09 覚悟と昏睡⑤
どれだけ頭の中で小難しいことを考えていようとも、人は結局、どうしようもなく単純な生き物だ。
肯定された途端に抑えが利かなくなってしまう自分がまさにその証左。
気づけば、衝動のままに。
けだものの誹りを免れない、短絡的で性急な未熟者の所業。
つい先日、拒否られたばかりだってのに、俺は全く学習のできない猿に等しかった。
でも、仕方ないだろ。
こんなの、我慢できる筈がない。
俺にとってのティアージュ・ドラナークは、次元の違う遠い存在だった。
夜の水面に映る星のように、触れはすれど手にできない。そういう人だ。
高潔な精神を宿した、輝かしい宝石のような透きとおった美貌は、とてもじゃないが自分なんかと同列には置けなかった。
男女の性差とか、そんなものでは断じてない。
言葉を交わし、触れ合う機会に恵まれ、悩みも打ち明けてもらえた。
彼女もまた呼吸をし、食事を取り、血が巡り体温のある一人の人間だと知って、それでも尚、高嶺の花としか思えないままでいた。
実際ティアージュを基準にされてしまったら、俺など人の枠から外れてしまうに違いないから。
剃っても剃っても髭が生える顔。
剛毛の眉、無用な威圧を振りまくだけの炯眼、ゴツいだけの鼻と耳。
主張しすぎる顎は、顔の輪郭から丸みを永久に奪い去っていた。
加えて無駄にでかい身体を持て余し、教養はおろか学すらもないのだ。
こんなヤツが貴族を名乗って婚活しようったって、そりゃ一笑に付されておしまいだよ。うん。分かってる。んなこた十分すぎるほど分かってンだ。
ほぼほぼ、あきらめてたし。
やるだけやって駄目だったならもう仕方ないなって、そんな笑い話にして終わらせるつもりだった。
撤収準備に入ってたんだ。
ティアージュを見てしまったのは丁度その時。
間が悪いったらない。
客観的にどうあがいても無理スジなのは、俺自身が痛いほどよく分かってる。あんな事情、経緯がなかったら、本来近寄ることすら許されまい。
お近づきになれて、親しく交流できただけでも俺みたいなヤツには僥倖であり、一生の思い出にしていくレベルの出来事だ。身の程を知るというのはそういうことだ。
──そのティアージュに、受け入れられた。
ハッキリとした答えは得られていないながらも、うすうすそうなんじゃないかと、子供の頃に夢の中でみた、欲しい物が手に入ったかのような実体の無さがそれ以前からあった。
まさか。俺が。俺なんかが、と。
そういう猜疑心の塊みたいなものが、ずっと首の後ろにこびりつき、騙されるなと囁いていた。
防衛本能だ。
信じて突き進んで、その結果、自分の独り相撲だった時の落胆が恐いから、予め線を引いて下がっていた。
そうしておけば、傷つかずに済むと思ってた。
どうしようもない、臆病者の論理だ。
それが誤りであると、彼女が攫われたと知った時、痛烈に思い知らされた。
動揺。動揺。動揺。
数多の戦場を駆け、しぶとく生き残ってきた俺が、いとも簡単にぐらついた。頭が働かず、ロゼまで失うところだった。
いつの間にか、そんなにも。
遠いと、尊いと、端から無理だと予防線を張っておきながら、いざ自分の前からいなくなってしまうとなれば、あわてふためき醜態をさらす。
さすがにみっともなさすぎた。
覚悟を決める、覚悟ができた。
曖昧な状態を脱し、ゼロかイチかを決める行動に出た。
ああ、それは確かに、ただの言葉だ。
イエスと、はいと、ティアージュが口にしてくれただけだ。
「…………」
何も言えずにいた。
耳にして、言葉の意味を理解して、実感する。ただそれだけのことに、俺の脳は全力を尽くしていたから。
もっとこう、歓喜のままに飛び跳ね、興奮で沸き上がるのかと思っていたが、違った。
むしろ逆。
静かに、溶けていくような感覚があった。
「そうか」
これが、好意を受け入れてもらえる心持ちか。
自分には一生、縁のないものだと思っていた。
「ありがとう。何というか、ホッとした」
「ずるい」
このままなら自制できそうにないのは分かってた。だから気の抜けた返事でこの場を収めようとしたのに、そんな俺をティアージュは咎めてきた。
「私はずっと、ドキドキしておりますのに」
ベッドの端と端に座ってた。
ティアージュが枕寄りで、俺はその反対側。
なのに気づけば真ん中近くまでティアージュが移動してきていた。
そうして、俺を見上げてた。
手を伸ばして、抱き寄せるまでもなかった。
せめて俺の目が、血走っていなかったことを祈るしかない。
俺が部屋の外に出ると、シキがすぐに姿を見せた。
説明するまでもなく状況を把握してるようで、ささっと部屋に入るや、ティアージュの身体を点検してくれた。
「…………抱擁の途中、ですね」
着衣の乱れからそこまで分かるのか。
「もしかしたら、と思ってましたが、なかなか、そう上手くはいきませんよね」
溜息まじりにそう言って、シキは優しくティアージュの頬を撫でた。
「男爵様、好きの反対って、嫌いじゃなくて無関心……ですよね」
「そうだな」
「たとえ血統魔法が発現せずとも、そんな者が低く見られる社会であろうとも、お嬢様の美しさを否定できはしませんでした」
「だろうな」
海の向こうの遠い国、遠い文化の違う社会であれば、あるいは美醜の価値基準も反転してるのかもしれないが、生憎アリスとキィーフは同じ大陸だ。そこで育った普通の男であれば、ティアージュを見て好意を抱きこそすれ、嫌悪などできる筈もない。
「貴族、有力者、こぞってお嬢様とお近づきにならんと、甘言を弄して誘いをかけてきたものです」
「そんな頃もあったのか」
公爵子女、王子の婚約者という立場は彼女の命綱であり、悪い虫を除けるための盾でもあった。だが、それを承知で近寄ってくる者もいたという。いや、まあ当然か。シキの話に違和感なく納得できてしまう俺がいた。
「ですがご存知のとおり、突如お嬢様は心的負荷で倒れてしまう病に冒されてしまいました。表向きには『病弱』であるという理由のみで、その原因は公になることはありませんでしたが、男爵様はもう知っておられますよね?」
「ああ」
ストレスの他に、もう一つ。
おそらく情の通わない、きわめて作業的な工程であれば何とか堪えられるのだろうが、ひとたび乗ってしまった場合、すぐさま意識が消失するのだ。
──今回のように。
「甘言が誹謗中傷へと変わるのに、そう時間はかかりませんでした」
血統魔法を使えない身でありながら、好意を持って群がってきた男たちに手すら触れさせずにいれば、そりゃそうなる。連中はただの男たちではなく、貴族であり、有力者なのであろうから。
本来なら見下され、媚びを売って生きるしか道がないティアージュは、しかし強固な立場に守られていた。しかも美貌、教養、性格と、欠点らしい欠点もなかった。
「攻撃材料を見つけた『彼ら』はとても喜んでました。お嬢様のことなど何も知らないくせに、男を寄せつけない態度は高慢で、何かを言われたらすぐに倒れて憐れを誘う芸達者だと、それはもう、鬼の首を獲ったようにはしゃいで……!」
昏睡令嬢という腫れ物は、斯くしてキィーフに誕生した。
「こわかったでしょうに、がんばったのですね」
シキはティアージュを丁寧にベッドへ寝かし、毛布をかけた。
「男爵様、お嬢様は今夜、覚悟されてました」
「覚悟……?」
「こうなっても、身をゆだねる覚悟です」
「…………」
「ですが男爵様は、そうはなさらなかった」
「駄目だろ、それは」
正直、自信はなかった。
経験豊富な男なら、そんな状態の女性であれ、最後まで致してしまうのかもしれなかったが、残念ながら俺には経験が何一つなかったのだ。
「覚悟は分かったよ。でもそういうのはさ、違くないか?」
情けないことを言ってるのかもしれない。
ティアージュの気持ちを無駄にしてるのかもしれない。
でも、だからといって、できないものはできなかった。
「良かった」
既に俺たちの先にいるシキには呆れられてしまうかと思ったが、意外にも彼女は頷いてくれた。
「男爵様、自信を持って下さい。あなたほどお嬢様にふさわしい御方は、きっと世界のどこにもいない」
満面の笑みで、そう言われてしまった。
※登場キャラ解説
〇グラッパレット・トライハント
アリス王国の貴族。爵位は伯爵。
軍人として王家に忠誠を誓い、評判は高い。とはいえ私生活では家庭を省みない仕事人間であり、妾も多い。
四〇を過ぎても尚、軍事訓練には欠かさず顔を出し、アリス貴族の誉と称賛される筋骨たくましい偉丈夫で、たくわえた口髭と雄獅子のたてがみのような茶髪は体躯と相まって十分な威圧感を見せる。
基本仏頂面。操役魔法も使えるが、戦ったほうが早い派。
武人大好きで、戦車隊には彼がスカウトした人材も多い。強者には甘くなる傾向があり、シビカの部下たちの無礼な振る舞いもそのおかげでまあまあ許されてきたが、反面、イボリアスの増長を招く結果ともなってしまった。
読んでいただきありがとうございます。
本作と同じ世界での物語をノクターンノベルズにて連載しています。
「ぼっち勇者のドーナツクエスト」
https://novel18.syosetu.com/n1164jk/
ノクターンな作品です。叡智な描写でも許容できるぜーってなかたは、どうぞよろしくお願いします。
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