25.躊躇う理由は、きっと
フェリクス様が帰宅してから部屋に篭もっていると、ドアをノックされた。
「エリー、私よ。入っていいかしら?」
「……お姉様?」
ドアの外から声をかけてきたのはお姉様でゆっくりと顔を上げる。今日は帰宅するなんて聞いていないのに。
ゆっくりと立ち上がってドアノブを回して開けると、私と同じ緑色の瞳が優しく目を細める。
「エリー、少しお話しない?」
「……分かりました」
微笑みながら頼まれると断れない。
頷くとソファーの方へ向かって席に着く。なので私も向かい側のソファーに着席する。
「ローギウス侯爵家の馬車で帰って来たみたいね」
「……はい。フェリクス様と偶然街中で遭遇して」
着席するや否や発せられた内容にこくりと頷く。きっと、使用人の誰かが教えたのだろう。
「ええ、セルマから聞いたわ。それで? 元気ないけれどあいつと何かあったの?」
首を傾げながらお姉様が問いかける。何かあった、か。
あれはなんと言えばいいのだろう。お互いに言いたいことを言い合っただけにも思うし、お互いに傷つけるようなようなことをしてしまった。
どの言葉が正解か分からないけれど、一番近い言葉を口にする。
「……喧嘩、したんです」
「喧嘩? エリーとあいつが? 珍しいわね」
喧嘩したことを告げるとお姉様が驚いたように目を丸める。
その発言に気付く。思えば、今まで一度も喧嘩なんてしたことなかったな、と。
「リベラートと偶然会ってお話ししていて……。それで、私たちを恋仲と勘違いしたみたいで」
「はぁ? 話したくらいで? ……なるほどねぇ、面倒くさい男ね」
納得した様子でお姉様が呟く。お姉様もアルベルタの弟であるリベラートのことは知っているから状況をすんなりと理解したようだ。
喧嘩した経緯を話すと、同じ緑色の瞳がじっとこちらを見る。
「フェリクスのこと、嫌になった? 嫌になったら婚約を解消してもいいわよ。元々、そのつもりだったんだから」
優しい声でどうするかと問われる。
婚約解消。私もあの時、そう思った。きっと、これからも些細な内容で衝突するから早いうちに解消した方がいいと。
だけど気持ちと裏腹に声は出ず、結局婚約の解消を口することできなかった。
「……婚約を解消しようと言おうと思ったんです。でも、なぜかそれが言えなかったんです」
「そう」
「話を聞いてくれなくて辛かったのに。少し前までは婚約を解消したいって思っていたのに……今は、どうしてか躊躇ってしまうんです」
胸の内にあった気持ちを口にする。
少し前まではフェリクス様と過ごす時間は静かで、冷え切ってきた婚約が嫌で仕方なかった。
でも──ここ最近は違って。
笑うことが増えた。楽しいと思うことが増えた。また──フェリクス様と一緒にどこか出かけたいと思うようになった。
躊躇うようになったのは、フェリクス様と過ごす時間が楽しいと思うなったからだ。
胸の内を明かすとお姉様が長い溜め息を吐く。
「はぁー……。それなら解消はしない方がいいわね」
「……お姉様はそれでも解消を勧めると思っていました」
予想外の反応に驚きながら呟く。
意外だ。お姉様はフェリクス様のこと嫌っているし、私が婚約を解消したいと言ったらご機嫌だったから。
正直に告げると残念そうに笑う。
「エリーが望んでいるのならいいけれど躊躇っているのなら仕方ないわ。私はエリーの幸せを願うわ」
「お姉様……」
お姉様と呼ぶと美しく微笑む。やっぱりお姉様は私にとって頼りになって尊敬する人だ。
「さて、私は部屋に戻るわ」
「ご心配かけて申し訳ございません」
「いいわよ。あ、でも今度あいつ見つけたら魔法放つわ」
「やめてくださいね」
笑いながら退室するお姉様に告げる。一方的に言われたわけではなく、私も言い返したからやめてほしい。
一人になった部屋で頭を切り替える。お姉様に話してスッキリした。
いつまでもくよくよしても何も解決しない。どうしたいのか考えないと。
「……会いたい」
冷ややかな笑みから淡い笑みへ変化したフェリクス様を思い出す。
淡い笑みだった。でも、その灰色の瞳はどこか泣きそうにも見えた。
お互いに感情的になってしまった部分がある。だから、もう一度会って話したい。
決めると早速動く。
まずはリベラートに対してお詫びの手紙だ。私たちのことに関係ないリベラートを巻き込んでしまったから手紙と彼が好きそうな甘いお菓子を送ろう。
そしてリベラートへ送る手紙を書き終えるとフェリクス様宛ての手紙を綴る。
本当は、少し怖い。あんな風に怒るフェリクス様を初めて見たから。
それでも向き合わないと。だって、私たちは婚約者なのだから。
そしてフェリクス様に謝罪の言葉と会いたいという内容を綴ってローギウス侯爵家へ送った。
***
鏡を見て服の装いを確認する。
確認して問題がないと判断し、お姉様から貰ったお守り──ペンダントを身につけて部屋を出る。
そして歩き慣れた回廊を通ってエントランスホールへたどり着くと、振り返ってセルマに挨拶する。
「それじゃあ、行ってくるわ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
出発の言葉を告げるとセルマも同じく返す。
屋敷を出ると外で待っている御者の元へ行き、ローギウス侯爵家へ向かってほしいと伝える。
そうして乗るとゆっくりと馬車が動き出し、ここ数日について思い出す。
フェリクス様に手紙を送った翌日。フェリクス様から返信が届いた。
手紙には会える日程と、謝罪の言葉が長々と綴られていて見ていてなんだか悪い気持ちになった。私も言ってしまったのに私の謝罪の言葉より遥かに長く後悔と謝罪が入り混じった手紙を受け取ってしまったからだ。
セルマには見せなかったけど、きっと見せたら「重い」と言うと思う。……なんだか重い基準が分かってきた気がする。
そんな風にここ数日について思い出していると御者からローギウス侯爵家に着いたと告げられる。重い手紙を思い出しているといつの間にかたどり着いたらしい。
完全に停まったのを確認して馬車をゆっくりと降りる。……フェリクス様と会うのはあれ以来だから少し緊張する。
緊張していると侯爵家に仕える家令と目が合い、申し訳なさそうな表情をしていることに気付く。
「あの?」
「ようこそいらっしゃいました、エリーゼ様。ですが、フェリクス様は先ほど竜騎士団からの急な連絡で王宮に向かってしまい……」
「…………」
説明し、深く一礼する家令に絶句する。……フェリクス様は、屋敷にいない。
驚くことはない。今までも急にお茶会の日程が変化することが多々あったのだから。
でも、婚約の解消を提案してからは急な変更はなかったから驚いてしまった。……仕方ない。
仕方ないと頭では分かっている。でも、心の方は処理できているかと聞かれると違う。
「……そうなのですね。分かりました、それではまた別の日に──」
「待って、エリーゼ」
どうにか微笑んでそう言うも途中で遮られた。
そして声のした方を見ると、一人の女性がこちらへ歩いてくる。
美しい白銀の髪、そして同じく美しい金色の瞳。この人は──。
「ハイデマリー様……」
名前を紡ぐとニコリと微笑まれる。まさか、ハイデマリー様に呼び止められるなんて。
呼び止めたのはハイデマリー・ローギウス様。フェリクス様のお母様で──私とフェリクス様を結び付けた張本人だ。
「フェリクス……愚息がごめんなさいね。あの子は私がしっかりと懲らしめるから──私と一杯付き合ってくれるかしら?」
「……えっと」
そして驚いていると、ニコリと微笑むハイデマリー様からお茶のお誘いを受けてしまった。




