第一話 クロエという名の私
クロエ。それが私の名前だ。先生に教えてもらった私の名前。
先生は、私たちが暮らすこの教会の牧師さん。捨て子や身寄りのない子供を引き取り、孤児院のように育てている。私もそのうちの1人。
私は生まれてすぐ、この教会の前に捨てられた子供だった。包まれていたボロ切れのような布に刺繍されていた文字からクロエという名前はわかったが、添えるように手向けられていた桜の枝以外に他の情報もなく、先生に引き取られたそうだ。物心ついてからはずっと先生と一緒で、寂しさも感じたことはない。初めは2人きりだった教会も子供が増え、今や数十人の大所帯だ。誕生日はわからなかったから、先生が拾ってくれた日を代わりに祝っていて、再来月で11歳を迎える。もう立派なお姉さんなんだ。
そして、私を捨てるような親だけど、このクロエという名前も桜の花も、別に嫌いじゃない。先生が、私に似合うあたたかい名前だよ、って言ってくれたし、桜の綺麗な色も好きだから。
結局何が言いたいかというと、私の教会での暮らしは豊かじゃないけれど平和で幸せなものだったということだ。
レントリア王国の王都から少し離れたところに位置するこの教会はスチュワート公爵家の領地内にある。公爵夫妻は孤児院としての運営にも協力的で、毎月視察に来ては子供たちと遊んでくれている。前においでになったとき、夫人が私より一つ年下のノエルという娘様がいると教えてくれた。生まれつき目が見えないらしく、あまり外出はしないという。そのため会ったことはなかったが、優しい領主様たちの娘様ならきっと可愛らしい子なんだろうと思っていた。
そんなある日、公爵夫妻が視察にノエル様を連れて来た。突然のことで子供たちは興味津々だったけど、ノエル様はひどく緊張しているように見えた。
(最年長としてみんなを連れて別室へ行こう。無遠慮に視線を浴びせて、ノエル様に怖い思いをさせてはいけないわ)
そう思って子供たちを連れて行こうとすると、そんな私を先生が引きとめた。
「クロエ、君は待ってくれ。こちらへおいで」
ずるーいと声をあげる子供たちをたしなめ、近くの広場で遊んでくるように伝える。嫌々ながらも出ていった彼らを見届けてから、先生と領主様方の方へ行くと、俯くノエル様の肩がほんの少し震えていることに気がついた。
(大丈夫かしら、ノエル様…)
夫妻は彼女を心配そう見つめながら、口を開いた。
「引きとめてすまない。私たちは少しアベルに話があるんだ。その間、ノエルと一緒にいてあげてくれないかい?」
「クロエには前にも話したことがあると思うけれど、この子、目が見えないの。だから1人では心配で。それに、あまりお友達を作るのが得意じゃないみたいなの。クロエがよければ遊び相手になってくれないかしら」
アベルは先生の名前。元々教会の子供の中では最年長で、年下の世話も好きな私だ。断る理由はない。
「はい、私でよければ」
こくりと頷いて、ノエル様のそばで軽く膝を折る。改めて彼女の容姿を見ると、想像していた通り可憐で愛らしい。整った目鼻立ちに長いまつ毛。瞳を隠すように頑なに閉じられた瞼さえ、物憂げな美しさを醸し出すスパイスのよう。淡い紫色のブラウスはミルクティー色の髪によく映えている。1歳差のはずだが縮こまっているせいもあって彼女は私よりもかなり小柄に見えた。
「ノエル様、私はクロエといいます。この教会の中では一番お姉さんです。よければ、私と一緒にしばらく遊んでいただけませんか」
目が見えないのはきっと怖いだろう。ましてや知らない人ばかりのこの場所で、両親と離れるのはすごく怖いはずだ。私はできるだけ優しい声を心がけた。
(大丈夫、大丈夫ですよ。ノエル様)
心の中で励ますように、囁きかける。実際には届かない心の声でも、想いがあればきっと伝わる。そう先生が教えてくれたことを思い出した。
すると、ノエル様は不安そうにしながらもわずかに手を彷徨わせた。握手を求めているのかもと気づき、夫妻と先生を交互に見る。笑いかけてくれた3人に微笑みを返してノエル様の小さな手をそっと拾った。ビクッと震える感触があったが、拒否されることもなく、ゆるく握り返される。それをみた3人は安心したように息を吐き、それじゃあねと手を振った。
「ありがとう、クロエ。話が終わったら迎えに行くから、教会の敷地内にはいておくれ」
「わかりました、先生」
「私からも礼を言う。本当に大人びた子だね、君は」
領主様の言葉に会釈を返し、ノエル様に向き直る。
「私のお気に入りの場所があるんです。そこへお連れしますね」
彼女がこくりと頷くのを確認して、私は優しく手を引いた。握った華奢な手はか弱くて、とてもあたたかい。
「ありがとう」
風が吹けば消えてしまいそうな小さな声が、聞こえた気がした。
(ノエル様…無口だけど、きっと優しい方なんだわ。だってこんなにあたたかい手をしているんだもの)
彼女のことをもっと知りたい。彼女と話がしてみたい。
私はそう思いながら、もう一度手を握り直した。




