第15話 バズ・マーケティングの罠
魔王城での月に一度の定例報告会議を終え、特級迷宮『絶望の箱庭』の総監督であるグンツは、帰途についていた。
彼が乗っているのは、魔界の主要都市と各迷宮を網の目のように結ぶ高速交通網の最高峰、時速300キロを超える猛スピードで大地を駆け抜ける『魔導超特急』である。人間界の言葉を借りるなら、新幹線に相当する乗り物だ。
車窓の外では、赤茶けた魔界の荒野が飛ぶように後方へと流れていく。流線型の車体は魔力シールドで覆われており、車内は揺れも騒音もほとんどなく、極めて快適な空間が保たれていた。
「……ふぅ。ゼノビアへの労働環境改善の報告も無事に通ったし、これでしばらくは迷宮の再建工事に集中できそうだな」
グンツは特等席の深く柔らかいシートに背中を預け、ネクタイを少し緩めた。
長時間の会議で頭を使ったせいか、猛烈な空腹を感じていた彼は、乗車前に魔王都のターミナル駅で購入しておいた駅弁の包みを開いた。
「腹が減っては戦はできんからな」
彼が取り出したのは、美しいクラフト紙に丁寧に包まれた『フランスパンのサンドイッチのセット』だった。
表面がパリッと香ばしく、中はもっちりとした弾力のある硬いフランスパンに、厚切りにされた魔獣肉のローストポーク、シャキシャキの新鮮なレタス、そして濃厚に熟成されたチーズがたっぷりと挟み込まれている。パンの内側にたっぷりと塗られたマスタードと蜂蜜の特製ソースが、肉の旨味を極限まで引き出していた。
グンツが大きく口を開けてかぶりつくと、バキッという小気味良い音と共に、硬いパンの食感とジューシーな肉汁が口いっぱいに広がる。噛めば噛むほどに小麦の甘みと豚肉の塩気が混ざり合い、至福の味わいだった。
付け合わせには、酸味の効いた自家製のピクルスと、保温機能付きの魔法瓶に入れられた熱いハーブティーのセットだ。スパイシーな肉の脂を、爽やかなハーブティーで流し込む。忙しい出張の合間の車内で食べる食事としては、これ以上ない最高の贅沢である。
「……おいしそうに食べるわね。でも、あまりのんびりしている暇はないわよ、グンツ」
隣の席から、華やかな香水の匂いと共に声がかけられた。
魔界の最新流行を取り入れたパンツスーツをスタイリッシュに着こなし、背中の小さなコウモリ羽をシートに器用に収めて座っているのは、営業推進部から出向してきている広報担当のサキュバス、ヴィオラだ。
彼女は食事もとらず、手元にある最新型の魔導板の画面を真剣な表情でスワイプし続けていた。
「ヴィオラ、お前も食うか? まだ半分残っているぞ」
「いらないわ。私はさっき王都のカフェで済ませてきたから。それよりグンツ、見てよこれ。私の仕掛けた戦略が、見事にハマりつつあるわ」
ヴィオラが魔導板の画面をグンツの顔の前に突き出した。
そこには、人間界の裏社会が使用している秘密の通信網のログが、ハッキングツールを通じてリアルタイムで表示されていた。
「なんだこれは? 人間界の掲示板か」
「そうよ。人間界の冒険者たちは、今や情報を金で買う時代。特に、強大なダンジョンの『抜け道』や『安全地帯』の情報は、高位のギルドに莫大な額で売れるの。だから私は、彼らのその需要を利用して、意図的に『裏ルートの偽情報』を流してやったのよ」
ヴィオラは美しい唇を弧の字に歪め、不敵に笑った。
「私が流した情報はこれ。『特級迷宮・絶望の箱庭は、現在第11層以下の大規模な改修工事を行っている。その工事の魔力系統の乱れにより、第12層の西側ブロックに、すべての罠の動力が落ちた完全な死角となる安全ルートが存在している』……ってね。いわゆる、バズ・マーケティングの応用よ」
グンツはサンドイッチを咀嚼しながら、呆れたように眉をひそめた。
「またお前はそんな面倒なデマを流して……。こんな怪しい情報、本気で信じる奴がいるのか?」
「素人の冒険者なら疑うでしょうね。でも、この偽情報に最も早く食いつくのは誰だと思う? ……情報を商材にする、プロの『情報屋パーティ』よ」
「情報屋、だと?」
「ええ。彼らは情報を高く売るために、必ず自分たちの足で情報の裏取りに来るわ。戦闘を避けて隠密と探索に特化した、機動力の高い連中よ。彼らを一箇所に集めて一網打尽にすれば、彼らが持っている他の迷宮の機密情報や裏金ごと、魔王軍の利益として回収できるってわけ」
ヴィオラの恐ろしいまでのビジネスライクな思考に、グンツはため息をつきながらハーブティーを飲んだ。
「……なるほど。お前がただの能天気なサキュバスじゃなくて、有能な営業担当だってことを忘れていたよ。で、俺に何をしろと?」
「簡単なことよ、私の専属建築士さん。嘘の中に真実を混ぜるのが一番騙しやすいわ。彼らが検証に来た時、本当に『罠が作動していないように見える安全な裏ルート』を、あなたの建築魔法で造ってちょうだい。そして、彼らが完全に安心しきったところを……一網打尽にするのよ」
「……あくどい女だ。だが、仕事なら完璧にこなしてやる」
グンツは残りのサンドイッチを一口で平らげ、魔導超特急の窓の外に広がる荒野を見つめながら、頭の中で早くも罠の設計図を引き始めていた。
★★★★★★★★★★★
数時間後。特級迷宮『絶望の箱庭』、第10層の統括管理室。
魔導超特急を降りて現場に帰還したグンツとヴィオラを、経理担当のリーゼロッテが出迎えた。
「お帰りなさいませ、総監督。魔王城での報告会議、お疲れ様でした」
「わふっ! くぅ〜ん!」
リーゼロッテの足元から、真っ白な毛玉であるグレートピレニーズの子犬、ブランがちぎれんばかりに尻尾を振って飛びついてきた。グンツはしゃがみ込み、ブランのフワフワの頭を撫でてやる。
「ただいま、ブラン。良い子にしてたか? リーゼロッテ、留守番感謝する」
「ええ。ですが、息つく暇もありませんよ。ヴィオラさんが仕掛けた情報の拡散により、すでに数組の情報屋パーティが当迷宮に侵入を開始しています。彼らは戦闘を極力避け、猛スピードで第12層を目指して降下中です」
リーゼロッテがバインダーを開き、冷徹に状況を報告する。
「よし、すぐに現場に向かう。俺の魔法で、奴らを歓迎するための『偽の安全地帯』を造り上げてくる」
グンツは愛用のヘルメットを被り、昇降機で第12層の工事エリアへと急行した。
彼が向かったのは、第12層の西側ブロックにある行き止まりの通路だ。
グンツは右目を青白く光らせ、《構造解析》のスキルを発動する。そして、《即時建築》の魔法を起動した。
彼はわざと通路の壁の一部を破壊し、内部の魔力ラインの配線を切断して露出させた。床の石畳も不自然に剥がし、「工事のせいで罠の動力が完全に落ちている」ように偽装する。
さらに、その通路の奥に、一見すると安全に野営ができそうな小部屋を構築した。
だが、その小部屋の構造には、致命的な物理的トラップが仕掛けられていた。部屋の床の石板を数センチの厚みに削り、その下に、特定の荷重がかかると固定具が外れる純粋な物理ワイヤーの仕掛けを張り巡らせておいたのだ。
「以前、土砂や岩盤を落とす罠を作った時は、その後の後片付けの手間で酷い目に遭ったからな。今回は、床材そのものが観音開きに抜け落ちる『底抜けトラップ』にしておいた」
グンツは罠の作動機構を慎重に最終確認する。
「落下先は、先日第10層からさらに数十層の深さまで掘り下げて拡張しておいた『自動循環型・死体処理システム』の縦穴だ。この第12層の床を抜けば、奴らはそのまま数十メートルの高さを自由落下して、一番底で待機しているスライムプールのど真ん中へ真っ逆さまだ。重力による落下ダメージで即死し、後片付けも一切不要。これなら現場への負担はゼロだ」
グンツは満足げに頷き、偽装工作を終えて監視室へと戻った。
★★★★★★★★★★★
それから数十分後。
ヴィオラの流した噂を鵜呑みにした情報屋パーティが、第12層の西側ブロックへと到着した。
彼らは全員が黒い装束に身を包み、足音一つ立てずに進む、裏社会のプロフェッショナルたちだった。
「……リーダー。掲示板の情報通りだ。この通路の魔力ラインは完全に切断されている。魔力反応ゼロ。魔法的な罠はすべて死んでいるぞ」
探知スキルを持つ盗賊の男が、壁の露出した配線を確認してニヤリと笑った。
「やはりな。特級迷宮の大規模改修工事の隙間……これこそが、魔王軍すら把握していない完全な死角だ。この裏ルートの正確な地図データを王都のギルドに持ち帰れば、俺たちは一生遊んで暮らせるだけの大金が手に入るぜ!」
リーダーの男が興奮気味に呟く。
彼らは周囲を警戒しつつも、魔法的な罠が作動しないという確信から、次第に足取りを早めていった。そして、グンツが用意した通路の奥の小部屋へと足を踏み入れた。
「よし、ここならモンスターの巡回ルートからも完全に外れている。絶好の安全地帯だ。少し休憩して、ここまでの探索データを記録水晶にコピーするぞ」
情報屋たちが警戒を解き、部屋の中心に集まって荷物を下ろした、その瞬間だった。
カチッ。
リーダーのブーツが、部屋の中心に偽装された感圧式の床材を踏み抜いた。
魔法の魔力など一切感知されない、純粋な物理的なワイヤーの作動音。
「……ん? 今、何か踏んだか……?」
リーダーが足元に視線を落とした直後。
彼らが立っていた部屋の床全体が、真ん中から真っ二つに割れるようにパカリと開き、巨大な暗い縦穴が口を開けた。
「なっ……!?」
支えを失った彼らの体は、重力に従って容赦なく暗黒の穴の底へと吸い込まれていく。
魔法の罠ではない。純粋な『重力』による、回避不可能な物理現象。
「罠だ! 床が、床が抜けたぁぁぁっ!!」
隠密スキルも、罠探知スキルも、足元が完全に消滅する事態の前には何の意味もなさない。情報屋パーティは、空中で手足をばたつかせながら数十メートルの高さを真っ逆さまに落下していった。
誰一人として帰還の転移石を使う暇すら与えられず、彼らは凄まじい衝撃音と共に穴の底の処理プールへと激突し、即死による全滅を迎えたのだった。
★★★★★★★★★★★
「……対象の全滅を確認。これで防衛完了だ」
監視室で、グンツがパイプ椅子に寄りかかりながら宣言した。
「続いて、事後処理システムを起動します」
リーゼロッテが手元のレバーを引き下ろした。
遥か下層の処理プールでは、待機していた清掃特化型スライムたちが落下してきた有機物を瞬時に消化・浄化し、彼らが持ち込んだ武器や、情報が詰まった記録水晶といった無機物だけが自動で洗浄される。それらはベルトコンベアに乗り、綺麗な状態で監視室の回収部屋へと運ばれてきた。
「決算報告をします」
リーゼロッテが、回収された大量の記録水晶をバインダーの上に並べながら、冷徹な声で告げた。
「今回使用した資材は現場の廃材のみであり、後片付けの労力もかかっていないため経費は金貨0枚。対して、対象が落としていったこれらの記録水晶には、人間界の裏ギルドの通信暗号や、他の迷宮の攻略情報が大量に記録されていました。これを情報ブローカーに横流しした場合の推定売却益は……金貨300枚を下りません。圧倒的な利益率です」
「やったわね! 私のバズ・マーケティング戦略の大勝利よ!」
ヴィオラが魔導板を抱きしめて歓喜の声を上げる。
「嘘の情報で敵をおびき寄せ、彼らが命懸けで集めた本物の情報を根こそぎ奪い取る。……お前、本当に恐ろしい女だな」
グンツはヴィオラのえげつない手腕に戦慄しながら首を鳴らした。
「ビジネスは情報戦よ、グンツ。物理的な罠を張るだけが防衛じゃないわ。人間の欲望と心理をコントロールしてこそ、真の特級迷宮よ!」
「はいはい、わかったよ。お前のおかげで、再建資金の足しができたことには感謝する」
グンツがため息をつくと、足元でブランが「わふっ」と元気よく吠え、回収されたピカピカの記録水晶の匂いをクンクンと嗅いでいた。
魔法に頼らない物理トラップと、人間の欲望を逆手に取った情報戦。
魔王軍の各部署のプロフェッショナルたちが織りなす容赦のない防衛戦術により、特級迷宮『絶望の箱庭』は、いかなる侵入者にも生還を許さない真の絶望の要塞へと、着実に進化を遂げているのだった。




