09 覚悟と昏睡④
せっかく二人だけにしてもらったのに、言葉がなかなか出てこない。
意識に浮かび上がるのは、こうなった際に考えていた気の利いた台詞なんかでなく、自分とは違う生きかたを誇示していた先輩貴族の姿だった。
あのベラク子爵であれば、きっと衝動のまま、自分のしたい行動にひた走れるのだろう。
結局、羨ましいと感じているのだ、俺は。
「男爵様?」
「ああ……悪い。ちょっと、違うことを考えてた」
堂々巡りばかり続けてきた自分の、これまでの怠慢の負債が、ここで一気に押し寄せてきたんじゃないかと、そんな気にさせられた。
ティアージュに心配されてどうする。
本末転倒もいいところだった。
俺のスタートラインは逃避。
ろくでもない親から逃げて軍人になった。
身分も学もない平民でも、身体と生命さえ張れれば給金がもらえる。ありがたかった。
そう。おとなしくしていれば、余計な波風を立てず武功だけ立てていれば、居心地のよい生活が保証されていたのだ。
黙って命令に従っていればよかった。
それができてれば、きっと違う人生もあった。
なのに俺ときたら、自分ひとりが心苦しくなりたくなくて、気づけば寝覚めのいい選択を独断で実行する不良軍人に成り果てていた。
普通ならそんな難有りの厄介者は戦場で見捨てられ、淘汰されるだけなのに、でかくて頑丈な身体と、たまたま宿った勇者の力のおかげでしぶとく生き延びてしまったもんだから、始末に困った上層部は迷走の挙句に俺を昇進させ、同じ不良品の掃き溜め部隊の隊長なんぞに据えてしまった。
知らん。もう好きにしろと、匙を投げられたに等しい。その後はうちの隊に他所で馴染めなかった、おかしな人材が島流しよろしく配属されるようになり、俺も俺で気にせずそんな連中を引き連れて、アリスの国のあちこちで魔物や野盗なんぞと戦う日々に明け暮れた。
そうして、逃げ続けた先で貴族に成り上がった。
「座りませんか」
「……そうだな」
突っ立ったまま、ぐるぐると考えてばかりな自分を見かねたのか、ティアージュがベッドのスペースを空けてくれた。
枕寄りの位置にちょこんと座るティアージュに配慮し、反対側の端に腰掛けると、彼女の目がいつぞや見たおかしなアレになった。こわい。
「距離を感じます」
「勘弁してくれ」
「この前は、頭を撫でてもらえましたのに」
「あー、あれは何というかだな、つい」
「分かってます。普段ロゼさんにしていることが出てしまったんですよね」
昔の話だ。最近は避けられてんだけどな。
「私も貴族に生まれていなければ、もっと気安く接してもらえたのでしょうか」
ティアージュは口をとがらせ、仮定の話をしてみせた。
そこには年齢相応の、拗ねた少女がいた。
ただし黄金の髪に菫青石の瞳も鮮やかな、人形のように秀麗な顔立ちをしたとびきりの美少女だ。
俺の来訪に備えていたのかもしれない、過度ではないがそれでも華やかな印象の白と紺のドレスを着ていた。
本当、よく我慢してるよ、俺。
オトナの、年上の、庇護者の、ええかっこしいの意地で堪えてるまであるんだよ。
細い腕、すらりとした身体。そのくせハッキリと主張する胸の膨らみと腰の曲線は既に魔性のそれだ。
シキという忠実な従者の存在と公爵令嬢、そして王子の婚約者という、彼女を守護してきた三本の矢の他にも幾つかの要因があって、何かが一つでも欠けていたらおそらくティアージュはキィーフ貴族の毒牙にかかってた。
いま俺の隣にこうして無垢なままの彼女がいるのは、実際奇蹟的なことなのだ。
「お互い何かが違っていたら、こんなふうに出会うことはなかっただろ」
平民上がりの貴族で、婚活の必要があって、でも上手くいかなくて、外国にまで出向いて、そこで婚約破棄をくらったティアージュを見た。
しかし、ただそれだけだ。
そこにロゼとシキの企てがなかったら、話す糸口すら掴めなかった。何しろ大国キィーフの公女なのだ。他所の国の新米男爵など、普通なら眼中にも入らない。
「そう……ですね。何でこんなことになってるんでしょう。思えば私、キィーフから出ようなんて、考えたこともありませんでした」
豊かで平和なキィーフで貴族として暮らせることを条件に、アリス貴族の私兵団騎士長の座を捨てたイボリアスみたいな奴が出るくらいだ。酷い境遇にあると自覚しながらも、国の外に出よう、逃げようと思い至らなかったとしても、別段おかしなことではあるまい。逆に俺からすると、どうしてそこにティアージュが引っかかっているのかが不思議だった。
「男爵様があの場にいてくれたのが良かったんでしょうね」
「そうかぁ? 別に何もよろしくはなかっただろ」
ドラナーク公の屋敷での一幕は、いま思い返しても醜悪に過ぎた。
実の父と妹に軽んじられ、たまたまそこにいた異物の俺に押しつけられ、厄介払いされ、つまりは棄てられたのだ。
──野獣男爵。
二人はその噂を知っていた。
知っていて、そんな俺に娘を、姉を食わせようとしたのだ。
だから。
だから俺は、これを聞かずにはいられない。
「いいのか」
「…………?」
さすがに言葉が足りなかったな。
「ティアージュは、あんなヤツらの思惑どおりになってもいいのか」
「────」
少しばかりの沈黙は、俺が何を言ってるのか理解したからだろう。
少し俯いて、すぐに顔を上げて俺を見た。
難しそうな表情をして、それでもティアージュは微笑んでいた。
「私が不幸せなら、そうかもしれません」
それだけ言った。
それだけで伝わる。
でも、そうじゃないと。
いいのか?
俺なんかで、いいのか?
自分のブサイク加減は誰に言われるまでもなく自分が一番よく理解ってる。ずっとこの顔とつき合ってきたのだ。
何しろティアージュだって初対面時は俺に怯えていたのだ。
その俺を?
────いや。
違う。
何を喜んでいるのか。そうじゃない。そうじゃないだろ。
大きく深呼吸した。
気持ちを落ち着ける。正直落ち着ける筈もなかったが、それでもやる。いまでも十分に卑怯者の誹りを免れない状況ではあったが、やはり何もかも先に言わせるのは違う。
「ティアージュ」
ロサリグは言った。
俺の家族になってくれ、と。
あれは無理だ。
あそこまで堂々と口に出せたのは、もう二人の間に確固たる何かができていたからだろうし、二番煎じはさすがに不味い。
じゃあ、自分は?
駄目だ。何かいろいろ考えて、用意してた言葉がもう全部トンでしまった。
どのみち俺みたいなのが恰好をつけた台詞を口にしても、言われたほうが困るだけだしな。
「ティアージュ……」
「はい」
「その、何というかだな」
「はい」
「俺はこんなで、迷惑かもしれないが」
駄目だ。全然恰好がつかない。
というか、何を言っているのかもよく分からなくなってきた。
「俺にはあなたが必要なんだ。どうか、俺と一緒にいてくれないか」
最悪だ。
しどろもどろにも程がある。
なのにティアージュときたら、少しばかりの涙を浮かべながらも、これ以上ない、そんな笑顔を俺に向けてくれたのだ。
「はい……はい。よろこんで!」




