29 イロハ、不思議体験をする
留守番、十三日目。
今日は土曜日なので、お店は半日までだ。
善は急げ、思い立ったが吉日というように、やろうと思ったらさっさとやってしまった方がいい。うだうだ悩んでいても辛いだけだ。
しかも、午後に来ようと思っていたところ、そわそわしていたからか、ジャックが店番を申し出てくれた。持つべきものは優秀な従業員だ。
ということで、やってきましたレヴール魔法学園。
もちろん、エメリナさんに貰った紹介状も忘れてはいない。
「うっわ、デカい」
目の前にあるのは、名前負けしない広大な土地と質朴剛健な建物。華美な感じではなく、誠実さが全面に出ている。
間違いなく場違いだ。
ものすごくお固そう……頭固い人ばっかりだったらどうしよう……
雰囲気に呑まれてしまい尻込みしそうになる自分を叱咤する。
ひとつ息を吐き――
「よし――うわぁ!?」
気合を入れ直して、学園内へと踏み出そうとした瞬間、何かが飛びついて来た。
「お姉ちゃん!」
腰のあたりに抱きついているのは、十歳くらいの少女だった。愛らしい顔は今にも泣きそうなくらい歪められていた。幼さと相俟って庇護欲をそそる。
けれど、私が引きつけられたのはその瞳だった。
不思議な金色の瞳。レノラちゃんのオレンジとは違う、お月様みたいな色……吸い込まれたように動けなくなってしまった。
おなじだったから。
「ああ、マリアンネ! よかった!」
私たちの時間を断ち切ったのは、妙齢の女性だった。
これといって特徴のない、この世界にはよくいる茶髪に茶色の瞳の女性。安堵の笑みを浮かべているが、不思議と気味が悪い。
マリアンネとは、私に抱きつき、お腹のあたりに顔をうずめている少女のことだろう。
「本当によかった! 心配したのよ」
「あの、誰ですか?」
別に特別お人好しというわけじゃない。
出来れば、面倒事に首を突っ込みたくないし、好んで突っ込んでいくほどの正義感を持ち合わせてもいない。
けれど、この少女を守らなければならなかった。それは、さっきの不思議な感覚のせいだと思う。
女性から隠すように、少女を抱きしめる。抵抗はなく、むしろ抱き着く力が増した。
「アンタこそ誰よ? その子はあたしの娘よ!」
「嘘ですね」
「何言ってるのよ! 返して! その子を返して!」
ひとりヒートアップしている女性に人が集まり出す。
どーすんだこれ。
ヒステリー起こしてる人間の対処なんてわからないし、どうにも私の方が悪い感じになっている。集まってきた人達も、遠巻きにしながらひそひそと何やら囁き合っているし……品定め中ですね。とっとと誰か警備隊呼んでください。
しかし、よく見て欲しい。
ヒステリー起こしている女性とこの少女、まったく似ていない。女性はあの通り、この世界では標準装備の茶髪茶眼だが、少女は梅紫色――ちょっと赤っぽい濃いめの紫色の髪に、不思議な金色の瞳をしている。顔立ちも、ミステリアスな少女とひとつも似ていなかった。
少なくとも血がつながっているとは思えない。
「返せぇ! 返せって言ってるのよ!」
耳につく高音が一際高く喚く。
それに比例するように少女の力が増した。それはもう、どこにそんな力があるのかってくらい……このまま、女性がヒートアップしていったら、私折れるかもしれない……
普段だったら、パニックになりそうなモノだけれど、この時の私はあとから思い返しても不思議なくらい冷静だった。
何故だか、なんとかなると思っていたのだ。
「嘘つき。それ以上近づかないで」
「うるさい! その子がいないと困るのよ! ねぇ、もういいでしょう!」
「ああ、お前は失敗した。あの話はなかったことにする」
「そんな! 話が違うわ! ねぇ!」
どうやら、深い事情とやらに巻き込まれたようだ。
それは、今現在どうでもいい。
問題は、いつの間にやら、遠巻きに集まっていた野次馬とは別の輪が私たちに迫っていたことだろう。
女性の側に現われた、いかにも裏稼業に従事してそうな男が、縋り付く女性を殴り飛ばす。勢いよく吹き飛んだ女性は、地に伏したまま動かなかった。……幸運なことに死んではいないけど、軽い怪我ではない。
リーダー格なのか、女性に暴行を働いた男が私に銃口を向ける。囲んでいる男たちもそれぞれの武器を私へと向けていた。
この世界では、銃も一般に普及している。私に向けられているのは、その中でも裏稼業の人間が好んで使う、消音の魔法がかけられたものだ。
「その娘を渡してもらおうか。い――」
「痛い目を見る前に、かしら?」
ぴったり頭を狙われているとか、多勢に無勢だとか、この状況で誰も助けてくれないんだとか、武器はもちろん魔法具を何も持っていなかっただとか、いろいろ思うところはある。
そのどれもが一瞬で消えていった。
妙に頭が冴えている。
あの時と違って怖くないし、あたりがよく見えた。
挑発してみようと思ったのも、男たちが怯えていたからだ。誰も彼もが、表面上は冷静を装っていたけれど、彼らは確かに脅えていた。
そして、私は彼らの仮面をはぎ取る言葉を知っている。
「ねぇ、視えているわよ?」
「ち、力が伝播するなんて聞いてないぞ!」
「狼狽えるな!」
リーダー格の男の怒号が響く。
広がった動揺は一時の収束をみせた。しかし、根本的なモノは残っている。
「あの力がある以外は、ただの人間だ。戦闘訓練は受けていない」
それぞれが得物に込める力が増した。
じりじりと輪を縮めてくる。
困った。
町中でこんなことになるとは思わなかったから、魔法具を何も持っていない。なんとか出来そうな魔法も知らない。
本当に困った。
けれど、どうにかされる気はしない。
不意に、くすりと笑ったのは私だったのか少女だったのか……
「魔法具なら、とびっきりのがあるじゃない」
するりとブレスレットを撫でられる。
ああ、そうだった。
おばあちゃんがくれたブレスレット。ずっと付けているから忘れていた。
「手加減してあげなくちゃね」
そうねと答えられたのか、そうねと答えてもらったのかは、わからない。
ピシリと空気が鳴る。いつか、外に出た時とは違う。染み込むような寒さが辺りを侵していく……氷の花が咲くだろう。散り際は、美しくなくてはならない。それが、コレを作った人の信条だから……
誰かが悲鳴をあげたかもしれない。
けれど、死ぬことはないだろう。手加減はしたのだから。
熱にうなされた時のようにくらくらして、立っていられなくなった。誰かが支えてくれたような気もしたけれど……
それを確認するまでもなく、意識を手放していた。




