モーリスばあさんの逃げ先は
マリーがデザインした動物モチーフのパンやお菓子は、マリーが貸し出してくれた場所に出した店舗が開店するや否や、瞬く間に若いお嬢様達に広がって行った。
『犬を食べ物としている』という話から話題性は十分であり、「実は・・・」という事に噂好きの有閑階級の方々は暇つぶしもかねて足を運んでいた。
それと同時にモーリー夫人が「勘違い」をして大騒ぎをしたということも笑い話となって、可愛いお菓子にまつわる『おまけ』として、上流の家柄でのゴシップとしても、中流おまけに労働階級にまでもその馬鹿な口上は伝わっていた。
『モーリスばあさん、パンを犬と間違えた♪ばあさんはパンに餌やり犬をオーブン♪犬は鳴かないパンが吠える、ばあさんはパンに追われて牢屋に逃げ込んだ♪』
ロザムンドが馬車の様子を見に行く途中でこんな歌を歌いながら縄跳びをする子ども達を見かけた。
「モーリス?聞いたような名前」
はて?
「あれは最近子ども達で流行っているゴム段の歌ですね。目隠ししながら『犬』が追いかけて、ゴム段を飛べないと『パン』と呼ばれる鬼が追っかけて、捕まると他の『モーリス役』の子達がゴム段を飛べるまで逃げられません。鬼ごっこの変種のような感じでしょうか」
ロザムンドが首を傾げていると、ギルが説明をした。
「そんな遊びが流行っているんですか」
「ええ、ただの『お遊び』ですよ」
「牢屋に逃げ込む、なんて物騒な歌じゃない?」
小さな子どもが歌うには殺伐とした単語が出ていることにロザムンドは眉を潜めていると、ギルが言った。
「子どもの歌ですよ。悪ぶった単語を言いたいだけでしょう?」
そう言って小さく笑った。
モーリス夫人、ことモーリー夫人についてはロザムンドに教えるつもりはない。知らなくて良いのだ。優しいロザムンドはきっと許してしまうだろうから、消息不明としておけば良い。
「・・・犬を食べているって噂は完全に笑い話になってしまったわね」
何も知らないロザムンドは笑って続ける。
「怒ってモーリー夫人のところへ、名誉毀損で訴えようと思ったら、カスパルさんが出て来たって話はしましたっけ?」
「カスパル氏が平謝りされたってところまでは」
「そう!そうなんです。『シャポー侯爵令嬢、再びご足労頂いてしまい大変申し訳ございません。今回の件はこちらの手違いでございました。早々に訴えは取り下げさせていただきますので、どうぞ穏便にさせて下さい』とかなんとか言ってきたんですよ。ひどいと思いませんか?手違いでグーピュルの伯父さまと伯母さまを連れて行くなんて」
思い出して頬を膨らませると、ギルが笑っていた。
「手違いですんだら、カスパル氏の仕事はいらないですよねぇ」
「でしょう?こちらも訴えると思っていたのですが、スチュワードがこう言ったのです。『シャポー家とも縁続きでした方ということもありますので』と。ーー私は戦うつもり満々で色々準備をすすめていましたのに」
「ロス、他の方にも言われたと思いますが、仮にも侯爵家の令嬢がやすやすと裁判の場になんて立ってはいけません。何よりも、今回の事はシャポー家は表向きは係わり合いがない事なんですから」
「なんかスッキリしません」
「良いじゃないですか。それで、次は何をするんですか?」
「メイスンさんとハンドクリームを作ろうって話をしています。金木犀がウチの庭にあったので」
「あの甘い黄色い花ですね」
「ええ」
ギルがハンドクリームを作る話を振ると、ロザムンドはその話題に頭を切り替えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「デネブ・モーリー、根拠のない噂を流した事で王妃を侮辱していての事である」
「そんな!私はそんな事をしちゃいませんよ」
警備兵に捕らえられたモーリー夫人はそう言って首を振った。
「『王妃が犬を食べている』などと言うのは侮辱ではないのか?」
判事はそう言って詰め寄る。
「私は王妃様がなんてひとっことも!」
「私が好んで足を運んでいる店で出している物が『犬である』と吹聴するのは同じではなくて?」
王妃が冷たい目でそう言葉をかけると、モーリー夫人は青ざめていた。そして、グーピュル夫人が声を出す。
「モーリー夫人が私を嫌っているのは重々存じておりましたが、こんな根も葉もない話を出してくるとは思いませんでしたわ。訴えたら100%勝てますが、私どもは客商売、あまり事を荒立てたくはございません。こんなのはどうでしょう???」
ニィっと、グーピュル夫人は扇の下で唇を大きな弧にして見せるのだった。
その後の流れは、ロザムンドは知らない。
ただ、何をどうしたのか、巷では新しく『モーリス夫人の犬パン』という遊びが流行っていた。




