第七話 救うため
《アーサー・フェアモント視点》
目の前に突然現れた魔物。後ろにはクロエとノエル様。僕が守らなければ、僕が冷静でいなければ、彼女たちを危険に晒してしまう。
それなのに。
ひらりと宙を舞う栞。いつもどこでも肌身離さず持ち歩いている大切な宝物。それを魔物の爪はいとも簡単に切り裂いた。目の前が真っ白になって、怒り以外の感情を抱けなくなる。
(こいつは、僕が、殺す!ころす殺す殺す殺してやる!)
そうなって仕舞えばもう魔物 しか目に入らなくなった。僕は感情の制御もできずにただ殺意のままに深追いした。追いかけ、魔法を仕掛け、攻撃する。手元に剣があれば、きっと手のつけられない状態になっていただろう。どれほど傷を作っても、返り血を浴びても、魔物が地に伏し動かなくなっても、収まらない激情が体を支配した。
雨が降っている。髪が濡れ、服が濡れ、血が滲む。視界がぼやける。それでも攻撃の手は止めなかった。クロエが、クロエがくれた花を。思い出を。こいつの汚い爪が穢していいわけがないだろう。
「アーサー様!」
クロエの声が頭に響いた。騒がしかった脳内が急に凪いで、彼女の声だけが一滴の雫のように水面を揺らす。あぁあなたはやっぱり迎えにきてくれた。クロエ、クロエ。僕の愛しい人。抱きしめてくれた腕が優しくて、あたたかくて。涙が出そうだ。
「アーサー様、私、すごく嬉しいです。あなたが私との思い出をそんなにも大切に思っていてくれたなんて、すごく、嬉しい」
「ふふ、ありがとうございます。私にとってもあなたはすごく大切で大好きな友人です」
彼女の言葉はいつも僕を明るく照らし、彩ってくれる。太陽、いや、花そのもののように。
(大好きと言っても、友達としてなんてかわされてしまったけれど、それでも僕はあなたに想いを伝え続けるよ)
眠りについた彼女を見つめながら、僕は改めて彼女に誓う。何があろうと彼女を守り、愛し続けると。僕は外に怪しい気配がないか注意を続けつつ、目を閉じた。もうあの頃の弱い僕じゃない。
(僕を頼って。愛しいクロエ)
◇◇◇
夜も更けた頃。小さく唸る声が聞こえ、パッと目を開ける。何があったかと周囲を見回すと、クロエが苦しそうに胸を押さえていた。
「っ!クロエ!」
飛び起きて彼女の肩に手をかける。呼吸が荒く、汗もかいている。額に触れればひどく熱かった。僕の声に目を覚ましたらしいノエル様が体を起こす。
「アーサー様?何があったのです?」
彼女もクロエの辛そうな息遣いに気づいたのか、慌てた様子で問いかけてきた。
「僕も今起きたところだ。クロエが魘されている。熱があり呼吸も荒く不規則だ」
「そんな…!お姉様が……?」
「汗で体が冷えれば悪化してしまう。怪我はなかったから雨に降られたことが原因だろう」
「どうしましょう。まだ雨は止みそうにありませんし、夜が明けるまでにも時間がかかります」
「すまない…深入りした僕の責任だ」
「そんなこと言っている場合ではないでしょう!?今はお姉様の治療に専念しなくては…!」
ノエル様は刺ある口調で、それでも半ば無理矢理だが僕を励ました。
「アーサー様。私はまだ軽い外傷しか治せません。ですが、少しでもお姉様が楽になるように頭や体の痛みを和らげることならできるかもしれない」
(ノエル様は…この人は…。なんて立派な人なんだろう。僕は、今、クロエを救うために、何もできない)
彼女の使う光魔法は、風邪や病気にも効力があるが、それらは外傷に比べ治癒が難しい。魔法の才能があるとはいえ、大の大人でもほとんどできないことだ。まだ幼い彼女に任せるには無理がある。それなのに彼女は強い。
彼女はクロエの背をさすりながら、願うように硬く両目を瞑る。手のひらから淡い光が溢れれば、クロエの表情は少しだけ和らいだ。
そのとき、外から知った声が聞こえた気がした。集中しているノエル様や、未だ熱に唸るクロエは気づいていないが、僕は助けかもしれないと直感した。
「声だ。声がする」
「えっ?」
「ノエル様、少し外を見てくる。クロエを頼んだ」
「…!えぇ。そちらこそ、ひとりになってまた我を失ったりしないようにお気をつけくださいな」
「はは、任せてくれ。これ以上クロエに格好悪いところ見せられないさ」
洞窟を飛び出すと、強い雨が体を打った。少し乾いた服がすぐにびしょびしょになっていく。それでもそんなことを気にする余裕など、今の僕にはない。耳を澄ます。先ほど聞こえたのは父の声だ。僕たち3人がいなくなったことでフェアモント侯爵家とスチュワート公爵家は必死で捜索しているはず。そのことに気づいていないわけではなかったが、何せいつ来るかわからない助けを匂わせるのは、2人に悪いと思っていた。もしかしたら彼女たちも勘付いてはいたかもしれないが。
ふと再度声を拾った。今度は公爵様のものも。近い。僕は声を張った。自分にこれほどの声が出るなんて知らなかった、そう思うくらいに大きく。
「ここです!アーサーです!」
多くの人が駆けてくる音が聞こえた。安心感からか張っていた気が緩みそうになる。
(ダメだ。アーサー。クロエを守るって決めたんだろう。ノエル様も彼女に尽くしているんだ。僕は僕にできることをする、そうだろう)
見慣れた紋章が目に入った瞬間、1秒も惜しいと僕は駆け出した。
「こっちです!」
ついてくる足音に安堵しながら、ただひたすらに洞窟への道を引き返す。クロエとノエル様を公爵家の人たちが保護するのを見届けると、一気に疲労が襲ってきた。
「よく耐えたな。状況については後で聞く。今は休め」
落ちていく意識の中、父の声だけがやけに耳に残った。




