【第2話】女騎士の誇りと、聖女の(不純な)祈り
「はぁっ……! はぁっ……! 冗談だろ、なんだってんだよアイツら!?」
豪華な大理石の廊下に、俺の荒い息遣いと靴音が虚しく響き渡る。
後ろからは、何十人もの甲冑の擦れる音と、美女たちのハイヒールが鳴らす凄まじい足音が迫っていた。
「逃がすな! 廊下の左右を封鎖せよ!」
「特級麻酔ガス弾を用意! ただし、男神様の呼吸器に負担をかけぬよう、濃度は十分の一に薄めなさい!」
「教団特製の『絶対服従の媚薬香』を焚け! 吸った瞬間に私たちに甘えたくなる逸品だぞ!」
「待って! それ私が一粒ほしい!!」
追っ手の声が完全に正気を失っている。
特に媚薬とか麻酔とか、捕獲用の手段がろくでもない!
「誰が男神だ! 俺はただの高校生・相沢タツヤだっつの!」
角を曲がり、階段を駆け下りようとしたその時
——頭上から凄まじい風切り音が迫った。
「そこまでだ、異世界の男性殿!」
ガキィィィン!!!!
視界に飛び込んできたのは、眩いばかりの銀髪と白銀の甲冑。
騎士長エレノアが、二階の吹き抜けから一点跳躍し、俺の目の前の床へと華麗に着地したのだ。
床の大理石に亀裂が入るほどの衝撃。人間業じゃない!
「うわっ!?」
「逃がしはしない……! 我がグランベル聖王国騎士団の誇りにかけて!」
エレノアは腰の長剣を抜いた。
青く光る魔力が刃を包み込み、重圧が廊下を満たす。
(しまっ……! 斬られる……!?)
俺が死を覚悟して身をすくめた、次の瞬間。
バサァッ!
彼女は手にしていた最高級の絹でできた大判の毛布を、俺に向かってふんわりと被せてきた。
「……え?」
「ふぅ……間一髪だった。貴殿に傷一つ付けずに捕獲完了だ」
毛布越しに、ぎゅっと抱きすくめられる。
全身を包み込む甲冑の硬さと——その隙間から伝わってくる、驚くほど柔らかい感触と甘い体温。
「な、何すんだ放せ!」
「暴れるな。貴殿の体は今や世界中の宝だ。転んで擦り傷でも作られたら、私の腹切りもので済まない……ぐっ!?」
言葉を交わす距離。毛布の隙間から、俺の吐息がエレノアの首筋に吹きかかったらしい。
彼女の身体が跳ねるように強張り、白皙の肌が一瞬で林檎のように真っ赤に染まった。
「あ……あ……っ!?」
「え、エレノアさん……?」
「こ、これが……男の息……男の吐息……っ!
ああ、なんという濃厚な、雄の魔力……! 頭が……頭がどうにかなりそうだ……!」
エレノアの瞳がとろんと潤み、凛々しかった表情がみるみるうちに蕩けていく。
抱きしめる力が強くなり、彼女の豊かな胸が毛布越しに俺の背中に押し付けられた。
「あ、あの……胸が当たって……」
「問題ない……! むしろ……もっと近くで感じたい……! 誇り高き騎士として、この身を捧げる覚悟はすでにできている……! さあ、私を抱くがいい! いや、私に種を……私に貴殿の遺伝子を注ぎ込んでくれえぇぇっ!」
「騎士の誇りどこ行った!??!?」
完全に理性が吹き飛んでいる!
だが、彼女がウットリと目を閉じて顔を近づけてきたその瞬間——
「そこまでです、無礼者!!」
ズドォォォン!!
どこからか飛んできた青白い光の太線が、エレノアの脚元を穿った。
「くっ……!? 聖女セシリア!」
エレノアが咄嗟にバックステップを踏み、俺から離れる。
毛布が落ち、自由になった俺の前に立ちはだかったのは、シースルーの聖衣をひらめかせた聖女セシリアだった。
「だめですよエレノア騎士長! 自分だけ先に既
成事実を作ろうなんて、神の教義に反します!」
「何を言うかセシリア! 男殿を危険から保護したのは私だ! 騎士団の管轄下におくのが当然だろう!」
「いいえ! このお方は天から遣わされた【奇跡の種子】! 我が聖教団が厳重に聖室へ奉納し、毎日朝昼晩と規則正しく種を回収するのが最も効率的です!」
「奉納とか回収とか、俺を牧場の牛みたいに言うな!!」
俺のツッコミなど耳に入っていない様子で、二人の美女はバチバチと視線を交差させている。
「効率など知るか! 私は……私はただ、この手で男殿の温もりを……!」
「あら、本音が隠せていませんわよ脳筋騎士? ズルいではありませんか、私だって……私だって、男神様のお子を妊娠して、世界初の『奇跡の母』として歴史に名を遺したいのですから!」
「どっちも欲望の塊じゃねえか!!」
二人の美女が激しい口論(というか欲望のぶつけ合い)を繰り広げている隙に、俺は少しずつ後ずさりした。
(今だ……! こいつらが揉めてる隙に逃げるしかねぇ!)
足音を殺し、廊下の曲がり角へ向かってダッシュする。
「あ! 待ちなさい男神様!」
「逃がすか!」
背後から二人の叫び声が聞こえるが、振り向かない。
とにかく城の外へ出なければ、この欲望の檻から抜け出すことはできない!
俺は廊下の突き当たりにあった大きなテラスの
窓へ飛び込んだ。
眼下には、城の広大な中庭と、その向こうに広がる城下町。高さは約10メートル。普通なら飛び降りたら骨折確定の高さだが、テラスの真下には巨大な装飾用の植木鉢とフカフカの芝生が見える。
「ええい、背に腹は代えられん! トゥッ!!」
「「正気ですか!??!?」」
追いついてきたエレノアとセシリアの悲鳴を背に受けながら、俺はテラスの柵を越えて空へと飛び出した。
風を切る感覚。重力に従って体が落下していく。
ザザザーーーッ!!
「ぶふっ!?」
狙い通り、巨大な植木の茂みがクッションとなり、俺は無事に中庭へと着地した。
全身に葉っぱと泥がついたが、骨は折れていない。
「やった……着地成功……!」
安堵したのも束の間。
『警報! 警報! ターゲット(男性)が城内から中庭へ脱出! 全警備隊、中庭へ集合せよ!』
魔法のスピーカーから、城中に響き渡るアナウンス。
見上げれば、城のバルコニーや窓という窓から、数百人の女兵士たちがゾロゾロと姿を現し、一斉に俺を見下ろしていた。
「いたぞ! 男だ!」
「キャーッ! 生で見るとカッコいいー!」
「捕まえた者には『一晩の優先権』が与えられるのよね!?」
地鳴りのような歓声が中庭を包み込む。
数百人の女兵士たちが、まるでバーゲンセールの開店直後のように、狂乱の様相で城の階段を駆け下りてくる。
「アカン……この城、もう全員ダメだ……!」
俺は絶望に打ちひしがれながら、中庭の隅にある隠された排水溝——地下水路へと続く鉄格子へと走り出した。
「頼む、開いてくれ……!」
壊れかけていた鉄格子を渾身の力で引っ張ると、ガタリと音を立てて外れた。
男としての腕力が、こういう形で役に立つとは夢にも思わなかった。
「追いつかれる前に……!」
俺は暗く湿った地下水路の穴へと滑り込み、背後の鉄格子を元に戻した。
直後、上空から「ドカドカドカ!」と無数の足音が通過していく。
「どこへ行った!?」
「木の上か! 植木の中か!?」
「匂いを追え! 男の匂いを!!」
遠ざかっていく女兵士たちの悲鳴と歓声。
どうやら、間一髪で撒くことに成功したらしい。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」
湿っぽい地下水路の壁に背中を預け、俺はズルズルと座り込んだ。
異世界召喚の主人公って、普通はチート能力をもらって無双するもんじゃないのか?
なんで俺は、自分の「種子」を狙う美女軍団から全力で逃走劇を繰り広げてるんだよ……。
「まあでも……なんとか逃げ切れたか……」
胸を撫で下ろした、その時だった。
暗闇の奥から、静かなヒールの音が近づいてきた。
タッ……タッ……タッ……
(……え?)
俺はハッとして立ち上がり、暗闇を睨みつけた。
水路の奥、月光がわずかに差し込む場所から、一人の人影が滑り渡るように現れる。
それは、身にまとったピチリとした漆黒のボディスーツの上から、さらに深い紫のフード付きローブを羽織った小柄な人物だった。
顔の下半分は黒い布で覆われており、露出しているのは——吸い込まれそうなほど美しい、碧色の瞳だけ。
「……見つけたぞ、グランベルの【秘宝】」
その声は、鈴を転がすように鈴やかで、同時に氷のように冷たかった。
女性だ。だが、城の騎士たちのような狂乱した雰囲気はない。
プロの匂い。暗殺者、あるいは——スパイ。
「だ、誰だ……!?」
俺が身構えると、少女は腰のホルダーから一対
の短剣を引き抜いた。
その刀身には、怪しい紫色の毒液が塗られてい
る。
「我が名は【影の旅団】が誇る一番手、レン。……命じられたのは、貴様の確保。あるいは——他国に渡るくらいなら、その息の根を止めること」
「殺気ハンパないんだけど!??!?」
絶体絶命。
城の美女軍団を振り切った俺の前に現れたのは、国家の命運を賭けて送り込まれた、本物の「影の暗殺者」だった。
「安心しろ。……できる限り、生かして連れ帰る。我が国の女帝もお前の『種』を望んでいる」
「それ結局やることは一緒じゃねえか!!」
男一人の遺伝子を巡る、世界規模の奪い合い。
俺の命と純潔をかけた逃走劇は、さらに危険な領域へと突入していくのだった——!




