私だけが好きだと思っていた
侍女がブローチをつけてくれて、再度仕切り直し、とばかりに二人の時間に戻る。
「フフ、似合いますか?」
ブローチを突き出すように、ハロルド様に見せる。
ハロルド様は、何かまぶしいものを見たかのように瞳を細める。
そして、少しだけ手を伸ばして私の手の上に、彼はそっと手を置いた。
重なった手のひらの重み、手袋越しですら伝わる温もり。
ハロルド様は、今までそんなふうに積極的に触れてくるような方ではなかった。
恥ずかしさと嬉しさで、一気に顔に血が上る。
口元が緩みそうになり、慌てて引き締めるけど、なんとも締まりのない顔になっていそうだ。
そんな私に、ハロルド様はいつも以上に優しい目をして見ている。
彼の手が、一瞬だけ私の手をギュッと強く掴んだ。
「エルシー」
真剣な声に視線を上げると、私達の視線が絡む。
息が止まるような、ほんの一瞬の静寂。
「僕はね、エルシー。
君が笑っている顔が好きだ。
……いや、どんな顔だって、エルシーなら可愛いのだけど…。
何を言っているのだろうな、僕は…」
そう言って、ハロルド様はちょっと笑う。
「いや、でも、本当の事だ。
婚約者の君を、こんなに好きでいられるなんて。
本当に僕は幸せものだなって思ったんだ」
その言葉が耳に落ちた瞬間、涙が零れた。
それは、初めて向けられた、はっきりとした愛の告白だった。
私だけが、彼を好きなのだと思っていた。
彼は婚約者として大事にしてくれているだけ。
そう、ずっと思っていたのに。
この人は、こんな顔をするほど、私を大切に思っていたのだと。
あぁ。
私は、彼が好きだ。
それは漠然とした未来よりも、確かな今で。
今、この瞬間、私たちは確かに想い合っている。
それが、とても嬉しい。
だからこそ。
そう。
私は、彼と一緒に未来を見たい。
ずっと、ずっと。
おじいちゃんおばあちゃんになっても、寄り添っていたい。
隣で笑っていたい。
「はい……ずっと、私もハロルド様をお慕いしていました……」
ハロルド様の手が、もう一度だけ私の手を強く握った。
そして、そっと離れていく。
その温もりが、少しずつ消えていくのが、寂しい。
お互い視線を合わせられず、なんだか照れくさくなって、二人して苦笑してしまった。
「なんか、照れくさいな……」
そう言って頭を掻いたハロルド様が、なんだか幼く見えて、可愛らしいと思ってしまった。
ハロルド様を可愛らしいなんて思うのは、これが初めてで、また笑ってしまう。
言葉は交わさずとも、通じ合えている気がして、視線が絡むたびに、どちらからともなく笑ってしまった。
嬉しくて、幸せで、大切で。
でも、そう思っているのは私だけじゃないのだと、初めて知った。
「名残惜しいけど、また、次回」
ハロルド様がお帰りになるとき、真っ直ぐに向けられたその視線が、私に勇気をくれた。
それは、暗闇を照らす一筋の灯りのように、私の心に、そっと灯った。
就寝前、私は一人考えた。
ずっと、逃げていた。
返事を避けていた。
正直言えば、怖い。
知らない事を知るのは、とても勇気がいる。
だけど、知らないふりをするのは、もうおしまい。
だって、私はハロルド様と一緒に歩く未来を進みたい。
だから、前へ進まなくちゃいけない。
たとえまた、繰り返すとしても。
拳を握る。
前向きになろうとしているのに、でも。
目から涙が零れた。
唇を噛み締める。
今日の幸せを忘れないために。
思い出を胸に刻む。
私は、覚えている。
だから、大丈夫。
たとえ、ハロルド様が、今日の事を覚えていなくても。
それでも。
私はしばし、声を殺して泣いた。
今日だけ、そう、今夜だけ。
……もう、泣かない。




