13-69 裏切りと報酬 (2)
「ベアトリンを返してもらおうか!」
マルコ様の怒気を孕む叫びが月夜に響く。
“拳銃”と呼ばれた小型の“銃”をアウディオラに向け、殺意と共に要求を突き付ける。
訳ありとはいえ、ベアトリンはマルコ様のもう一人の妹でもありますからね。
返還を求めるのはごく自然な事。
アウディオラに向けた殺意は本物なれど、まだ“交渉”の段階なせいか、引鉄に指を当てていません。
ただ握る銃の筒の先を向けているだけ。
まあ、返答次第で撃つ気満々なご様子ではありますが。
しかし、そんな“妹想いな兄の心情”を、アウディオラは嘲る。
これ以上になく小馬鹿にしたような、呆れた顔を作って。
「あら~、今更そんな要求? 見捨てた妹を返せだなんて、実に身勝手極まる要求だと思わない?」
「黙れ! 私はベアトリンを見捨てた事など一度もない!」
「その割には、随分と冷たい態度だったのではないかしら?」
「黙れぇ!」
マルコ様も怒りに震える手がピタリと止まり、そして、引鉄に指を当てる。
撃つ気だと私も身構えますが、先にアウディオラが動く。
またしてもその姿が変わり、私そっくりの本来の姿から、マルコ様がご所望するベアトリンの姿へと変じる。
「…………!」
「マルコお兄様、私を撃てますか?」
分かりやすい人質。
姿のみならず、声まで完全に模倣。
マルコ様もベアトリンが出てきたため、再び引鉄から指を外す。
「ベアトリン……」
「お兄様、どうして私を抱いてくれなかったんですか? ちょうど一年前、あの日、私とお兄様は契りを交わし、夫婦となるはずでしたのに」
「妹を女として抱けるわけが無かろう! 妻として娶るなど論外だ!」
「それがチャンニー伯爵家の歴代当主のお務めです」
「このやり方での“純血”の維持など間違っている!」
「その発言は、伯爵家の歴史を否定する事を意味しますよ?」
「それでも間違っている!」
動揺するマルコ様と、不気味な笑みを浮かべるベアトリンの対比が恐ろしい。
その会話の内容が、ではありますが。
妹を想う兄と、兄を誘惑する妹。
(いやまあ、私も近親間の“それ”には覚えがないわけではありませんが、やはり異常と言わざるを得ません。ただ、マルコ様が明確に拒絶しているのに対して、ベアトリンは元より、アリーシャ様も実兄を“恋愛対象”と見なしている点! 普通なら起こり得ないのですがね)
親子や兄妹での恋愛は普通、起こらないものです。
ディカブリオやフェルディナンド陛下のように“姉上至上主義”になる場合があったとしても、恋愛対象かと言うとそれはまた別の話。
普通の感性の持ち主であれば、“身内ではない外の誰か”が恋愛対象となるはず。
しかし、チェンニー伯爵家だけは、“純血”を保つために近親間での婚儀を続けてきていました。
その点がやはり解せません。
何がそうさせるのか。
そんな疑問を兄妹の対峙を見ながら思考していますと、アゾットが歩み寄る。
「恐らくではありますが、“臭い(匂い)”ではないかと」
こちらの思考を読み取るがごとき名医アゾットの囁き。
なるほど、“臭い”とは面白い仮説です。
「体臭とは、個々人によって差異が生じますからね」
「先程もあの痴れ者の魔女が述べていたように、“匂いで分かれ”という事でしょう」
「個別の匂いが重要であると」
「いわゆる、“嗅覚の疲労”というものです。厠に入った時はその強烈な臭気が鼻を突きますが、それにはすぐに慣れてあまり感じなくなるという現象」
「なるほど! つまり、“家族”のように身近な存在、それこそ生活の空間を共にする者には、“慣れ”が、すなわち“親近感”が湧くというわけか」
「逆に好意を持つ者の匂いには、無意識的に興奮を覚え、それが“恋愛感情”の火種となるという推察が立ちます」
「かつて燃えるような恋をしても、結婚して家族となれば、それもまた慣れる」
「激しい炎は小さな灯となり、身を焦がすほどの情熱よりも温かな親愛が生じる」
「“家族”と“恋人”の差がそれにあたると」
「しかも、チェンニー伯爵家はその点では特異な存在。おそらくですが、先天的に“目の病気”を患っておりますので、外部からの刺激を別の器官を使って体内に取り込んでいるのではないかと」
「それが“鼻”であると」
アゾットの仮説は実に面白い。
確かに、人間は外部からの刺激の大半を“目”から仕入れています。
目を閉じれば、そこは暗闇。
何も見えず、頭の中に焼き付く事はない。
もちろん、他の感覚もありますが、触れる事、味わう事、聞く事、嗅ぐ事に比べて、やはり“見る事”が一番刺激を取り入れると言う点では優秀。
しかし、チェンニー伯爵家の人々の多くは目が悪い。
長年の近親相姦の結果、血の澱みを溜め込んだためでしょう。
その結果、他の感覚が他家の人間に比べて拡張したというのが、アゾットの立てた仮説です。
しかも、近親間の婚儀を重ねた結果、本来ならば生じない“身近な家族に対する恋愛感情”を生じさせる鼻を獲得し、家族の匂いを恋愛対象として嗅ぎ分ける力を得たのではないかと。
「そうなると、マルコ様は……」
「我々のように普通の感性、感覚を持って生まれてきたのでしょう。普通の社会であればそれは健常者なのでしょうが、身内を恋愛対象と見なすチェンニー伯爵家という狭い空間においては、確実に異端者という事になりましょう」
「常人の集団の中に狂人が混じれば、狂人は狂人として見られる。しかし、狂人の集団の中に常人が混じれば、常人が狂人となる、か」
「それがどうにも、今回の事件の引鉄なのでしょうな」
マルコ様はごく普通の貴族の御曹司。
しかし、生まれ落ちた家が狂人のたまり場であったと言うだけの話。
家督を継ぎ、相応しい花嫁を娶れと父であるジョルジュ様の圧力があったのでしょうね。
重度の白内障というより濃い一族の娘として、侍女にして次女のベアトリンが花嫁候補として別邸を用意される。
しかし、それを良しとしない長女のアリーシャが、兄の気を引こうとあれこれ画策した結果が今の状況。
(しかも、それをアウディオラやレオーネに乗じられた格好ですからね。どちらにせよ、救いがたい状況な事には変わりませんか)
何かしらの物証があるわけでもありませんが、しかし、状況証拠や当事者の言動ががそれを示唆する。
常人が生きるのには、狂人の集団は厳しすぎる。
父親からは妹を娶れと迫られ、その妹からは誘惑に晒され、挙げ句の果てにはそうした感情のもつれから人死にまで出してしまいました。
それでもなお、平静を保てたのは、マルコ様の強靭な精神力と、重責を何とかして担おうとする次期当主としての責任感の表れでしょうか。
アウディオラを裏切って銃口を向ける事になったとしても、ベアトリンを取り戻そうとする行動は、そうした事への後ろめたさか、あるいは妹のへの親愛の念か。
しかし、ここからどう転んでも、後味の悪い結果しか生じそうにありませんわね。
同情を禁じ得ませんわ。




