19.以前と違う気持ち
「最近、調子よさそうね」
いつも通り、屋敷のアトリエで筆を持って色を塗っていると声をかけられた。
声をかけてきてのは友人のアルベルタで、私の絵をじっくりと眺める。
「そうかな?」
「ええ。何かいいことあった? 筆が乗っている気がするんだけど」
絵を見ていた透明にも見える淡い水色の瞳がゆっくりと移動して私を見る。……いいこと、何かあっただろうか。
このまま話しながら作業をしていると何か失敗しそうなので途中で中断し、筆をそっとパレットの上に乗せる。
「特にないとは思うけど」
「本当に? フェリクス様とはあれから何もないの?」
ジトリした目で私に尋ねる。婚約の解消を黙っていたからか、それからアルベルタは定期的に私とフェリクス様の変化を聞いてくる。
「……アルベルタの期待しているものとは違うと思うけど、今度一緒に出かけるの」
「やっぱり何かあったじゃない! へぇ~? つまり、デートってわけね?」
「デートじゃなくて出かけるだけよ。それと、お姉様の前でデートなんて言わないでね。宥めるのが大変だから」
茶化すアルベルタに訂正して続けて忠告する。出かけるのは確かだけど、デートだと私は思っていない。
「分かってるわよ。そもそも宮廷魔術師の仕事で忙しいレイリア様と屋敷の中で会うことなんて殆どないから安心してちょうだい」
忠告するとそう返される。それならいいのだけど。
妹である私を殊更かわいがるお姉様のことだ。フェリクス様とデートに行くなんて聞いたら体内にある膨大な魔力が乱れ、それこそ勝手に壺をはじめとする調度品やテーブル、ピアノなどが浮く可能性がある。
それくらい、お姉様はフェリクス様を嫌っている。そして、フェリクス様も感情を剥き出しにしないけどお姉様のこと好いていない。正に水と油。犬猿の仲と言える。
「ちなみにどこに?」
「王都郊外にある王立自然公園。今は開花時期でしょう? 夜会で耳にして気になって」
「ああ、あそこね」
行き先を口にするとアルベルタが呟く。王都の郊外にある王立自然公園は有名だからアルベルタも当然ながら知っている。
「でも王立自然公園ねー……。エリーゼはいいかもしれないけど、フェリクス様は楽しめるの?」
「私もそう思って尋ねたけど……大丈夫の一点張りで」
私も思っていたことをアルベルタが口にして同意する。私が最初に言ったとしても、せっかく出かけるのだからどちらも楽しめる場所がいい。
そう思うのにフェリクス様は自分よりも私ばかり優先して、私の好きな場所ばかり行こうとする。
そんなフェリクス様の態度に悪いなと思う気持ちと、くすぐったい気持ちと嬉しい気持ちが入り混じってしまう。
「……最近のフェリクス様って、なんだか私に甘い気がするの」
「ええ? 今さら?」
ポツリと呟くとアルベルタが片眉を上げて呆れた声で告げる。呆れられるけど、私からしたら驚く変貌だ。
「だからこの前言ったでしょう? 顔はいいけど不器用な人に見えるって。私の勘はそこそこ当たるのよ」
「そんなこと言ってたね」
前回屋敷に訪問したアルベルタがそんなこと言っていたのを思い出す。……不器用、か。
確かにフェリクス様は不器用な人だと思う。自分の気持ちとかあまり言わないから何を考えているのか分かりにくい。
だけど気付けば分かりやすい人だ。お茶会では私が楽しめるように私の好きなお菓子を用意してくれ、出かける時は私が好きなところれ連れて行ってくれる。……自分だって普段忙しくて行きたい場所があるはずなのに、私の希望を優先してくれる。
自分の行動は決して口にしないけど、私のこと思ってくれていて、大切にしてくれているのが感じて胸がじんわりと温かくなる。
「……何かお返しがしたいな」
ポツリと胸の中にある気持ちが零れる。私ばかりしてもらうのはいい気がしない。
贈り物? でも以前それで失敗しているから緊張する。だって茶葉のお礼が花束から徐々に王室御用達の茶葉にエメラルドのネックレスと豪華になったのだから。注意はしたとしてもまた重い返礼品が届きそうで慎重になる。
それでも何かお礼はしたいという気持ちはあって悩んでしまう。……以前なら、こんなこと考えることもなかったのに。
きっと、そう思うようになったのはフェリクス様といる時間が以前と違って楽しいと感じるようになったからだ。
フェリクス様の好みは多少知ったけどそれでも悩んでしまう。どうしようか。
思案していると、ふと、あることを思いつく。……あれなら、どうだろう。少し不安だけど、形ある物を贈るよりまだいいかもしれない。
「ねぇ、アルベルタ」
「何?」
「……フェリクス様にお礼をしたいと思うんだけど、これってどうかな」
そして先ほど思いついたことを話すと、アルベルタが水色の瞳を細め、楽しそうな表情を浮かべる。
「へぇ、いいんじゃない? フェリクス様、絶対に喜ぶわよ」
「本当?」
「本当本当。あ、でもまた浮かれてあとで重い返礼品を渡してくるかもしれないわね。お礼はいらないってはっきり言わないとダメよ」
「分かっているわ」
警告するアルベルタに頷く。またプレゼントの嵐は嫌なのでお礼は結構だとはっきりと伝えるつもりだ。
「ふふ、なら練習しないといけないわね。私はそろそろお暇するわね。頑張ってね」
「ありがとう」
そして笑いながら手を振って帰るアルベルタをアトリエで見送ると、身体を伸ばして制作中の絵を見る。
先ほどまで描いていた絵は趣味で描いているもので、アルベルタに渡すつもりのない絵だ。だから締め切りなどは考えなくていいから途中で止めても問題ない。
そしてパレットと筆についた絵の具を丁寧に洗い落として水分を拭き取ると、鍵をしっかりと掛けてアトリエから出る。
目的の場所──屋敷の厨房へ向かいながら、回廊の窓ガラスに目を向ける。
空の色はフェリクス様の愛竜であるフリューゲルの瞳を彷彿させる鮮やかな青色をしている。……フェリクス様はもちろん、フリューゲルは元気だろうか。
ここにはいないフェリクス様を思い浮かべる。今頃、竜騎士の仕事の一つであるフリューゲルに乗りながら空中から王都の巡回をしているところだろうか。
「…………」
晴天を表す青い空と白い雲を見つめる。──どうか、怪我をせずに今日の仕事が終わりますように。
ふと、空高く舞い上がる竜の姿を見ながら、静かにそう願った。




