洗浄シャワーを経て、魔力で駆動するベルトコンベアに乗せられ、監視室の隣に新設された広大な『回収部屋』へと次々に運ばれていった。
★★★★★★★★★★★
ガシャァァン! チャリン、チャリリンッ!
監視室の隣から、絶え間なく金属の触れ合う快い音が鳴り響いていた。
それは、ただの一組のパーティのドロップ品ではない。
ヴィオラの宣伝によって殺到した数十組のパーティが、次々と別の入り口から侵入しては、摩擦ゼロの滑り台や、自己増殖ワイヤーによる拘束部屋、あるいは睡眠ガスを充満させた密閉空間など、グンツが張り巡らせた無人の全自動トラップに次々と引っかかり、すべて同じダストシュートの処理プールへと流れ込んでいたのだ。
「やったわね、大成功よ! 私が釣ってきた上客たちが、見事にラインに乗って出荷されていくわ!」
ヴィオラが魔導板のカメラ機能で、次々と吐き出される宝の山をパシャパシャと撮影している。
「ふふっ、私の提供した魔導コンクリートと重機が、こんなに素晴らしい錬金装置に化けるなんてね。ガルシア商会を少し脅した甲斐があったわ」
ステラが極上のワイングラスを傾けながら、妖艶に笑う。
「私のゼリーも、ワイヤーも、完璧に作動していますわ! グンツ様の設計のおかげですわね!」
セリアが白衣の袖を振ってピョンピョンと飛び跳ねる。
「アタシが運んだ予備の魔力タンクも正常に機能してるみたいだな。いやぁ、見てて気持ちいいほどの連携プレイだぜ」
レイラが壁に寄りかかり、満足げに腕を組んでいる。
「……どの罠の致死量も、私のデバッグ通り、計算に寸分の狂いもありません。美しい死の連鎖です……」
クロエが静かに、しかし深い恍惚を込めて呟いた。
魔王軍の各部署のプロフェッショナルたち、彼女たちの持てる最高の技術と資材が、グンツという類まれなる特級迷宮建築士の指揮の下で一つに結集した結果であった。
「……総監督。第一期エリアの決算報告をします」
リーゼロッテが、回収部屋に積み上がるピカピカの武器や金貨の山から視線を戻し、興奮を隠しきれない震える声で告げた。
「この全自動処理ラインの稼働により、時給換算で運び込まれてくる装備品の推定売却益は、なんと金貨1万枚を下りません。オークたちの大規模増員による莫大な人件費、三交代シフトを維持するための福利厚生費、そして全90層の仮設インフラ維持費という極めて重いランニングコストを差し引いても……完全に、圧倒的な黒字化を達成しました。これぞ完全なる不労所得、究極の全自動利益回収システムです」
リーゼロッテの口角が、限界まで吊り上がっている。経理の鬼にとって、これ以上美しい光景は世界中どこを探しても存在しないだろう。
「特級迷宮『絶望の箱庭』の第一期エリア、グランドオープンは……歴史的な大勝利です!」
監視室に、割れんばかりの歓声が響き渡った。
個性豊かで悪魔的な女性陣が、グンツの背中をバシバシと叩き、あるいは腕に抱きついてその功績を称賛している。
「おい、お前ら! 離れろ、暑苦しい!」
グンツは照れ隠しのように怒鳴りながらも、その顔には確かな職人としての充実感と、仲間たちへの深い信頼の笑みが浮かんでいた。
足元では、ブランとノワールが楽しげな空気を察知して、「わんっ!」「わふっ!」と元気に尻尾を振って駆け回っている。
「……だが、喜ぶのはまだ早いぞ。今はまだ、全100層のうちの第20層までが完成したに過ぎない。この莫大な利益を全額再投資して、第21層以降のさらなる地獄の再建工事に取り掛かる。……俺たちの本当の仕事は、これからだ」
グンツは愛用のヘルメットを深く被り直し、監視水晶の向こう側に広がる、未だ闇に包まれた広大な下層エリアを見据えた。
金貨3枚の極小予算から始まった彼の泥臭い防衛戦記は、最高の仲間と潤沢な資金を手に入れ、魔界全土を震撼させる最凶の迷宮建造プロジェクトへと、その歩みをさらに力強く進めていくのだった。




