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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第10話 栄転と絶望のプロジェクト

 魔界の中心にそびえ立つ、禍々しくも荘厳な魔王城。

 その最上階にある広大な玉座の間には、深紅の絨毯が敷き詰められ、両脇には屈強な魔将たちが静かに傅いていた。

 絨毯の先、見上げるほど巨大な黒曜石の玉座に腰掛けているのは、豪奢な漆黒のドレスに身を包んだ、金髪に真紅の瞳を持つ一人の少女だった。


「……面を上げよ、グンツ。そしてリーゼロッテ」


 見た目は10歳にも満たない可憐な幼女だが、その声には数千年の時を生きる魔族の頂点としての、絶対的な威厳と重圧が宿っていた。彼女こそが、株式会社・魔王軍の頂点に君臨する絶対の主、魔王その人である。


 玉座の前に膝をついていた特級迷宮建築士のグンツと、経理担当のリーゼロッテは、静かに顔を上げた。グンツはいつもの作業着ではなく、一応の正装である魔王軍の軍服を窮屈そうに身に纏っている。


「先日の500人規模の大討伐隊の防衛、見事であった! 各部署の専門家を見事にまとめ上げ、金貨0枚という予算から、8万枚を超える莫大な利益を叩き出した手腕。余は高く評価しておるぞ!」

「はっ。もったいないお言葉です、魔王様。すべては各部署の連携と、現場のオークたちの尽力によるものです」


 グンツが頭を深く下げると、魔王は満足げに頷き、玉座から立ち上がって小さな手を大きく広げた。


「よって、そちのこれまでの働きに報い、新たな辞令を下す! グンツよ、そちを本日付けで、特級迷宮『絶望の箱庭』の正式な総監督に命ずる!」

「……は?」


 グンツは思わず素の声を漏らしてしまった。横にいたリーゼロッテが、鋭い肘打ちを彼の脇腹に叩き込む。


「魔王様、恐れながら申し上げます。私はすでに数週間前から、『絶望の箱庭』に着任し、現場の指揮を執っておりますが……」

「うむ、わかっておる。だが、そちがこれまで守っていたのは、全100層ある迷宮のうち、入り口に近い第6層までの『上層エリア』に過ぎぬ。あくまで暫定の現場監督としての配置じゃった」


 魔王の言葉に、グンツは嫌な汗が背中を伝うのを感じた。


「しかし、今回の大戦果を受け、そちに迷宮すべての再建を任せることに決めたのじゃ。今日からそちは、全100層を統括する正式なゼネラルマネージャーじゃ。権限も責任も、すべてそちのもの! もっとこう、ドーンとしてバーンとした、誰もが絶望する最強の迷宮を作り上げるのじゃ!」

「ドーンとしてバーン……ですか」

「そうじゃ! 期待しておるぞ、グンツ! では、下がってよい!」


 有無を言わさぬ魔王の宣言により、謁見は強制終了となった。


★★★★★★★★★★★


「……全100層。俺が担当していたのは第6層までだから、つまり、俺の仕事の範囲がこれまでの約16倍に広がったということか」

「そういうことになりますね。栄転、おめでとうございます、グンツ『総監督』」


 魔王城から迷宮へと向かう魔導列車の中で、グンツは頭を抱え、リーゼロッテは淡々とバインダーに新たな役職名を書き込んでいた。


「喜べるか! これまでもヴィオラが呼んでくる勇者の処理で手一杯だったんだぞ。それが全100層だと? 過労で死ぬわ!」

「ですが、総監督の権限が与えられたということは、深層にある『統括管理室』のシステムと、保管されているはずの予備資金にアクセスできるということです。前任者が残した資金があれば、今後の防衛も少しは楽になるはずですよ」


 リーゼロッテの言葉に、グンツはわずかな希望を見出した。

 これまでは第6層の重厚な鉄扉の監視室を仮の拠点にしていたが、深層の統括管理室には迷宮全体を制御する魔導システムがあるはずだ。


 二人は第6層からさらに奥へと進み、長らく封鎖されていた第10層の奥深く、『統括管理室』と記された重厚な扉の前に到着した。


「よし、開けるぞ」


 グンツが扉のロックを解除し、重い扉を押し開けた。

 しかし、その先に広がっていた光景を見て、二人は完全に言葉を失った。


「……なんだ、これは」


 かつては迷宮の中枢として機能していたはずの広大な管理室は、見る影もなく荒れ果てていた。

 壁に埋め込まれていたはずの高価な魔導結晶は乱暴にえぐり取られ、床には大量の書類と空き瓶が散乱している。制御盤の配線は引きちぎられ、システムは完全に沈黙していた。

 それだけではない。部屋の中央にある巨大な金庫の扉は無惨に破壊されており、中はもぬけの殻だった。


「前任者の横領が酷いとは知っていましたが……上層の設備投資を怠っていただけではなく、迷宮の心臓部の資材まで根こそぎ売り払っていたのですね」


 リーゼロッテが震える手で、床に散乱している書類の束を拾い上げた。

 彼女の顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。


「グンツさん……これは、人間界の悪徳商人からの督促状と、莫大な借用書の束です。前任者は横領だけでなく、魔王軍の正規口座を通さずに個人的な借金までして、それを踏み倒していたのですね」

「……嫌な予感しかしない。被害総額はいくらだ?」

「利子も含めて……金貨100万枚の『マイナス』です。予算ゼロどころの話ではありません。私たちは、崩壊したインフラと、天文学的な負債を抱えた状態で、この全100層の再建プロジェクトをスタートさせなければならないということです」


 圧倒的な絶望。

 栄転という名の、とてつもない罰ゲーム。

 グンツは膝から崩れ落ち、瓦礫だらけの床に両手をついた。


「もうダメだ……俺は田舎に帰って、土いじりでもして暮らす……」

「しっかりしてください、総監督。私とステラさんで、なんとか法的にこの負債を無効化する手段を探します。まずはこの部屋の清掃から……」


 その時だった。

 静まり返った瓦礫の奥から、微かな物音が聞こえた。


『……くぅーん……』


 それは、か細く、震えるような動物の鳴き声だった。

 グンツがハッと顔を上げ、音のする方へと瓦礫を退かしていく。

 倒れたキャビネットの裏側に、ボロボロになった木箱が隠されていた。その中に、うずくまるようにして震えている小さな白い毛玉があった。


「なんだ、これは……魔獣の子供か?」


 グンツがそっと手を伸ばして抱き上げると、それは真っ白でモフモフとした毛並みを持つ、生後数ヶ月ほどの子犬だった。黒くてつぶらな瞳と、垂れた耳。魔界の生物ではない。人間界の極寒の地で羊の群れを護るという、気高き白き巨犬――グレートピレニーズの赤ちゃんだ。


「人間界の犬……? なぜこんな迷宮の深層に?」


 リーゼロッテが木箱の近くに転がっていた書類と、機能停止している小さな機械を確認する。


「……前任者の購入履歴にありました。人間界の密輸業者から、個人的な愛玩用として高値で買い取り、ここに隠していたようです。更迭された際に見捨てられたのでしょう。横にあった自動給餌用の魔導具の魔力が昨日尽きて、それで鳴き始めたのだと思います」


「あのクソ野郎……!」


 グンツの目に、激しい怒りの炎が灯った。

 自分の懐を肥やすために迷宮を崩壊させただけでは飽き足らず、こんな小さな命を、暗く冷たい瓦礫の部屋に置き去りにしていったのだ。自動給餌器があったとはいえ、魔力が尽きた箱の中でどれほど心細かったことか。

 子犬は泥と埃にまみれ、酷く怯えていた。グンツの腕の中で、助けを求めるように小さな鼻をすり寄せてくる。


「……腹が減っているんだな」


 グンツは即座に《即時建築》の魔法を起動した。

 彼は室内に散乱していた鉄パイプやレンガを瞬時に組み合わせ、安全な暖炉と小さな調理台を作り上げた。

 極限まで衰弱した動物の赤ん坊に、塩分や香辛料の強い人間向けの食事を与えるのは致命的だ。グンツは携帯していた魔獣用の栄養粉末ミルクをお湯で溶かし、味付け前のプレーンな無塩の干し肉を極限まで細かく砕いて、消化に良い温かな特製スープを素早く調理した。


「ほら、ゆっくり食え」


 グンツが木のお椀を差し出すと、子犬は必死に尻尾を振りながら、夢中でスープを舐め始めた。あっという間に平らげると、満足そうに小さくゲップをして、グンツの膝の上で丸くなる。


「こんな赤ん坊を放置していくとは、本当にどこまでも救いようのないクズだな、前任者は」

「……同感です。ですがグンツさん、その犬をどうするつもりですか? 迷宮の予算はマイナス100万ゴールドです。ペットを飼育するような経済的余裕は、1ミリもありませんよ」


 リーゼロッテが経理としての冷徹な顔に戻り、厳しい現実を突きつける。


「ペットじゃない。こいつは将来、この迷宮の最深部を守る立派な『番犬』になる。魔界の瘴気を浴びて育てば、人間界の犬といえど強力な魔獣へと進化するはずだ。これは防衛のための先行投資だ」

「強弁ですね。餌代は誰が出すのですか」

「俺の自腹だ。休日にバイトでも何でもして稼ぐ。だから……こいつをここで飼う許可をくれ、リーゼロッテ」


 グンツは、膝の上でスヤスヤと眠る白い毛玉を優しく撫でながら、真剣な眼差しでリーゼロッテを見つめた。

 彼がこれほどまでに誰かに頭を下げるのは、珍しいことだった。

 リーゼロッテは深いため息を吐き、眼鏡のブリッジを押し上げた。


「……あなたが自腹を切るというのなら、経理として口出しはしません。ただし、現場のオークたちの作業の邪魔にならないようにしつけることが条件です。……名前は、どうするのですか?」


「名前か……。真っ白だから、『シロ』とか『モフ』とかでいいか」


 グンツの壊滅的なネーミングセンスに、リーゼロッテは呆れたように首を横に振った。


「却下です。それではあまりにも威厳がありません。そうですね……純白を意味する『ブラン』というのはいかがでしょう?」

「ブラン……悪くないな。よし、今日からお前の名前はブランだ」


 グンツが頭を撫でると、ブランは目を覚まし、嬉しそうに「わふっ」と小さく吠えて彼の指先を舐めた。その愛らしい仕草に、冷徹なリーゼロッテの口元も、ほんのわずかにだが緩んでいた。


 崩壊し尽くしたインフラ。天文学的なマイナス予算。そして、全100層という途方もない広さの再建プロジェクト。

 状況はまさに絶望的であった。しかし、グンツの腕の中には、確かに救い出した温かい命がある。


「さて、まずはこのゴミの山を片付けて、まともな拠点を作るところからだな」


 グンツは気合を入れるように自らの頬を叩き、立ち上がった。

 足元では、ブランが無邪気に尻尾を振っている。

 特級迷宮建築士の、真の『絶望の箱庭』再建プロジェクトが、今ここに幕を開けたのだった。

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