32.重なり合う心
ソファーに腰を下ろし、フェリクス様と向かい合う。
向かいに着席するフェリクス様は微動だにしない。……提案したのは私だけど、いざ話そうと思うと緊張してくる。何から話せばいいのだろう。
そんな風に悩んでいる時だった。フェリクス様が、緊張した面持ちで口を開いたのは。
「……僕の方から、話してもいいかな」
語る表情は硬く、どこか重い空気を感じる。私の方はまだ何から話そうかと決めかねている。ここは、先に話してもらった方がいい。
「分かりました。どうぞ」
「……殿下から聞いたけど、犯人であるシュレ伯爵令嬢の供述は始まっているみたいだ。君に害を成そうとしたのは、最近の僕たちを見ての嫉妬が理由だと。……危険な目に遭わせて本当にすまなかった」
深く、深く頭を下げて謝罪する。その声は苦しそうで、悔恨が含まれているのが分かる。
「守ると決めていたのに。それなのに、あやうく君を失いかけた」
「……決めていた? どういうことですか?」
気になる言葉を拾って尋ねる。守ると決めていたって、どういうこと?
尋ねるとゆっくりとフェリクス様が頭を上げる。
「……先に社交デビューを済ませた僕に婚約者がいると知っているのに近付いてくる令嬢がいたんだ。それが増えたのが三年前くらいからだ」
静かにフェリクス様が語る。……私がデビュタントを迎えた時には既にフェリクス様を慕う令嬢が多かったけど、三年前から増えていたなんて。
「エリーゼはまだデビュタントしていなかったから今のうちにと思ったんだろうね。それで怖くなったんだ」
「怖くなった?」
「相手にされない恨みがエリーゼに向かうことがだよ。……だから令嬢たちの意識がエリーゼへ向かないように距離を置くようにしたんだ」
目を見開く。……距離を置くようにしたのは、フェリクス様を慕う令嬢たちから私を守るため?
確かに今回のことで女性の恨みは怖いと強く認識した。嫉妬が原因で生命を失いかけた。
身動きできない私を見てロクサーヌ様が笑う姿が脳裏に甦る。……思い出すと、まだ身体が震える。
「……以前、急な態度の変化に何か嫌なことしてしまったのかと思って聞いたんです。その時、フェリクス様は私は何も悪くないと言って……」
「覚えているよ。エリーゼを守るために距離を置こうと思ったんだ。……でも、きちんと説明したらよかったと後悔している」
唇を噛み締めながらフェリクス様が呟く。……私を守るために。
なら殆ど外出しなかったのも? 夜会でもダンスの後すぐに離れていたのも? 全て、私のため?
「外出せずにいつも屋敷でお茶会していたのも? ダンスの後、離れていたのも?」
「外出したら令嬢に目撃される可能性があったから。女性の情報は早いって叔母たちから聞いていたからね。夜会の件も、矛先がエリーゼに向かわないようにしていたんだ。……本当は、エリーゼの近くにいたかった」
苦しそうな、切なげな声で告げられる内容に呆然とする。──本当は私の近くにいたかった。
確かに女性の噂は早いと思う。フェリクス様を慕う令嬢たちから嫌味を聞きたくなくてあまり夜会もお茶会も参加しなかったけど、私たちが出かけていたことも知られていた。
挙げ句の果てには結婚間近なども囁かれていて、女性の噂は実に恐ろしいと思った。
でも。そうだったとしても、どうして伝えてくれなかったの? せめて一言でも言ってくれたらと強く思う。
言ってくれたら、突然の変化に傷つかずに済んだのに。
「理由があるのなら言ってくれたらよかったのに……」
「面倒なことに巻き込まれたと思われたくなかったんだ。エリーゼは僕に特別な想いを持っていないと分かっていたから。……でも、言わなかったせいで君を傷つけて本当にすまない」
突然の情報量に頭が混乱する。──私のこと、好きだという思いが強く感じられて、胸が苦しくなる。
「……長期任務の後からでしょうか。口数が減ったのも、令嬢たちが原因ですか?」
ふと、気になっていたことを尋ねる。
元々口数は少ない方だけど、昔はもう少し話していた。
だけど、あの半年にわたる長期任務からフェリクス様の口数は確実に減った。それも、自分を慕う令嬢たちが原因なのだろうか。
「それは……」
「……フェリクス様?」
言い淀むフェリクス様に名前を紡ぐ。この雰囲気は令嬢たちは関係なさそうに見える。
じっと見つめると観念したのか、フェリクス様が目を伏せながら話す。
「……久しぶりに見たエリーゼがかわいくてきれいになっていたから」
「は?」
予想外の内容に思わず声が出る。かわいくてきれいになっていた? ……特に変化なんてなかったはずだけど。
不思議に思っていると、フェリクス様が話しを続ける。
「出会った頃からかわいいって思っていたけど、その時に明確に好きだって気付いたんだ。……本当はもっと話したかった。でも、つまらないと思われたら、と思うと緊張して上手く話せなくて」
「…………」
好きだとはっきり告げられて固まる。……そんな気配、まったく出していなかったのに。
でも、嘘だと言えない。だって、フェリクス様の愛竜であるフリューゲルは出会ってからずっと、私に懐いていたから。
竜が懐くのは主人がその人のこと好いているから──竜が主人の気持ちを教えるなんて。
「……私も、話していいですか」
「……分かった」
話していいかと聞くとフェリクス様が頷く。
そっとフェリクス様を見ると緊張しているのか表情が硬い。……ハイデマリー様を通じてとはいえ、勝手にフェリクス様の秘密を知ってしまったのだ。なら、私も打ち明けないと。
「婚約に関するお話をする前に、一つよろしいですか」
「……何かな」
硬い声でフェリクス様が続きを促す。
微笑もうとしているけど表情は相変わらず硬い。さらにその声に、震えが混じっているのは気のせいではないだろう。
深呼吸して、秘密を打ち明ける。
「実は私、画家をしているんです」
「…………画家?」
予想外の発言だったのかフェリクス様が復唱する。反応が遅いけど、当然だと思う。画家は男性の仕事という認識が普通だから。
ぎゅっと手を握り締めて続ける。
「作品は少ないのですが、平民の男性として活動しているんです。ちなみに、私の絵を買ってくれる美術商は先ほどの友人のアルベルタです」
「……そう、なんだ」
説明するもフェリクス様の反応はゆっくりだ。その様子から驚いているのが分かる。
「最初は趣味で描いていました。それをアルベルタが私の絵は売れると言ってくれて、画家として活動して……。私の絵を買ってくれる絵画好きが現れて、認められている気持ちになって嬉しくなったんです」
胸の内にある思いをひとつひとつ丁寧に紡ぐ。
以前は全て伝えることができなかった。でも、今回は全て伝えたい。
「突然距離を置かれて辛かった時、絵は私の癒やしでした。……でも、画家は男性の仕事だから結婚したら画家の活動を諦めないといけないと思っていました」
「……だから、婚約の解消を?」
灰色の瞳が目を逸らさずに問いかける。その問いに、小さく頷く。
「婚約の段階で冷え切っているのに結婚して変わるわけない。お互い、相手のこと好いているわけじゃない。それなら解消してフェリクス様は本当に好きな人と幸せに、私は画家として頑張りたい。……そう思ったのです」
告げるとフェリクス様が悲痛な顔をする。……以前は口数が少なくて、何を考えているのか分からないって思っていた。
実際のこの人は、こんなにも分かりやすくて、不器用な人なのに。
「……でも、フェリクス様と過ごす時間が増えてから少しずつ変わりました。私の好きなものを知っていて、私からの小さな贈り物に幸せそうに笑って、すごく喜んでくれて。時々、重いなと思う時もあるのですが」
「うっ……」
自覚していたのか重いと発言するとフェリクス様の顔に悲痛さに気まずそうな表情が加わる。無意識だったらどうしようと思っていたけど杞憂でよかった。
「だけど、それ以上にフェリクス様と一緒に過ごす時間が楽しくて。──この時間を手放したくない、って思ってしまったんです」
まっすぐと瞳を逸らさずに、フェリクス様に告げる。
数ヵ月前の自分が今の私たちを見たら信じられないと言っていたと思う。それこそ、関係の修復なんてできないと思い込んでいたから。
「……魔物に囲まれた時、すごく怖かった」
話していると先日味わった恐怖が蘇る。きっと、この恐怖は一生消えない。
「怖くて、どうして私がという気持ちでいっぱいでした。家族や友人と会えなくなることが辛かった。──でも、一番はフェリクス様との約束を果たせなくなることが辛くて嫌だった。フェリクス様の隣に、別の女性が立つと思うと苦しくなったんです」
一気に言うと灰色の瞳がこれ以上ないくらい見開く。その姿がなぜかおかしくて小さく笑ってしまう。
「好きです、フェリクス様。……すれ違いはありましたが、この数ヵ月、フェリクス様と過ごしていた時間はこの四年間の中で一番楽しかったです」
気持ちを込めて告げる。胸にある溢れる思いが、フェリクス様に届くことを祈りながら口にする。
立ち上がってフェリクス様の隣に着席する。
フェリクス様の手に触れる。その手は、騎士らしく、剣だこがある。
この手が、魔物から私を守ってくれた。
「好きです、フェリクス様」
「エリーゼっ……!」
もう一度、目を逸らさずに好きと伝えると力強く抱き締められる。サラサラの白銀の髪が頬に当たってくすぐったい。
「本当に、エリーゼが好きなんだ。愛してるんだ」
「分かっています。……私もです」
手を伸ばして白銀の美しい髪に触れる。
廻り道をしたと思う。でも、婚約の解消を提案しなければきっと分かるのはもっと先だったと思う。
剣技も優れていて、知性の高い竜のフリューゲルを従えるフェリクス様を、人々は「完璧な竜騎士」と呼んでいて、私もそう思っていた。
でも、不器用なところもあって。一途だけど重いところもあって。──そんなこの人が愛おしい。
「フェリクス様。……結婚後も画家の活動はしてもよろしいですか?」
「もちろん。僕は絵の心得がないけど、画家として活動しているってすごいよ」
離れて尋ねると朗らかに返される。尋ねるのに不安はなかったけど、まるで自分のことに笑うフェリクス様に私も胸が温かくなり、嬉しくなる。
そして嬉しいという感情に包まれていると、今度はフェリクス様が問いかける。
「でも画家なんてすごいね。名前を聞いても?」
「……驚かないでくださいね?」
「いいよ」
確認する私にフェリクス様が微笑みながら頷く。なら正直に言おう。
「エリオット・ケペルとして活動しています」
「…………え?」
私が告げた名前を聞いてフェリクス様がぽかんと口を開ける。
その姿が、周囲が褒めそやす「完璧な竜騎士」とあまりにも乖離していて、笑ってしまった。




