【続9話】 楽園の朝と、試される絆の行方
爽やかな朝の光が、大聖堂を改装した俺たちの居城『男神の楽園』の窓から差し込んでいた。
まぶしさにゆっくりと目を開けると、香ばしい焼き立てのパンの匂いと、ハーブの優しい香気が室内を満たしているのが分かった。
「……ん」
「あ、ハルトさん……! おはようございます」
ベッドの脇に置かれたテーブルで、エプロン姿のクロエが甲斐甲斐しく朝食の準備を整えていた。
昨夜、あれほど濃密に愛を交わし合ったというのに、彼女の肌はつややかで、頬には健康的な朱が差している。髪を軽く後ろでまとめ、俺が起き上がると瞳を輝かせてパッと花が咲くような笑顔を向けた。
「身体、痛むところはありませんか? 昨夜は……ふふ、ハルトさんったら、すごく熱かったから……」
「俺は全然平気だけど……クロエの方こそ大丈夫か? 無茶させただろ」
俺がベッドから立ち上がり、彼女の細い腰を後ろからそっと抱きしめると、クロエは「ん……っ」と身体を震わせながらも、愛おしそうに俺の腕に自身の手を重ねてきた。
「私は大丈夫です。むしろ……体中にハルトさんの熱が残っていて、すごくポカポカしてて……幸せなんです」
くるりと振り返ったクロエは、背伸びをして俺の頬にちゅっと可愛らしい口づけを落とした。
昨夜までの「他の乙女たちにハルトを奪われるかもしれない」という小さな不安や怯えは、綺麗に消え去っていた。ハルトから注がれた絶対的な愛と、真の「最初の妻」としての自覚が、彼女の可憐さに一つ大きな凛とした芯を与えていたのだ。
「ハルトさん、顔を洗ったら朝ごはんを食べましょう? 今日はみんなのために、私が特製のスープも作ったんですから」
「ああ、楽しみだ。……ありがとう、クロエ」
照れくさそうにエプロンの裾を握る彼女の頭をもう一度撫で、俺は爽やかな朝の空気の中で身支度を整えた。
食堂へ向かうと、そこはすでに他の女の子たちの熱気で溢れていた。
「遅いですわよハルト! わたくしを待たせるなんて……! ……って、あら?」
真っ先に文句を言おうと立ち上がったセシリアだったが、俺の後ろからついてくるクロエの姿を見た瞬間、言葉を詰まらせた。
クロエの佇まい、漂う甘い雰囲気、そして微かに残る艶やかな余韻。
高い洞察力を持つセシリアは、昨夜二人の間で何があったのかを瞬時に察したらしい。瞳を大きく見開き、その頬をあっという間に真っ赤に染めた。
「〜〜〜っ!? ア、アナタたち……昨夜、まさか……っ!?」
「フン、何を今更狼狽えているセシリア。あの顔を見れば一目瞭然だろう」
重厚な肉料理を豪快に口へ運んでいた将軍・ヴァルキリアが、口元を拭いながら目を細めて不敵にニヤリと笑った。
「目つきが変わったな、クロエ。昨夜は可憐な小鳩のようだったが、今はしっかりと『男を喰んだ女』の顔をしている。……フッ、相沢ハルトもなかなかやるではないか」
「くくっ、ほんと。可愛らしさに艶っぽさが混ざって、とっても魅力的なお顔になったわねぇ♡」
ワイングラスに果汁を注いでいたヴェロニカもクロエに視線を送る。
「ハルトくんも、朝からいい顔をしているじゃない? でもダメよクロエちゃん、一人で独占しちゃ。わたくしたちにも、順番にお裾分けしてもらわないと……♡」
「な……っ!? お、お裾分けだなんて下品な言い方はおやめなさいなヴェロニカッ!」
バタバタと扇子を振り回して真っ赤になるセシリア。
その傍らで、静かにパンをかじっていたレン華が、俺とクロエをじっと見つめ、ぽつりと呟いた。
「……ハルトが幸せなら、それでいい。……でも、私の順番も……待ってる」
「レン華まで何を言っていらっしゃいますのーっ!?」
朝から大騒ぎの食堂。だが、当のクロエは取り乱すことなく、おっとりとした笑顔でみんなに向かって深々と頭を下げた。
「みなさん、おはようございます。ハルトさんを待たせてしまってごめんなさい。……でも、ハルトさんは伝説の『男神』の血を引く、私たちにとって特別な男の人です。みなさんがハルトさんを愛する気持ちは、私も同じです。だから……これからは私がハルトさんの第一の妻として、みなさんを温かくお迎えしますね」
静かだが、揺るぎない宣言。
その言葉に、セシリアは「つ、妻だなんて……っ!」と絶句し、ヴァルキリアは「ほう、言うようになったではないか」と愉快そうに眉を上げた。ヴェロニカもまた、目を見張った後に「ふふ、頼もしい正妻様ね」と満足そうにくすくす笑った。
ハルトへの独占欲に苛まれるのではなく、自分自身が一番の支えとなって皆を包み込む。クロエの成長が、チームとしての乙女たちの結束を一段と強固なものにしていた。
朝食が終わり、和やかな空気が漂っていた食堂に、ホログラム映像とともにアイリスが現れた。
「ハルト様、および皆様。和やかなところ大変恐縮ですが、緊急の世界情勢に関する報告を行います」
アイリスの無機質な声とともに、テーブルの中央に立体的な世界地図が映し出された。
大陸の各都市を示していた光が、不味い赤色へと次々に染まっていく。
「不夜城ラグナロクの陥落、および過激派連合軍の撃破を受け、大陸全土の残存男勢力が急速に結集を開始しました」
「結集だと……? 奴らは仲間内で女を奪い合っていたはずだろ?」
俺が眉をひそめると、ヴァルキリアが重々しく頷いた。
「当然の成り行きだな。今までは世界各地に散らばっていた乙女を単独で狙っていたが……その5人の乙女全員が、ハルトという『男神の血』を引く男の元に集結したのだ。男どもにとっては『ハルトを倒せば世界の全ての女が手に入る』状態になったわけだからな」
「肯定します。現在、元旧帝国軍の軍閥、宗教過激派、賞金稼ぎギルドが完全な同盟を締結。『人類奪還統一軍』と名乗り、その規模は五十万人を超えています」
五十万。
あまりにも途方がない数に、セシリアが息を呑んだ。
「ご……五十万だなんて……! いくらわたくしたちの魔法や軍勢があろうと、そのような大軍と正面からやり合えば、このエリア・ゼロも持ちませんわ……!」
「ええ、それに……奴らはただの暴徒ではないわ」
ヴェロニカが煙管の煙を吐き出しながら、冷ややかなピンクの瞳でホログラムを見つめる。
「わたくしが不夜城で集めていた情報によると、統一軍の裏には『100年前の古代兵器』を起動させようとしている謎の黒幕がいるわ。彼らの狙いは、ハルトくんを殺すことだけじゃない……ハルトくんの持つ『男神の血』と、わたくしたち5人の『鍵』を使って、世界の理そのものを書き換えようとしているのよ」
「世界の理を……?」
「はい」とアイリスが続ける。
「16年前の『紅の沈黙』……世界から女性が生まれなくなった現象には、その古代兵器が深く関わっている可能性が98.6%です。ハルト様が5人の乙女を守り抜き、世界を再生させるためには、いずれこの五十万の大軍、そして黒幕と決着をつけねばなりません」
重苦しい静寂が室内を包み込む。
だが、俺は怯むことなく大剣の柄を握り締め、力強く立ち上がった。
「五十万だろうが黒幕だろうが関係ねぇ。俺は絶対に、お前たちを奴らの手に渡さない。世界の呪いだって、俺たちの手で打ち破ってみせる!」
「ハルトさん……っ!」
クロエが胸の前で手を合わせ、感銘を受けたように俺を見つめる。
セシリアも、ヴァルキリアも、レン華も、ヴェロニカも……その瞳にハルトへの信頼と、熱い闘志を宿していた。
「そのためには……ハルト様ご自身の魔力と、『男神』としての種の力をさらに高める必要があります」
アイリスが静かに俺たちを見回し、告げた。
「5人の乙女たちとの真の絆……すなわち、心身ともに深い契りを交わし、魔力を同調させることが、古代兵器に対抗する唯一の術です」
会議が終わり、各自が防衛の準備や訓練へと散っていった午後。
俺はエリア・ゼロの裏手に広がる、澄み渡った泉のほとりにいた。冷たい水で顔を洗い、大剣の手入れをしていると、背後から優雅で控えめな足音が近づいてきた。
「……ハルト」
振り返ると、そこにいたのはセシリアだった。
陽光を受けて美しく輝く金髪、純白と青を基調とした高貴なドレス。だが、その綺麗な青い瞳はどこか泳いでおり、両手でドレスの裾をぎゅっと握りしめている。
「セシリア? どうしたんだ、こんなところで」
「べ、別に……っ! あなたが一人でサボっていないか、監視に来ただけですわ!」
いつもの強がり。けれど、その頬は微かに赤らんでおり、俺と目を合わせようとしない。
俺は苦笑しながら大剣を鞘に納め、彼女の近くへと歩み寄った。
「監視ねぇ。……さっきのアイリスの話、気にしてるのか?」
「っ……!」
セシリアの肩が跳ねた。
「五十万の大軍……そして、俺と乙女たちの『契り』の話だろ?」
「な……ななな、何を唐突に言い出していらっしゃいますの不作法な男ッ! 契りだなんて……そんな、わたくしのような高貴な身の上の者が、軽々しく……っ!」
パッと顔を真っ赤にして後退りするセシリア。
だが、その瞳には拒絶の色はなく、むしろ激しい戸惑いと、秘められた期待が混ざり合っていた。
聖皇国の姫君として、幼い頃から「高貴であれ」「気高くあれ」と教え込まれてきた彼女。男だらけの世界で自分を守るため、強い自分を演じ続けてきたセシリアにとって、誰かに甘えたり、一人の「女」として男に身を委ねることは、未知の恐怖でもあったのだ。
「セシリア」
俺は彼女との距離を詰め、逃がさないようにその華奢な手首を優しく掴んだ。
「きゃっ……! な、何ですの……!?」
「俺は、無理強いはしない。でも……俺はお前を助けた時から、お前の気高さも、素直になれない可愛らしさも、全部守りたいと思ってる」
「……可愛い……!? わ、わたくしをからかっていらっしゃいますの!?」
「からかってないさ。本気だ」
真っ直ぐにセシリアの青い瞳を見つめると、彼女は毒気を抜かれたように言葉を失い、真っ赤な顔のまま俺を見上げて固まった。
「あ……ぅ……」
彼女の小さな手首から伝わってくる、早鐘のような鼓動。
「焦らなくていい。ただ……俺はお前のことも、世界で一番大切にしたいと思ってる。それだけは覚えておいてくれ」
「ハ……ハルト……」
セシリアの青い瞳が、うるゆらと揺れる。
強がりで固められていた彼女の心の鎧が、ハルトの真っ直ぐな言葉によって、ゆっくりと、けれど確実に解けていくのが分かった。
「……バカ」
セシリアは小さく呟き、ぷいっと横を向いた。けれど、俺に掴まれた手を開放しようとはせず、むしろそっと握り返してきたのだった。
「……今夜、わたくしの部屋に来なさいな」
「え?」
「一度しか言いませんわよッ! ……わたくしの極光魔法の回路に異常がないか、あなたが……その、近くで確認しなさいと言っているのですわ!」
赤面したまま叫ぶように言い捨てると、セシリアは手を開放して、ドレスの裾を翻しながら走って去っていった。
遠ざかる彼女の背中を見送りながら、俺は優しく微笑んだ。
(セシリア……)
クロエとの絆を深めた俺が、次に向き合うべき誇り高き美姫。
彼女の頑ななプライドを解き明かし、真の愛で結ばれる夜が、すぐそこに迫っていた。




