09 覚悟と昏睡②
我ながら汚い。
我ながら卑しい。
そう思いながら階段を上り、廊下を行く。
自分の知る男女の惚れた腫れたとは、勝算の見えない暗がりの中、それでも勇気を振り絞って一歩前に踏み出し、かすかな光を掴もうとする行為に等しい。
それだからこそ尊いのだ。
ぼんやりとした確信──。
もしかすると、自分はティアージュに好かれているのではという、普通に考えたらあり得ないレベルの自惚れ。
これで勘違いなら笑い話くらいにはなろう。
けれど果たして、この状態でのそれを、いわゆる一般的な交際の申し入れに含めてしまっていいものなのか。
ただでさえ、いまのティアージュの立場は弱い。俺はそこにつけ込んでいないか?
──違う。
こういう考えに至ること自体が俺の弱さだ。
結局のところ俺は、ティアージュに悪く思われたくないだけなのだ。
何もしなければ、そこに摩擦は生じない。
きっときれいなまま終われるのだろう。
何年か経った後、そういえばあの時──互いの人生がほんの一瞬すれ違った時、あのきれいな女性に俺は好意を抱いてたっけな、そんで多分、彼女も俺を憎からず想ってくれてたんだろうなって、そんなふうに懐かしく振り返れる筈だ。
きれいな、何もなかった記憶を愛でる楽しみを得られるのだ。
ああ。余計な真似をして拒絶され、ずっと苦しむくらいなら、何もせず、想いを秘めてしまったほうがいいに決まってる。だってそうすりゃ誰も傷つかない。当然だ。
「…………」
客間のドアの前で、そんなことを考えて物怖じしてる自分に気づいた。
いつもなら隣にいるロゼには、今夜は大事を取って休むよう俺が厳命してしまった。
いまは一人だ。
つまりこんな夜更けに、女の子のいる部屋にオッサンが一人で来てしまってる構図となる。改めて客観視すると、少し背筋が寒くなった。日を改めたほうがいいか? いやティアージュには話をすると言ってしまった。彼女のことだ、夜を徹して待ってるに違いなかった。
「何してるんですか」
ノックを躊躇っているとドアが開き、呆れ顔のシキに部屋へ招き入れられた。
気がつかれていたらしい。
まあ、別に足音を忍ばせたりはしてなかったのだから、シキほどの剣士ならそりゃ気づいてるか。
何をやっているのかと思われたかな。
「男爵様、お待ちして──」
ベッドに腰掛けていたティアージュが、俺の姿を見て立って挨拶しようとしたのを手で制す。
「そのまま。堅苦しいのは止めにしよう」
いまから俺は暴走する。いや暴走しなければならない。そうでないと、俺はティアージュへの気持ちをさらけ出せない。俺はどこまで行っても劣等感に苛まれてばかりのどっちつかずで、これまでたまたま上手く行ってただけの上振れ野郎に過ぎない。
一人で敵陣に突っ込むのはそのほうが気楽だからだ。皆で戦えば誰かが傷つく。負傷した仲間を見るのは辛かった。だったら全部俺がカタをつければいい。おかげで傍目には分からないよう、神槍の力を局所的に使うすべを会得できた。おそらく理解不能なまま俺に掃討された敵は少なくなかろう。
ロゼもそうだ。たまたま目にしてしまっただけなのだ。あのまま見て見ぬ振りをすれば、幼いロゼは最悪なルートへ転がり落ちていっただろう。分かってる。そんな子が世の中にはたくさんいるってことくらいは。もとより不幸な子をすべて救ってやろうなんてつもりはサラサラない。俺個人でできることなんて高が知れていて、俺はひたすらに自分が嫌な気持ちになりたくないだけの、自分勝手な男でしかなかった。
「外しましょうか?」
シキが気を利かせてくれた。
知り合った頃の彼女からは絶対に出てこない言葉だった。
「話せたのか?」
「私を連れ出した戦車隊の副官さんが、シキの様子をよく見ていたようで、その時に種明かしをされていましたの」
ああ、ケネシコアの嫌がらせか。あの女がどんなふうにシキのことを告げ口したのか、まあ想像に難くない。とはいえ皮肉なことに、そのおかげでティアージュにはあらかじめ覚悟ができていたというわけか。
俺が気をまわす必要もなかったな。
「そうか。じゃ、お願いできるか」
「はい」
本当にシキは変わった。
正直、シキはティアージュという主人に依存していたように見えた。それはティアージュにしても同様。そうしなければあの国ではやっていけなかったのかもしれない。
ロサリグは本当、どんな魔法を使ったんだろうかね。




