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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第12話 契約の抜け穴

 特級迷宮『絶望の箱庭』の深層、第10層にある統括管理室。

 天文学的なマイナス予算という過酷な現実を突きつけられ、経理担当のリーゼロッテが泡を吹いて気絶してから、数時間が経過していた。


 時刻は深夜。静まり返った室内には、グンツが製図用の羽ペンを走らせるカリカリという音と、木箱のベッドで眠る子犬のブランの規則正しい寝息だけが響いている。

 グンツは、全90層に及ぶ迷宮の基礎を造り直すための、膨大な再建計画の設計図を引き続けていた。だが、いくら完璧な設計図を描いたところで、莫大な再建費用の目処が立たない限り、工事は1ミリたりとも進まない。


「……少し、休憩するか」


 グンツは凝り固まった首を鳴らし、立ち上がって部屋の隅の簡易調理スペースへ向かった。

 徹夜作業の供として彼が取り出したのは、魔王軍の兵站局が開発した野戦用の保存食である。銀色の魔法パウチに密閉されており、熱湯の入った鍋に数分沈めるだけで、いつでも熱々の食事がとれるという優れものだ。

 グンツはパウチを湯煎し、器に盛った麦飯の上にとろみのある茶色いソースをたっぷりとかけた。数十種類の香辛料と魔獣の肉を煮込んだ、刺激的な匂いが広がる。人間界では『カレー』と呼ばれている料理に似た代物だ。


 それだけでは栄養が偏るため、グンツは先日、物流のレイラが差し入れとして大量にデリバリーしてきた、人間界の境界付近にある万屋で売られている透明な容器入りのグリーンアスパラガスのサラダを添えた。シャキシャキとした新鮮なアスパラガスに、酸味のあるドレッシングがよく合う。

 スパイシーで濃厚な香辛料煮込みをかき込み、冷たく瑞々しいサラダで口の中をリセットする。過酷な労働環境において、手軽で美味い飯は何よりの活力だ。

 手早く食事を終えたグンツは、豆から丁寧に挽いた熱いコーヒーを淹れ、その深く苦い香りを楽しみながら大きく息を吐いた。


「……いい匂いですね」


 コーヒーの香りに誘われたのか、ソファで気絶していたリーゼロッテが、ゆっくりと身を起こした。

 彼女は乱れた銀髪を直しながら、ズレた鼻眼鏡を直す。


「目が覚めたか、リーゼロッテ。コーヒーを淹れたぞ。砂糖は入れない派だったな」

「ありがとうございます……。私としたことが、不覚を取りました。数字の暴力に精神が耐えきれず、自己防衛本能が働いてしまったようです」


 リーゼロッテはコーヒーの入ったマグカップを受け取り、一口飲んで深くため息をついた。

 足元では、目を覚ましたブランが彼女のストッキングの匂いをクンクンと嗅いでいる。


「気絶したくなる気持ちは痛いほどわかる。まずは、前任者が残したあの莫大な借金をなんとかしないと、重機のリースすら通らないぞ」

「おっしゃる通りです。ですが、借用書には魔王軍の印が押されており、法的には完全に有効な契約です。踏み倒せば、魔王軍の信用問題に関わります」


 リーゼロッテが絶望的な表情で首を横に振った、その時だった。


「あら、そんな深刻な顔をしないで頂戴。法的なトラブルの解決は、私の専門分野よ」


 カツカツと高いヒールの音を響かせて、重厚な鉄扉の奥から一人の女性が現れた。

 調達部兼法務部のチーフバイヤー、ステラだ。彼女は胸元が大きく開いた真紅のタイトドレスを身に纏い、プラチナブロンドの髪をかき上げながら、挑発的な笑みを浮かべていた。


「ステラ……! お前、どうしてここに」

「ヴィオラから聞いたのよ。絶望の箱庭の総監督になった可愛い後輩が、前任者の負債で首が回らなくなっているってね。頼もしい法務顧問が、直々に解決してあげるわ」


 ステラは手にした分厚い羊皮紙の束を机にバサッと置いた。

 それは、リーゼロッテが回収していた、人間界の商人からの借用書と督促状の束だった。


「相手は人間界の南区を牛耳る『ガルシア商会』ね。さっき、この迷宮の第1層に設けた仮設応接室に商会の会長を呼び出しておいたわ。もう着いているはずよ」


「第1層だと!? おい、いくら交渉のためとはいえ、防衛の拠点を素通りさせて敵を迷宮の中に入れたのか!」

「大丈夫よ、彼らは武装した護衛を連れているけれど、入り口すぐの安全地帯までしか入れていないわ。それに、いざとなればあなたが何とかするでしょう? だからあなたとリーザにも来てもらうのよ。さぁ、ショーの始まりね」


★★★★★★★★★★★


 グンツとリーゼロッテは、ステラに連れられて第1層の仮設応接室へと向かった。

 そこには、ずんぐりとした肥満体の人間の男が数人の護衛を引き連れてふんぞり返っていた。

 彼こそが、ガルシア商会の会長である。高価なシルクの服を着込み、十本の指すべてに宝石のついた指輪をはめている。


「やあやあ、ようやく魔王軍の新しい責任者とお会いできましたな! 私はガルシア。前任のオーク殿には、ずいぶんと資金を融通して差し上げましたぞ」


 ガルシアは尊大な態度で葉巻を取り出し、護衛に火をつけさせた。


「さて、本題に入りましょう。前任者が我が商会から借り入れた金貨100万枚。期日はとうに過ぎております。これ以上支払いが滞るようであれば、正当な権利として、この迷宮そのものを差し押さえさせていただきますぞ。最近ここは勇者が落とす装備品で荒稼ぎしていると聞きますからな。良い金蔓になりそうだ」


 醜悪な笑みを浮かべる大商人に対し、グンツは怒りで拳を握りしめた。

 しかし、ステラがスッと前に進み出て、妖艶な笑みを浮かべながらガルシアの正面に立った。


「初めまして、ガルシア会長。私は魔王軍法務顧問のステラと申します。借金の返済についてですが……私たちは、あなたに金貨1枚たりとも支払うつもりはありません」


「……何とおっしゃいましたかな?」


 ガルシアの顔から笑みが消え、護衛たちが剣の柄に手をかけた。


「魔王軍ともあろう者が、正式な借用書を反故にするおつもりか! これは人間界の商業ギルドも認めた公的な契約書ですぞ! 踏み倒すというなら、人間界の全ギルドを敵に回すことになるが、よろしいのですかな!」


「ええ、その借用書は確かに本物でしょう。前任のオークが在任中にサインし、魔王軍の印も押してある。……ですが、ガルシア会長。あなたは一つ、致命的なミスを犯しているわ」


 ステラはドレスの胸元から、全く別の羊皮紙を一枚取り出した。


「あなたは前任のオークと、表向きは『高級資材の納入契約』を結んでいた。でも裏では、『意図的に粗悪な廃材を納入し、浮いた莫大な差額を前任者個人に借金という名目でキックバックする』という、不正な『二重契約』を結んでいたのよ」


 ガルシアの顔色が、わずかに変わった。


「な、なんと……!? そんな内部事情など、当商会は存じ上げませんな! 私共は指示された通りに資材を納入し、彼が迷宮の設備投資に金貨を使ったのは紛れもない事実! ならば迷宮に返済義務があるはずですぞ!」


「とぼけても無駄よ。その二重契約の決定的な証拠が、これよ」


 ステラが突きつけた羊皮紙には、ガルシア商会の裏帳簿のデータが克明に記されていた。


「私の情報網でこっそり入手させてもらったのだけれど。魔王軍から騙し取った正規の予算と、今回貸し付けたという金貨100万枚を、裏で折半して着服していた。いわゆる『架空取引によるマネーロンダリング』よ。違うかしら?」


 ガルシアの額から、滝のような冷や汗が噴き出した。

 彼が魔王軍の無知なオークを騙して私腹を肥やしていた悪事が、すべて白日の下に晒されたのだ。


「さらに追撃させてもらいます」


 リーゼロッテが一歩前に出て、バインダーを開いて冷徹な声で告げた。


「当迷宮の搬入記録、および構造解析の結果、あなたが納品したとされる大理石や高級資材は一切存在せず、表面を偽装したスカスカの粗悪な廃材のみで構成されていることが確認されています。これは明確な契約不履行であり、魔王軍に対する詐欺行為の物的証拠です」


「ひぃっ……!」


「借用書そのものが、魔王軍に対する詐欺行為を隠蔽するための偽装契約。……ガルシア会長。人間界の商業ギルドは、詐欺と横領を働く悪徳商人を守ってくれるのかしら?」


 ステラの持つセイレーンの《魅惑の歌声》が、静かに、しかし確実に商人の理性を削り取っていく。


「わ、わかった……! 借金はチャラでいい! この借用書は破棄いたします! だから、この詐欺の証拠はどうかギルドには内密に……!」


「あら、チャラで済むと思っているの? 私たちは、あなたの粗悪な資材のせいで崩壊寸前になった迷宮を、全90層にわたって造り直さなければならないのよ。その莫大な被害と、詐欺未遂の慰謝料。……キッチリ払っていただくわ」


 ステラは、あらかじめ用意していた分厚い『新たな契約書』をガルシアの前に叩きつけた。


「この迷宮を基礎から造り直すために必要な、最高純度の魔導コンクリート、特殊樹脂、長距離配管材、そして大型魔導重機のリース費用。総額にして金貨200万枚相当の資材を、あなたの商会から『無償で』提供してちょうだい。もちろん、送料もそちらの負担よ。これにサインすれば、今回の詐欺の件は目を瞑ってあげるわ」


「き、金貨200万枚の無償提供ですと!? 御冗談を、そんなことをすれば我が商会は完全に倒産だ! 破産してしまいますぞ!」


「サインしないなら、この証拠を今すぐ人間界のギルドと王国の騎士団に提出するわ。詐欺罪と魔王軍への内通罪。……あなたは破産どころか、一生陽の当たらない地下牢で過ごすことになるわね。さぁ、選んで?」


 ステラの美しい瞳が、蛇のように冷酷に光った。

 彼女のスキル《絶対契約》の魔力が込められた羊皮紙とペンを前に、ガルシアはガチガチと歯の根を鳴らして震え上がった。彼に逃げ道は残されていなかった。


「あぁ……ああぁぁぁ……っ!」


 半泣きになりながら、ガルシアは震える手で契約書にサインを書き入れた。

 サインが完了した瞬間、契約書がまばゆい光を放ち、絶対の拘束力を持つ魔力誓約が成立した。


「契約成立ね。毎度あり。資材の納入は明日から順次お願いするわ。納期が1日でも遅れたら、違約金としてあなたの商会の権利をすべていただくから、死ぬ気で運びなさい」


 ステラが冷たく言い放つと、ガルシアは崩れ落ちるように膝をつき、護衛たちに抱えられながら、魂を抜かれたような顔で迷宮を後にした。


★★★★★★★★★★★


「……信じられない。本当に、マイナス300万枚の絶望的な資金繰りが、たった数十分の交渉で完全にクリアされてしまいました……」


 第10層の統括管理室へと戻ったリーゼロッテが、サインされた契約書と資材目録を呆然と見つめて呟いた。

 前任者の借金100万枚は法的に無効化され、さらに再建に必要な200万枚相当の資材と重機が、すべて無償で手に入ったのだ。


「ふふっ、言ったでしょ? 法的トラブルは私の専門だって。これで思い切り迷宮の再建ができるわね、グンツ」


 ステラが優雅にコーヒーカップを手に取り、香りを楽しんでいる。


「……悪魔だな、お前は。いや、セイレーンだったか」


 グンツは深いため息を吐いたが、その表情は数時間前とは打って変わって、職人としての確かな熱情を取り戻していた。


「だが、これで最高の資材と重機が手に入った。これなら、オークたちに過度な負担をかけることなく、安全で迅速な大規模工事が可能だ。……礼を言うぞ、ステラ。お前のおかげで、この迷宮は救われた」


「ふふっ、お礼なら、そのうちあなたが作る最高の手料理と、美味しいお酒でたっぷり返してもらうわ。……あら、こんなところに可愛い子犬がいるじゃない」


 ステラがソファの横で丸くなっているブランを見つけて微笑むと、ブランは尻尾を振って彼女の手を舐めた。


「さて、資金と資材の壁は突破した。ここからが特級迷宮建築士の本当の仕事だ。全90層の腐敗した基礎をぶち壊し、いかなるチート勇者も生きて帰さない、最強の『絶望の箱庭』をゼロから造り上げるぞ!」


 グンツは立ち上がり、新たな設計図が広げられた机へと力強く歩み寄った。

 天文学的な負債という最大の危機を『契約の抜け穴』で乗り越え、魔王軍の職人たちによる、魔界の歴史に残る超大規模なダンジョン再建プロジェクトが、いよいよ本格的に動き出そうとしていた。

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